熱田空襲79年で犠牲者を追悼 名古屋

名古屋市熱田区で2000人余りが犠牲になった「熱田空襲」から79年となる9日、遺族などが、空襲の犠牲者を追悼するために建てられた地蔵の前で手を合わせ、亡くなった人を悼みました。

昭和20年6月9日の「熱田空襲」では、2000人を超える市民が犠牲になりました。
空襲で大きな被害を受けた「愛知時計電機」の本社のそばには、戦後、有志の市民によって、犠牲者を追悼する地蔵が建てられ空襲から79年となる9日は、遺族や地蔵の管理を続けてきた寺の住職などが手を合わせ、亡くなった人を悼みました。
学徒動員で工場で働いていた姉が空襲の犠牲になった、伊藤米子さん(90)は「蒸し暑い中、空襲で崩れ、ちぎれた体の一部が転がっている工場で姉を捜したことは今も鮮明に覚えている。犠牲の記録を世の中に残して二度と戦争がないようにしたい」と話していました。
地蔵は、空襲の記憶を語り継ぐ象徴として、長年、地域の人に親しまれてきましたが、古くなっているということです。
住職や愛知時計電機は、高さがおよそ3メートルに及ぶ地蔵が、地震などで倒壊すると通行人がけがをする危険性があるとして、移動や撤去、別の地蔵への合祀なども視野に、検討を進めることにしています。