ストーリー水泳

声援がない五輪?井村ジャパンの秘策とは

2020-11-19 午後 03:00

名将 井村雅代ヘッドコーチ率いるアーティスティックスイミング(かつてシンクロナイズドスイミング)の日本代表がいま試練に直面しています。

 

新型コロナウイルスの影響で、来年の東京オリンピックで感染の恐れがあるとして会場での声援が禁止される可能性が出ているのです。

 

アスリートを奮い立たせ、時に勝敗をも左右するファンの声援。せっかくの地元開催のオリンピックなのに、その後押しを受けることができないかもしれない。そんな逆境の中、井村ジャパンはそれを逆手にとった、ある“秘策”を模索しています。

“声がない”異例の大会

 

新型コロナウイルスの感染拡大以降、初めての全国大会となったアーティスティックスイミングの日本選手権が11月、山口市で開かれました。

 

しかし、その会場の雰囲気はこれまでと大きく様変わりしていました。いつもなら演技の前後には会場から歓声があがりますが、今回聞こえてくるのは、まばらな拍手と選手の荒い息づかいだけ。

 

会場で取材していると、演技の内容が良くても会場の反応が極めて薄いため、演技の出来がいまひとつだったようにすら見えてしまう印象でした。

 

吉田 萌 選手

吉田 選手

反応があるとこちらもテンションが上がる。演技を始めるときや終わったときに声援がないのは少し寂しい。

 

選手からこんな嘆きの声すら漏れた大会は、徹底した感染対策がとられました。一般の観客は一切入れず、観客席にいる選手やコーチでも声を出した声援は禁止されたのです。

 

選手も水中での練習や演技以外ではマスク着用が義務づけられ、プールの外で振り付けのタイミングをあわせる練習をするときにも声を出すことが禁止されました。さらにコーチもマスクを着用、大声をあげての指導は最小限にするよう求められました。

“審判も人間”声援の効果は

声援の禁止は、審判の採点にどんな影響を及ぼすのか。来年の東京大会が実に10回目のオリンピックという井村ヘッドコーチは、日本への大声援という地元ならではの強みを利用する戦略だったといいます。

 

 

井村コーチが想定していたのは、シンクロナイズドスイミングと呼ばれていた2000年、日本が初めて銀メダルを手にしたシドニーオリンピックの演技です。水中に入る前の陸上動作に、空手の「礼」や「突き」を取り入れるという、斬新な演技で会場を大きく沸かせ、2人の審判が満点をつけました。

井村 ヘッドコーチ

審判も人間なので会場の雰囲気をどこか無意識に気にしている。すごい声援の中では何点か気持ちがそっちに偏っていくのは私の経験から絶対ある。それを利用しようと思っていたんです。それがないとなったら、その分を何かで審判に訴えかけないといけない。

 

数々の世界大会で審判の経験がある日本水泳連盟の本間三和子委員長も、会場の反応は審査に影響を及ぼすことがあると証言します。

 

本間 委員長

日本水泳連盟 アーティスティックスイミング 委員長 本間 三和子 さん

審判は演技中は見ることに集中しているが、会場の雰囲気はどこかで気にしている。例えば予選で、演技の出来と点数に開きがあって会場からブーイングが起きた場合、それが決勝の審査に影響する面はある。観客の反応も踏まえた審判どうしの空気感で点数の相場が決まってくる。

会場の静けさを味方に

せっかくの母国開催のオリンピックなのに、地元の大声援が受けられないかもしれない。そんな予想外の事態に井村ヘッドコーチはある“秘策”を考え始めています。

 

その鍵を握るのが大沢みずほさん、井村コーチと20年以上コンビを組み、日本代表が使う曲を手がけてきた作曲家です。

 

作曲家 大沢 みずほ さん

 

大沢さんがいま検討しているのが、演技で使う曲の改良です。静かな会場でも演技が引き立つよう「音の強弱」を際立たせようというのです。

 

日本代表がオリンピックで演技する4つの種目のうち、声援を最も意識して曲が制作されたのが、8人で泳ぐチームのフリールーティン、会場が盛り上がる日本の祭りをテーマにしました。

 

 

この曲では、途中で力強い曲調から一転して、静かなメロディーに変わり、和歌が流れるところがあります。これまではこの静かな場面でも、声援にかき消されず選手の耳にも届くよう、音量を大きくしていました。

 

しかし、静かな会場になれば、静かな場面で音量を思い切って下げることができます。修正を加えた曲では、音量計の針は音量が少ない左側にとどまり、静かなメロディーになるときに音量が十分に下がっていることがわかります。

 

会場の静かな環境を逆手にとって、音の強弱を際立たせることで、審判に日本らしさをより印象づけようという狙いです。

 

大沢 さん

ライバルのロシアや中国が速くパワフルな演技なのに対し、技術が高い日本はスローテンポな部分も表現できる。日本の“わびさび”を表現できる選手のよさを、音楽でよりよく見せたい。

演技でもメリハリを

 

演技面でも、井村コーチはこの強弱をつけた曲を最大限生かす模索を始めています。目指すのは、大沢さんのいう“わびさび”。

 

静かな場面では、ゆっくりとした動きの中でも足先までピタリと合わせる同調の技術を極限まで高めようとしています。逆に大きな音で力強さを表現する場面では、細かく激しい動きをたたみかけるパワーとスピードで、演技のメリハリを際立たせようと厳しいトレーニングを重ねています。

待ってろ世界!

東京オリンピックまで残すところ8か月あまり。

 

日本選手権での演技は、力強さを示すはずのアクロバティックなリフト技が不発に終わるなど挑戦はまだ途上です。プールサイドで演技を見終えた井村ヘッドコーチは「見る人が声を出したくなるような演技をしないと、声を出さなくてもストレスがたまらない演技ではダメ」と、あくまでも指導の手を緩めません。

 

40年以上、第一線で指導を続けてきた井村コーチ。コロナ禍というこれまで経験の無い逆境さえも、したたかに日本の強みへと変えようとしています。

 

井村 ヘッドコーチ

オリンピックまでもう1年時間ができたので、選手にはよりレベルの高い演技を求めたい。どこから見られても本物の強い選手になって、いい演技をすれば声援はなくても絶対に審判は認める。『待ってろ世界!』です。

この記事を書いた人

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橋本 剛 記者

NHK社会部記者として東日本大震災からの復興や環境問題を取材した経験を持つ。東京オリンピックに向け、2018年からは競泳取材にも力を入れる。

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