ウィシュマさん遺族が国に賠償を求めた裁判が始まる
名古屋市にある入管施設で亡くなったスリランカ人の女性の遺族が体調が悪化していたのに女性に必要な医療を提供せず死亡させたなどとして国に賠償を求めている裁判が名古屋地方裁判所で始まりました。
遺族が「なぜ見殺しにされたのか明らかにしてほしい」と述べたのに対し、国側は訴えを退けるよう求めました。
去年3月6日、名古屋出入国在留管理局の施設に収容されていたスリランカ人の女性、ウィシュマ・サンダマリさん(33)が体調不良を訴えて亡くなりました。
出入国在留管理庁は適切な治療を行う体制が不十分だったなどとする最終報告書を公表しましたが、ウィシュマさんの遺族は「真相や責任の所在が明らかにされていない」としてことし3月、国に1億5000万円余りの賠償を求める訴えを名古屋地方裁判所に起こしました。
きょう第1回目の口頭弁論が行われ、遺族側は入管がウィシュマさんの仮放免を認めず違法に収容を続けたうえ、体調が悪化していたのに必要な医療を提供せず死亡させたなどと主張しました。
そして収容中のウィシュマさんの様子をうつしたすべての映像についてこの裁判で提出するよう求めました。
さらに2人の妹が意見陳述し、ワヨミさんは「姉は助けを求めたのに残酷な状況で死んでしまった。日本政府は責任を認め、日本の収容制度も変わってほしい」と訴えました。
また、ポールニマさんは「裁判を通じてなぜ姉が入管施設で死亡したのか、見殺しにされたのか明らかにしてほしい」と述べました。
一方、国側は訴えを退けるよう求め、次の期日までに意見を書面で裁判所に提出するとしました。
裁判では、今後入管の対応と女性の死亡との因果関係などが争点になるものとみられます。
ウィシュマさんの妹、ワヨミさんとポールニマさんが、8日、裁判で述べた意見陳述の全文です。
【ワヨミさん】
私の名前は、ラトナヤケ・リヤナゲ・ワヨミ・ニサンサラ・ラトナヤケです。
ウィシュマ・サンダマリのすぐ下の妹です。
姉と母と、亡き父のために、私は、先月、再び日本に戻ってきました。
昨年、姉が日本で亡くなったと知らされたときには、信じられなかった。
母も妹のポールニマも、これは何かの間違いだろうと言いました。
若く健康な姉が簡単に亡くなるはずがないと私たちは思ったのです。
私はとても悩みましたが、仕事を辞めて、昨年の5月に、ポールニマと日本にやってきました。
どうしても、姉の遺体を確認しなければならないと思ったからです。
姉の遺体と対面したときの気持ちは、つらすぎて、とてもお話できません。
遺体は、姉に似ていましたが、やつれきって、別人のようでした。
私たちは、その遺体を姉だと認めたくなかった。
姉が、どれほど苦しんだかと思うと、遺体をまっすぐに見ることもできませんでした。
本当は、母も、姉の遺体と会いたかったし、きょうこの場にも来たかったのです。
けれども、彼女は、姉の死を聞かされてから体調を崩しました。
私は、母のことも、とても心配です。
けれども、母の心を日本の皆様にお知らせするためにも、ここにいます。
母は、いまも、毎日、姉のことを思って泣いています。
姉が亡くなってから、私たちは、姉の大きな写真を家に飾りましたが、母は、それを裏返してしまいました。
写真を見るのさえ、とてもつらかったからです。
「ウィシュマは死んでいない」と母はずっと言っていました。
いまは「ウィシュマを返して」と言っています。
母も、祖母もそう言っています。
まさか、ウィシュマが自分たちより先に亡くなるなんて…。
母も祖母も、そんなことは、絶対に認めたくないのです。
母にとって、姉は頼りになる長女でした。
父が早く亡くなりましたので、母は、私たちの世話を姉に任せて、外で働きました。
母と姉は、「戦友」のようなものでした。
私とポールニマが大人になって、姉が「留学したい」と言い始めたとき、母は最初、反対しました。
大切な娘を外国に行かせるのが心配でしたし、留学には、お金もとてもかかったからです。
けれども、母は、姉の熱意に負けました。
それに、ずっと私とポールニマの世話をしてくれた姉に、本当に好きなことをさせてやりたかった。
姉が日本で夢をかなえることが、私たち家族にとっても、夢になりました。
母は「日本なら、安全な国だから大丈夫だね」と言いました。
私たちは、自宅を担保にお金を借りて、姉の学費を作り、姉を日本に送り出しました。
覚えています。
2017年6月、母と私とポールニマと、皆で、KATUNAYAKAの空港まで送りに行きました。
さみしかったけど、姉の太陽のような笑顔を見ているうちに、私も、いつか、姉を訪ねて日本に行ってみたいと思いました。
そのころには、きっと、姉は日本で勉強を終えて、日本でも学校の先生になっているのだろう、日本の子どもたちに英語を教えているのだろうと思いました。
あのころ、未来は明るかったのです。
けれども、あの日が、生きた姉を見た、最後になりました。
いえ、違います。
私とポールニマは、2021年8月に、法務省の建物の中で、姉がとても苦しんでいる映像を見ました。
2時間見る予定でしたが、ショックで途中吐いてしまって、その日、最後まで見られませんでした。
あんなに残酷な状況で私の姉は死んでしまった。
姉はずっと助けを求めていたのに。
点滴も、病院も、求めていたのに。
姉は死にたくなかったのに。
私は、あのビデオを見てから、夜、眠れなくなりました。
やっと眠っても、悪い夢ばかり見るようになりました。
起きているときも、狭い場所に入ると、ウィシュマも、こんな狭いところで閉じ込められていたのだろうかと思いました。
「担当さん〜」「担当さん〜」と、入管の職員に助けを求めている姉の声が、いつも聞こえてきました。
私は、耐えきれず、9月にスリランカに帰らざるをえませんでした。
でも、私は、いま、日本に戻ってきました。
裁判官と市民の皆さんに、どうしても、お話したいことがあったからです。
裁判官と、すべての日本市民は、少しでも早く、姉のビデオを見てください。
日本という国で、人間がどのように扱われて死んでしまったのか、見てほしいのです。
すべての外国人とすべての日本人のために、出入国管理局には変わってほしい。
日本政府は、姉のことで謝ってほしい。
そして、責任を認めて、必ず変わってほしい。
特に日本の入管収容制度には、完全に変わってほしい。
こんな悲しい思いをするのは、ウィシュマと私たち家族で最後にしてほしい。
私は裁判官を信じます。
この訴訟で正しい判決が出て、日本が、人間を大切にする国に必ず変わってくれると、信じています。
それが、母とポールニマと、ウィシュマの願いでもあります。
【ポールニマさん】
私の名前は、ラトナヤケ・リヤナゲ・ポールニマ・ラトナヤケです。
ウィシュマ・サンダマリの一番下の妹です。
姉ウィシュマの死の真実を知るために、私と姉ワヨミは、昨年5月1日に日本に来ました。
子どものころ、いつも、私のそばには姉がいました。
父が亡くなり、母が仕事で忙しかったため、私はいつも、7歳年上の姉のそばを離れませんでした。
姉は、私やワヨミに対していつもやさしかった。
いつも、私たちに、勉強や、料理やお菓子の作り方、お化粧のしかたなど、いろいろなことを教えてくれました。
姉は、子どもがとても好きでした。
子どもたちに英語を教える仕事をしていました。
日本で、子どもたちに英語を教えたいと考えて、日本に行きました。
日本に旅立つ日、姉は希望にあふれ、とてもうれしそうでした。
その姉が、3年後に日本の入管施設内で亡くなってしまうなんて、私たち家族は想像することもできませんでした。
昨年3月、地元の警察から姉の死を伝えられても、私たち家族はそれを信じませんでした。
5月1日に来日し、待機期間があけた16日に、年をとった別人のように見える姉の遺体と対面しましたが、ワヨミも私もそれが姉だとは認めたくありませんでした。
17日に名古屋入管局長に会い、18日には入管庁長官と法務大臣に会いました。
誰も、入管の責任を認めず、謝罪もせず、姉の亡くなる前のビデオの映像や関係する書類を渡してほしいと頼んでも拒否されました。
日本に行って、責任のある人たちに会えば、姉の死の真相がわかり、責任を認め、ビデオも渡してくれると信じていた私たちは驚きました。
弁護士や国会議員や市民の皆さんがビデオの開示を求めてくれたため、入管は8月12日に私たちにビデオのうち2時間分を見せることになりました。
ただし、弁護士の同席は拒否されました。
ビデオにうつっていた姉は衰弱しやせていて、ベッドの上で、自分で上半身を起こすことすらできる状態ではありませんでした。
姉は、何度も点滴を求めていましたが、職員はそれを聞き入れませんでした。
ベッドから落ちてしまった姉を職員が放置していた場面も見ました。
ワヨミが体調を崩し、私たちはビデオの半分を見た時点で、続きを見ることができなくなりました。
その後、ワヨミは一度帰国し、私は、裁判所で弁護士と一緒にビデオの一部を見ました。
3月5日、姉は「あー」と叫んで最後の助けを求めていました。
6日はほとんど動かず、何も話せませんでした。
私は「姉は見殺しにされた」と思いました。
救急車を呼べば姉を助けられたのに、入管職員は救急車を呼ばなかったのです。
裁判官にこのビデオを見ていただければ、姉が見殺しにされたことがわかると思います。
国は、今すぐに、ビデオを提出してください。
ビデオがなければ、この裁判の審理を進めることができません。
7月20日の次の口頭弁論までには、必ずビデオの提出をしてください。
裁判官にお願いします。
この裁判を通じて、なぜ、姉が入管施設内で死んだのか。
見殺しにされたのか、その理由を明らかにしてください。
そして、2度と、入管施設内で見殺しにされる人が出ないように、入管のやり方、考え方を変えることができるような判決を書いてください。
よろしくお願いします。