仙台城「大手門」の一部の金具か 東北大学の調査で発見

戦国武将・伊達政宗がおよそ400年前に築いた仙台城で、空襲で焼失した「大手門」の一部とみられる金具が東北大学の調査で見つかりました。
大手門については復元に向けた調査が行われていますが、原型をとどめた状態のものはこれまで確認されておらず、東北大学と仙台市は今後、さらに確認を進めたいとしています。

今の仙台市青葉区にあった仙台城は、およそ400年前に伊達政宗によって築かれ、その正門にあたる「大手門」は幅およそ20メートル、高さ12メートルほどの、日本最大規模の大きさで、国宝にも指定されていましたが、78年前の仙台空襲で焼失しました。
仙台市は政宗の没後400年に向けて復元を目指した調査を進めていて、これまでに大手門で使用された可能性のあるくぎや瓦の一部などがわずかに見つかっているほか戦前に撮影された写真が残されているだけです。
この大手門をめぐって東北大学の佐藤大介准教授が仙台市内の民家で見つけたくぎ隠しやくぎ、それに瓦のおよそ20点について調べたところ、大手門の一部の可能性があることが分かったということです。
このうち、「大手門 昭和廿年七月十日戦災焼失」と書かれた箱には、大きさの異なるドーム型のくぎ隠しとみられる3つの金具が入っていて色は赤黒く、空襲による火災の影響で変色したとみられています。
また、別のくぎ隠しには菊の花の模様など細かい装飾が施されていたほか、瓦には伊達家の家紋のひとつ「三引両」が描かれていました。
見つかった金具などについては市も確認していて、東北大学と仙台市は今後さらに確認を進めたいとしています。
金具などを発見した東北大学の佐藤准教授は「このようなものが残っているとは非常に驚きだ。より正確な門の復元につながる貴重な発見だ」と話しています。

【見つかった経緯は】
仙台城の「大手門」は、今からおよそ400年前に建てられた城の正門で、幅およそ20メートル、高さ12メートルほどの、日本最大規模の城門として戦前は国宝に指定されていました。
1945年7月の仙台空襲によって焼失しましたが、その姿は戦前に撮影された写真から確認することができます。
今回の大手門のものとみられる金具などは、災害や遺品整理などから歴史資料が失われるのを防ぐ活動を行っている「宮城歴史資料保全ネットワーク」が、仙台市内の民家で見つけたものです。
発見した「宮城歴史資料保全ネットワーク」の副理事長で、東北大学の佐藤大介准教授によりますと、持ち主の男性は、亡くなった父親が仙台空襲のあとに、大手門の焼け跡で見つけたと話していたということです。
一方、伊達政宗の没後400年となる2036年に向けて大手門の復元を目指して発掘調査を進めている仙台市や、仙台城の調査をしている仙台市博物館によると、これまでに複数のくぎや瓦が見つかっていますが、「大手門」の一部と断定できる金具などは残っていないということです。
仙台市でも今後、今回見つかったものの調査を行うことにしていて、市の担当者は「見つかったものについては大手門のものの可能性があると考えている。確認できれば貴重な発見で、門を復元する際には参考にしていきたい」と話しています。