2022年10月5日
シリア ウクライナ 中東

“ロシアが憎い”ウクライナに向かうシリア人傭兵の思いとは

「殺された弟と母のかたきを討ちに行く。殺されようがかまわない」

こう言い残してウクライナに向かった1人のシリア人傭兵。

彼を戦場へと駆り立てたのは、祖国の内戦に介入し、家族を奪ったロシア軍への復讐心だった。憎しみの果てにたどりついた戦地で、彼が見たものとは。

(イスタンブール支局長 佐野圭崇)

家族はロシア軍に殺された

中東シリアの北部にある小さな町の墓地。

その片隅にウクライナで戦った1人の傭兵が眠っている。

アブドゥルラフマン・アフマド。

28歳だった。

生前、ウクライナへ向かう理由について、こう答えていた。

アブドゥルラフマン・アフマド

アブドゥルラフマン
「私の動機は金でも宗教でもない。
 殺された弟と母のかたきを討ちにいく。
 殺されようがかまわない」

10年以上にわたって内戦が続くシリア。

内戦前に死別した弁護士の父の背中を追い、大学で法律を学んでいたアブドゥルラフマン。

その夢は、内戦であっけなく壊された。

反政府勢力に身を投じ、アサド政権と戦ってきたが、5年前、政権側を支援するロシア軍の空爆で母親と当時4歳だった弟を亡くしたという。

ことし3月下旬。

シリア北部アレッポ郊外の反政府勢力が支配する地域で、教官役として経験の浅い戦闘員たちを訓練するアブドゥルラフマンの姿があった。

戦闘員を指導するアブドゥルラフマン(右)

岩場の影に隠れながら敵を狙撃する方法を教え、げきを飛ばしていた。

アブドゥルラフマン
「あそこにロシア兵がいると思え。
 私たちのすべきことはひとりでも多くのロシア兵を殺すことだ」

最愛の家族を奪ったロシア軍への復讐心が彼を突き動かしていた。

「死んだ人間の写真は見ない」というアブドゥルラフマン。

スマホの中にある家族の写真をみせてもらうと、やさしそうな母親、そして彼に似てつぶらな瞳が印象的な弟が、そこにいた。

アブドゥルラフマンは「ふだんは見ない」というその写真の母と弟を、ずっと見つめていた。

アブドゥルラフマンの死

取材から1か月あまりたった5月上旬。

アブドゥルラフマンがウクライナで戦死したという知らせが届いた。

彼の上官がその最期を記録したという映像を見せてくれた。

壊れた車の横で血を流し倒れる男性が彼だった。

映像は遺族に支払われる補償金のために撮影する必要があるのだそうだ。

上官によると、アブドゥルラフマンは4月に激戦地だったウクライナ東部のハルキウの前線の拠点に入り、連日ロシア軍の空爆にさらされていた。

この前線だけで彼を含めシリア人の傭兵少なくとも12人が死亡したという。

シリア北部にあるアブドゥルラフマンの墓標には名前が刻まれていない。

墓の前でたたずむ上官

ロシア軍の報復を警戒して、反政府勢力側が墓の存在を隠しているのだという。

墓まで案内してくれた上官がつぶやいた。

アブドゥルラフマンの上官
「内戦で母国にいても死ぬし、外国へ行っても死んでしまう
 復讐のために死ぬのはつらい」

傭兵が見たウクライナの現実は

憎しみの果てに行き着いたウクライナの戦地で彼が見た光景とはどんなものだったのか。ウクライナ東部の別の戦線で戦ったシリア人傭兵の1人が取材に応じた。

シリア人の傭兵 スハイル・ハムード

スハイル・ハムード、33歳。

スハイルはもともと政府軍の軍人だった。

しかし、内戦で親戚がアサド政権側の空爆で殺害されたことをきっかけに軍を離反し、反政府勢力に加わった。以来、シリアで戦いに明け暮れたスハイルにとっても、ウクライナの戦線は凄惨を極めたものだったという。

スハイル・ハムード
「1メートルおきに砲弾やミサイルが降ってくる。
 前線では状況は非常に厳しく何が起こるかわからなかった。
 ほとんど寝ることもできなかった。
 シリア内戦の10年間の苦しみを凝縮したような2か月半で、
 誰もが撃たれて命を落としかねない状況だった」

シリア人の傭兵たちはロシア軍と激戦が続いたマリウポリやハルキウで作戦に従事。通訳を通じてウクライナ軍幹部の指示を受け、食料など必要な物はウクライナ軍から提供された。

2か月半にわたってウクライナ東部を転々とし、その中でアブドゥルラフマンとも会ったという。

スハイルが現地に向かった理由はアブドゥルラフマンのそれとは違った。

シリアで反政府勢力の戦闘員として得られる収入は日本円で月に2000円程度。

安全のために隣国トルコに避難している妻への仕送りはおろか、自分の暮らしもままならない。

そんなとき、ウクライナでロシア軍と戦う傭兵の募集があることを派閥の長から知らされた。

終わりの見えない内戦でシリア経済が疲弊し、生活が困窮を極める中、実戦投入で2000ドル(日本円でおよそ29万円 10月5日時点のレートで計算)というオファーが彼を異国の戦場へと駆り立てた。

ウクライナの前線で対戦車ミサイルを撃つスハイル(右)

シリアに帰国したスハイルに「またウクライナで戦うのか」と聞いた。

答えは短く、シンプルだった。

スハイル
「ウクライナには家族を支える金を稼ぐために行った。
 今度はシリアで、アサド政権に軍事支援を続け親戚や友人を殺したロシアと戦う」

復讐のために行った者は帰らず、生きて帰ってきた者はまた別の戦いに繰り出す。

シリアの人々の10年に及ぶ苦しみが、スハイルの、そしてアブドゥルラフマンの瞳の奥に鈍くうつっていた。

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