日本初の女性大学生と恩師との手紙 いまも東北大学に

日本で初めて、3人の女性の大学生が東北大学で誕生して、ことしで110年です。
このうちの1人で研究者となった女性が長年、恩師から支えられていたことがうかがえる手紙が残されていたことが分かりました。
専門家は、女性が研究者として活動を続けることが難しい現代社会にもヒントとなる貴重な資料だと指摘しています。

今から110年前の1913年、東北大学、当時の東北帝国大学に3人の女性が合格し、日本で初めてとなる「女性の大学生」が誕生しました。
このうちの1人で、お茶の水女子大学の名誉教授になるなど研究者として活躍した黒田チカについて、およそ4000点の資料が東北大学に寄贈されていて、この中に黒田の恩師からの手紙が多数残されていたことが分かりました。
手紙はおよそ130通で、黒田の恩師で、今の東北大学の教授や大阪大学の総長などを歴任した真島利行から送られていました。
手紙には、第二次世界大戦後に「女子教育も変革してアメリカ式になるようだ。これからますますリードしていってほしい」と黒田を鼓舞しているほか、身内に不幸があり研究や生活に弱気になる黒田に対して「そうしたときも、自身の化学の研究にまい進しなければならない」と励ますなど、公私にわたって黒田を支えていた様子がうかがえます。
手紙のやりとりは大学卒業後から晩年に至るまで行われていて、調査を行った東北大学史料館の加藤諭准教授は、黒田が活躍できる土壌を恩師や大学が作っていたことが、女性が研究者として活動を続けることが難しい現代社会にもヒントとなる貴重な資料だと指摘しています。
加藤准教授は「調査した資料からは、これからの時代も個人の活躍とそれを支える社会、そして指導する上司や先生の存在が重要だということがよくわかる」と話していました。
資料のうち30点ほどが今月7日から、東北大学史料館で展示されるということです。

【残された手紙の内容は】
大学を卒業後、お茶の水女子大学の名誉教授になるなど活躍した黒田チカと、その恩師である真島利行との手紙のやりとりは、真島の晩年まで続けられていました。
手紙はおよそ130通が確認されていて、このうち、研究に関するものでは、論文について質問した黒田に対して、その内容を丁寧に説明するものや、第二次世界大戦後に「女子教育も変革してアメリカ式になるようだ。これからますますリードしていってほしい」と鼓舞する内容のものも残されています。
また、身内に不幸があり、研究や生活に弱気になる黒田に対して、「年を重ねれば誰しもそのような別れはある。そうしたときも、自身の化学の研究にまい進しなければならない」と励ます手紙も確認されました。
一方、黒田の遺族から寄贈を受けたおよそ4000点の資料の中には、当時の大学生活を知る新聞記事を集めたものもありました。
記事では、大学で学べたことの喜びのほかにも「東北大学の学生となった時、男学生の女子等に対する空気は決して穏やかではなかった」などとする、当時の苦労も掲載されています。
このほかにも、1964年に放送された、黒田を主人公にしたNHKのドラマ「たまねぎおばさん」というタイトルの台本も残されていて、黒田の役を2019年に亡くなった、俳優の市原悦子さんが演じ、ドラマの中では大学生活やその後の研究者としての活躍を描いていました。
調査を行った東北大学史料館の加藤准教授は「日本で初めての女性の大学生というのは、黒田を初めとして本人の才能や努力の一方で社会や指導する先生方の支えとの両輪があって活躍していたことが残されていた手紙からよくわかりました。女性だけではなくどなたでも、若いときから晩年まで、生涯にわたって活躍していくそのヒントを今回の資料から感じとってもらいたい」と話していました。