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特集 追悼 クリス・リードさん

フィギュアスケート 2020年3月25日(水) 午後0:00

日本のアイスダンス界を長年牽引してきたクリス・リードさんが、2020年3月14日(現地時間)、アメリカで亡くなった。30歳の若さだった。姉・キャシーとバンクーバーとソチ、村元哉中と平昌、3大会連続でオリンピックに出場し、日本のカップル競技の可能性を切り拓いてきたクリスさん。昨年末に競技からの引退を発表し、指導者として新しい一歩を踏み出した矢先だった。

キャシーとクリス、鮮烈な姉弟チームの登場

トリノオリンピックのあと、2006-2007シーズンが始まる頃だったと記憶している。ベテランのジャッジ、故・藤森美恵子さんから「じつは、すごいアイスダンスカップルが今度日本にできるのよ」と教えてもらったことがあった。それが、キャシーとクリス、リード姉弟のことを耳にした最初だった。笑顔で興奮気味に語る藤森さんの様子から、これはかなり期待できる逸材なのだろうと想像した。

 

2006年 All Japan Medalist on Ice

 

 

2006年12月、初めて全日本選手権で2人を見たときの衝撃は忘れられない。当時19歳と17歳。長身で抜群のスタイルと演技力、なにより氷上で放たれる華やかさに驚かされた。世界クラスのシングルスケーターを輩出するいっぽうで、強化の必要性がつねに叫ばれてきた日本のカップル種目。スケート関係者の夢を託すに十分な才能だと確信した瞬間だった。この年、2人は全日本選手権の銀メダリストになった。

 

 

「日本の観客は温かいです。ファンのために、そして自分たちのために、日本代表として誇りを持って滑っていきたい。」それが、試合を終えた2人の第一声だった。

 

アメリカのホープから日本のエースへ

クリスは1989年7月7日生まれ。2歳上の姉キャシーと5歳下の妹アリソンの3人きょうだい。フィギュアスケートが好きだった母・典子さんの影響で、3歳のとき初めて氷上に立ち、5歳からスケートをはじめた。2001年からキャシーと組んで、アイスダンスに転向した。2005年から、当時、新進気鋭のコーチだったニコライ・モロゾフに指導を受けるようになると、一気に才能が開花。2006年全米ノービス選手権で優勝を飾った。

 

 

そして、日米両国の国籍をもっていた2人は、日本代表として活動する道を選んだ。2007年に全日本選手権で初優勝を飾ったのを契機に、キャシーとクリスは日本のトップチームとして、世界を舞台に活躍するようになった。全日本選手権7回優勝、オリンピック2回出場、世界選手権では8回連続出場という、トップチームとして揺るぎない地位を築き、アイスダンスの普及におおいに貢献した2人。2014年の全日本選手権は、アイスダンスに7組出場というかつてない盛況ぶり。そのとき、クリスがこう話していたことが強く印象に残った。

 

2014年 全日本選手権

クリス・リードさん

「7組のチームと試合することで、もっともっとやる気が湧いてきました。先へ進もうといま強く思っています。もっと増えてほしい」

アジア人として初の歴史的快挙

キャシーは2015年4月、世界国別対抗戦を最後に競技から引退し、指導者・振付師に転向した。クリスは新たに村元哉中と組むこととなり、アイスダンサーとしてさらなる進化を遂げた。もともと思いやりのある、ユーモアあふれるキャラクターの持ち主だったが、カップル種目の男性に望まれるリーダーシップと包容力が一段と増し、アイスダンサーとしての成熟がうかがえるようになったのだ。村元とのチームでは、2018年夏にチームを解消するまで、全日本選手権3回優勝、3度目となるオリンピックで日本人最高位に並ぶ15位、2018年世界選手権では日本人最高位の11位という成果を残した。なかでも、2018年四大陸選手権では、アジア人アイスダンスチームとして初めてISU選手権のメダルを獲得。日本のアイスダンス界にとって歴史的快挙を成し遂げた。

 

2018年 四大陸選手権

クリス・リードさん

「日本のアイスダンス界の成長はもちろん目標ですが、アジア全体でアイスダンスが育っていけばいいなと思っています。」

「アイスダンスはぼくたちの人生です」

しかし、華々しい活躍のいっぽう、クリスの競技生活は怪我との戦いでもあった。とくに膝の怪我には悩まされ続けた。手術後の経過を心配する記者たちに向かって、「ロボコップみたいでしょう」と冗談で返したこともあった。それでも、4回もの膝の手術を受けてもなお、クリスのアイスダンスへの情熱が衰えることはなかった。

 

2015年 世界選手権

クリス・リードさん

「アイスダンスはぼくたちの人生です。何年もアイスダンスをしてきて、もうぼくたちの一部になっている。息をするようなものなんです。」

 

競技生活を支えた最大のサポーターは、もちろん母・典子さんだった。スケートについても詳しく、競技の面でも精神的な面でも励まし導く、最大の理解者。キャシーとクリスの衣装をデザインした年もあった。そんな母をクリスは「スーパーママ!」と評した。

クリス・リードさん

「アスリートには必ず応援してくれる両親がいるものだと思います。両親の助けなしで成功するアスリートは少ないと思う。最高のサポーターです。」

選手時代から後進の育成に尽力

 

自らアピールすることはなかったが、クリスは選手時代から、オフシーズンには、後進の指導にも熱心に力を尽くしていた。日本スケート連盟が毎年行っている「アイスダンストライアウト」にモデレーターとして参加し、アイスダンス選手を志す子どもたちに、とくに難しいとされるリフトのコツを、わかりやすく、ユーモアを交えて教えていた姿が懐かしく思い出される。アイスダンスはフィギュアスケート種目のなかでも、ひときわ華やかに見える種目だが、その華やかさを支えているのは、やはりしっかりとした技術だ。クリスは、自分たちがニコライ・モロゾフ、シェイリーン・ボーン、マリーナ・ズエワらアイスダンス界を代表するコーチに学んだことを後輩たちに伝えていくことを楽しみにしていた。そしてそれが、のちに彼のセカンドキャリアにおける夢へと育っていった。

クリス・リードさん

「日本に常設のアイスダンススクールがあれば、本当にいいだろうなと思います。アメリカやカナダには、アイスダンス専門のリンクがあるから。」

 

クリスは、2019年12月31日、競技から引退を発表。そして、日本でアイスダンススクールを始める――
その夢を実現するときがやってきた。先に、日本でコーチ・振付の仕事をはじめていた姉・キャシーに合流するかたちで、大阪に新しくできた関空アイスアリーナを拠点に、「木下グループ・アイスダンスアカデミー」のコーチとして、未来のオリンピアンを育成していくはずだった。12月25日、リンクのオープニングセレモニーには、キャシーとともに出席し、笑顔を見せていたクリス。
今年に入り、3月11日に更新されたブログには、日本に拠点を移す準備中であること、そして「このコロナウィルスで日本にいくのがおくれます。はやくコロナウィルスがなくなってほしいな・・・みんなきをつけてね」と書かれていた。

 

 

2010年、バンクーバー・オリンピックのシーズン。オリジナルダンスの曲は「さくらさくら」。キャシーの鮮やかな着物とクリスの羽織袴をアレンジした衣装は氷上に一段と映えた。2018年、平昌オリンピックのシーズンの坂本龍一の音楽を使用したフリーダンスも「桜」をテーマにしたプログラム。クリスには、日本を象徴する「桜」が、よく似合っていた・・・・・・。日本で例年よりかなり早い桜の開花宣言があった3月14日。彼は30歳の若さで、心臓突然死のため、帰らぬ人となった。

キャシーと向かうはずだった新しいジャーニー

姉・キャシーさん

 

 

3月21日、クリスの告別式がミシガン州のシュレーダーハウェル葬儀場で営まれ、WEBサイトやフェイスブック、インスタグラムでライブ配信された。キャシーは、英語に先立ち、まず日本語で弔辞を述べた。

キャシーさん

「皆さん、クリスと私はいつも一緒です。私はクリスのお姉さんでも、クリスはリーダーで私をリードしてくれました。」

 

あふれる涙をこらえきれずに、キャシーは語り続けた。自分がシリアスなとき、クリスがジョークを言ってくれたこと、また心配しすぎているとき、ポジティブでいてくれたこと。クリスとともに、日本の未来のアイスダンスチームを育てようとさまざまな計画やアイディアを共有していたこと、これからそのジャーニー(旅)を一緒に始めることを楽しみにしていたこと……。

キャシーさん

「クリス。あなたの声が懐かしい。あなたのスマイルが懐かしい。あなたと手をつなぐことが懐かしい。クリス、あなたのために強くなりたい。そして、私のアイスダンススクールを続けていきたい。だから、私をこれからもリードしてね。」

2015年 姉・キャシーとクリス

 

キャシーは、こう締めくくると、次に弔辞を述べる妹アリソンと固く抱きあった。
クリスはキャシーについて、かつてこう話していた。

クリス・リードさん

「キャシーはとても熱心で、いつも一生懸命です。どんなことがあっても絶対に諦めない、強い人。ぼくが大変なときにはいつも励まし助けてくれます。」

 

新しい世代のスケーターの育成に情熱を抱いていたクリスの思いを実現するために、キャシーはクリスの名を冠したメモリアル基金を設立することを考えているという。クリスの思いは、世界中のフィギュアスケートを愛する人々と共有されていくことだろう。クリスのアイスダンスへの情熱と献身に、あらためて感謝の思いを捧げるとともに、余りにも早すぎたその逝去を心より悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。

鈴木和加子

フィギュアスケート専門誌「ワールド・フィギュアスケート」(新書館)の編集長。オリンピックや世界選手権をはじめとする競技会や国内外のアイスショーなど、フィギュアスケートのさまざまなイベントを取材している。

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