ササニシキ誕生60年 可能性模索続く 大郷町では給食に

宮城県で「ササニシキ」が誕生して、ことしで60年になったことを受けて、大郷町では小学校の給食でササニシキの新米が提供されました。

大郷町の学校給食では、ふだん町内産のひとめぼれが使われていますが、子どもたちにコメの味の違いを知ってもらおうと、町は新米の時期に別の品種を提供する機会を設けています。
ことしは、誕生から60年となったササニシキが給食で出されることになり、町内で生産された新米50キロ余りが小中学校あわせて630人分として提供されました。
このうち大郷小学校では、子どもたちが出荷までのコメの様子やコメ農家へのインタビューなどの動画を見ながら、ササニシキのごはんを味わっていました。
小学4年の女の子は「いつもより甘くてさっぱりしていて、食べやすかったです。動画で生産者の顔が見られて、安心しました」と話していました。
大郷小学校の岸本由香栄養教諭は「『違いが分かる』『甘い』と言いながら、多くの子どもたちがごはんを全部食べているのを見て、うれしかった。地産地消で、おいしいお米や野菜をたくさん食べて、元気いっぱい育ってほしい」と話していました。

【ササニシキ 60年の歴史】
ササニシキはおよそ10年の開発期間を経て、大崎市にある現在の県古川農業試験場で1963年に誕生しました。
それまでの品種より収穫量が多く、味もよいと農家から評判になり、誕生から2年後には宮城県内のコメの作付面積で1位に。
1985年にはコシヒカリに次いで作付面積が全国で2番目の規模になり、その高い評価から「西のコシヒカリ、東のササニシキ」とも呼ばれました。
県内の作付面積に占める割合が最も大きくなった1990年には全体の87.3%を占めました。
しかし、1993年の大冷害で状況は一変します。
寒さに弱い品種だったササニシキは大打撃を受け、平年を100とした作況指数は全国の74に対して、ササニシキが主力だった宮城は37に落ち込みました。
これをきっかけに県内農家の間ではササニシキからひとめぼれへの転換が進み、ササニシキの県内の作付面積はことし、推計で全体の7.7%にとどまっています。
栽培が難しく、今では見る機会が減ったササニシキですが、県によりますと、ほどよい固さや粘りの少ないあっさりとした食感には消費者の根強い人気があり、すしなどの高級和食店で利用されることも、しばしばあるということです。
誕生からことしで60年を迎えたササニシキ。
コメの品種が多様化するなかで、その可能性を模索する動きが続いています。