ストーリーフィギュアスケート

ユリア・リプニツカヤ「"妖精"からのメッセージ」

2020-03-10 午後 0:00

「ロシアの妖精」と呼ばれた、フィギュアスケート選手を覚えていますか?柔軟な体で、片足を背中に密着させるように頭上高く上げる「キャンドルスピン」が代名詞だった、ユリア・リプニツカヤさん。2014年、自国開催のソチオリンピックで、15歳の若さで金メダルを獲得し、注目を集めました。現役時代、そして引退後も、個別取材をあまり受けないことで知られてきましたが、今回、来日に合わせ、単独インタビューに応じました。

ただ、21歳になったかつての「妖精」は、笑顔を見せることはほとんどありませんでした。語ったのは、過去のつらい経験と、それを乗り越えて見いだした新たな生きがいについてでした。(国際部記者・青木緑)

史上最年少の"金メダリストへの重圧"

ソチ五輪時の演技

 

ロシアの地方都市エカテリンブルクで生まれ、4歳でフィギュアスケートを始めたリプニツカヤさん。才能を見いだされ、10歳で1400キロ余り離れた首都モスクワに移住しました。ほかのトップ選手たちと同様、1日のほとんどをスケートリンクで過ごし、空き時間に家庭教師のもとで勉強するという、ほとんどスケート漬けの子ども時代でした。

そして2014年。15歳で出場したソチオリンピックのフィギュアスケート団体戦で、金メダルを獲得。現行ルールでは、フィギュアスケート史上最年少の金メダリストとなりました。しかしこの頃、周りに打ち明けられない苦しみの中にいたと、本人は振り返ります。

 

ユリア・リプニツカヤさん

まだ15歳の子どもだった私に対して、とにかく大きな注目が集まりました。ありがたい応援もありましたが、プレッシャーのほうが大きかったです。団体戦のあと、それよりも難しい個人戦が控えていたので、金メダルを取っても喜ぶことはできませんでした。

本当につらい時間で、その時にすべての神経というものを使い果たしてしまったのかもしれません。

 

団体戦のあと、リプニツカヤさんは個人戦に向けて準備するため、いったんソチを離れ、モスクワに戻りました。しかし、空港で、スケートリンクで、いたるところでメディアが待ち構えていました。

集中力を欠いたまま臨んだ個人戦では転倒が重なり、5位に終わりました。たび重なるけが、そして拒食症にも悩まされていったリプニツカヤさん。その後の国際大会でも成績は振るわず、オリンピック出場はこれが最初で最後に。「妖精」は19歳で現役を引退しました。

 

ユリア・リプニツカヤさん

引退は難しい決断でしたが、とにかくとても疲れていました。もうフィギュアスケートとは全く別の道を歩もうと考えていました。

“短命”のロシアフィギュアスケート界

10代での引退は、ロシアでは珍しいことではありません。ソチ大会に続く2018年のピョンチャン大会で金メダルを獲得したアリーナ・ザギトワ選手も、17歳となった去年、事実上の引退と受け止められる発言をしたあと、引退を否定する「騒動」がありました。なぜ、若い選手たちが引退を考えなければならないのでしょうか。

 

去年12月グランプリファイナル表彰台のロシア3人娘

 

背景にはまず、新しい選手たちが次々と台頭していることがあります。今シーズン、国際大会では、10代半ばのロシアの選手たちが表彰台を独占しています。世代交代が早まり、20代の選手はベテランと呼ばれるほどになっているのです。もう1つは、多くの女子選手が直面する「体の変化」という課題があります。リプニツカヤさんは、みずからの経験を踏まえ、次のように話してくれました。

 

ユリア・リプニツカヤさん

若いうちに高いレベルの技術を実現できるのは、良いことなのかもしれません。私自身、25歳ではなく、15歳だったから、オリンピックで金メダルを取ることができました。でも、悪い側面も大きいと感じます。

年齢を重ねれば、体が変化する時期が訪れ、滑り方は全く変わります。身体的・精神的な変化を受けて、技術面にも問題が出てきます。多くの選手が、この時期に引退を決めてしまっています。

 

そして、こうした体の変化は「年齢を重ねれば当然起きること」だとして、焦らずにこの時期を乗り越えることが必要だと訴えました。

ユリア・リプニツカヤさん

変化の時期が訪れたら2、3年は立ち止まって、練習だけ続けて待てればいいのにと思います。成長した体に慣れたところで、再開するのがいいのかもしれません。

新たな生きがい

もうフィギュアスケートには関わらないと決めていたリプニツカヤさん。しかし、競技自体が嫌いになったわけではありませんでした。

 

ユリア・リプニツカヤさん

フィギュアスケートは、とても難しいスポーツです。バレエや新体操に似ていると言われることがありますが、全く違います。フィギュアスケートには、スピードがあります。

さらに、滑りやジャンプといったすべての要素が1つにまとまると、まるで『1枚の絵』のようになります。美しい音楽が加わり、感動を伝えることができるのです。私は、フィギュアスケートは、最も美しいスポーツだと思います。

 

「1枚の絵」のように美しい、フィギュアスケート。リプニツカヤさんは引退後、時がたつにつれ、世界の頂点で得た貴重な経験を、子どもたちに伝えたいと考えるようになりました。

そしておととし、現役時代の仲間たちとともに、フィギュアスケート選手を育てる団体を設立。世界各地で、子どもたちを対象にしたスケート教室を開いています。今回の来日も、その一環でした。私たちは、福島県郡山市で開かれたスケート教室を取材しました。

 

福島の子どもに指導

 

私たちのインタビューでは緊張した面持ちだったリプニツカヤさんですが、子どもたちと会った瞬間、笑顔になりました。初心者の子どもたちには、スケートを怖がらないよう、転び方から指導。「膝から転ぶのではなく、横向きに転べば怖くないですよ」などと声をかけながら、両手で支えてあげていました。

そして、スケート経験者の子どもたちには、「あごを上げる」「背中を伸ばす」など、美しい姿勢の保ち方を熱心に教えていました。スケート教室の時間が限られる中、残り時間を分単位で確認しながら、休むことなく指導していた姿が印象的でした。

教室の終了後、カメラが回っていないところで、「あなたは子どもが本当に好きなんですね」と話しかけてみました。すると「日本の子どもたちは、指導にしっかり耳を傾けてくれるので、とても嬉しいです」と、リプニツカヤさん。そのまなざしは、メディアに警戒心を抱く元選手ではなく、子どもたちの成長を純粋に願う指導者のものでした。

東京五輪・パラリンピックに向けて

ことし、東京オリンピックとパラリンピックを控え、日本では、特に自国選手のメダル獲得へ期待が高まっています。今回の取材の最後に、自国でのオリンピックを経験したリプニツカヤさんに、日本の選手たちへのアドバイスを聞きました。

 

ユリア・リプニツカヤさん

『自国開催のオリンピック』だということを、意識しないことが大切です。試合でできる限りの力を発揮することに集中するべきです。メダルが取れたかどうかは、あとでいくらでも考えることができますから。

 
そして選手だけでなく、応援する側の私たちにも、メッセージをくれました。

 

ソチ五輪で観客の声援を受けるリプニツカヤさん

ユリア・リプニツカヤさん

自国の観客からの声援は、選手にとってエネルギーになります。日本の選手たちも、自国開催ならではの大きな声援を感じていると思います。でも、できれば静かに見守ってあげてください。いちばん大切なのは、選手1人1人を、信じてあげることなのです。

 

 

「笑わない妖精」に、とても緊張した今回の取材。彼女が引退後もメディアと距離を置いてきたのは、私たちがメダルにばかりとらわれ、15歳の少女を追いかけ回してきたことに原因の一端があると感じます。

 

それでもインタビューで、質問に対して1つ1つ言葉を選びながら、真剣に答えてくれたリプニツカヤさん。みずからの経験、そしてフィギュアスケートの魅力を、若い世代にしっかり引き継いでいきたいという、強い責任感が感じられました。指導者として、第2の人生を歩み始めた「妖精」。長く活躍できる選手を、きっと育ててくれると思います。

青木緑

2010年入局。2017年から国際部で主にロシアを担当。海外との初めての出会いは、小学生の時に故郷・長野で見たオリンピック。自分でやるなら、スケートよりスキー派。

 

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