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特集 氷上の表現者・髙橋大輔 NHK杯フィギュアと共にたどる足跡

フィギュアスケート 2020年10月30日(金) 午後7:40

圧倒的な表現力で世界のトップを走り続けてきたフィギュアスケーター、髙橋大輔選手。世界一とも評されるステップで日本男子初のオリンピックメダリストに輝きました。NHK杯には9回出場し、男子シングル最多の5回優勝。そして今年、アイスダンスでNHK杯に挑みます。氷上の表現者・髙橋大輔、NHK杯の足跡をたどります。

 

かつて引っ込み思案な少年だった髙橋選手のシニアデビュー戦

髙橋選手自身が「たくさんの思い出がある」と言うNHK杯。今回、ご本人とともに振り返りました。

 

 

髙橋選手のNHK杯デビューは2002年。当時16歳、大歓声で迎えられました。

 

試合前、意気込みを語る髙橋選手

 

前年度の世界ジュニアで優勝。期待の新人のシニアデビューに注目が集まりました。

 

ショートプログラムにて 選曲は「Hero’s Symphony」

 

ショートプログラムは、やや硬さの残る演技でため息を漏らすシーンも。

 

 

本人も「緊張した」 というNHK杯デビュー。それでも、演技後は16歳らしい晴れやかな笑顔を見せました。

 

期待を背負って滑りきったフリー

 

翌日のフリー。初出場で大健闘の8位という結果を収めました。

当時の自分の姿に髙橋選手は、「スピンもクソ下手…本当にスピンもド下手だったんで。見れないです。本当にへたくそだったんで 」。

 

少年時代の髙橋選手

 

髙橋選手がスケートを始めたのは8歳の頃。家の近くにスケートリンクができたことがきっかけでした。引っ込み思案だった少年時代。スケートだけが唯一自信を持てるものでした。

学校生活も、あまりうまく輪に入れるタイプではないし、スケートをしたことによっていろんな人が評価してくれたというのがちっちゃいころから多分あったと思う。自分自身でほんとに自信がないんで、一番自信持ってるとこがスケートだった」(髙橋選手)。

 

髙橋選手の憧れだったアニシナ/ペーゼラ組

 

子どもの頃の髙橋選手が憧れたのはシングルではなくアイスダンスの選手たち。氷の上で美しく踊る男女の姿をテレビで見て、惹かれていきました。

 

当時を振り返る髙橋選手

 

アイスダンスの試合を見ると練習に行きたくなったという髙橋選手。
「いつかあんなふうに踊れる選手になりたい」 その一心でステップを磨き上げてきました。

 

アイスダンスのステップを練習で試す髙橋選手

世界一のステップ誕生から2007年NHK杯連覇まで

初出場から3年が経った2005年。ここで、世界一と称される髙橋選手のステップがベールを脱ぎます。

 

世界で初めてステップでレベル4を獲得

 

ショートプログラムで風格すら感じる演技を披露し、ステップで最も高い評価にあたる「レベル4」を獲得。世界で初めての快挙でした。

 

キスアンドクライにて、納得の表情を見せる髙橋選手

 

ショートプログラム1位で迎えたフリー。結果は3位。本人は納得していました。

しかし、当時コーチをしていたニコライ・モロゾフの評価は厳しいものでした。

 

厳しいまなざしを向けるモロゾフコーチ

 

「3番で納得しているのか。お前は3番で喜ぶようなところにいるスケーターじゃない」と言い続けたモロゾフコーチ。
「世界のトップを目指そう」。髙橋選手は決意しました。

 

当時を振り返る髙橋選手

 

トリノオリンピックを経験し、迎えた2006年シーズンのNHK杯。

 

ショートプログラムで1位に輝く

 

ショートプログラム、素晴らしい演技でトップに立ちます。

 

優勝がかかったプレッシャーに襲われる

 

初優勝がかかったフリーの直前、髙橋選手はプレッシャーに襲われていました。

 

コーチと共に得点発表を待つ

 

かつて経験したことのない緊張感の中で滑った4分30秒。全てのジャンプをミスなしで決め、見事NHK杯初優勝を達成します。

 

世界に衝撃を与えた革新的なプログラム

 

連覇を目指した2007年。この年披露したのが、髙橋選手の名を世に知らしめたあの革新的なプログラム、ヒップホップ調にアレンジした「白鳥の湖」です。フィギュア界に衝撃を与えました。

 

連覇を達成したフリー「ロミオとジュリエット」

 

フリーは一転して古典なフィギュア曲「ロミオとジュリエット」。
髙橋選手はNHK杯で日本男子として26年ぶりとなる連覇を達成、絶頂期を迎えていました。

怪我を乗り越え五輪メダル獲得までの道のり

しかし、その翌年の2008年、髙橋選手は選手生命をも危ぶまれる大怪我を負いました。

練習中に右膝前十字じん帯を断裂。

 

右膝のレントゲン写真

 

手術に踏み切りワンシーズンを棒に振ることになりました。

バンクーバーオリンピックまでは1年半を切っていました。

 

スケートへの思いを語る髙橋選手

 

入院生活が続く中、強くなっていくのは“スケートがしたい”という思い。
先の見えない厳しいリハビリをしながら、もう一度リンクに立つという思いが心の支えでした。

 

2009年NHK杯ショートプログラム

 

オリンピックを3ヵ月後に控えた2009年のNHK杯。そこには髙橋選手の姿がありました。
ジャンプが決まらず結果は4位。髙橋選手本来の姿とは程遠い状態でした。

 

そして、バンクーバーオリンピックが開幕。

 

2010年バンクーバーオリンピック 会場入りする髙橋選手

 

なんとか代表の座を勝ち取ったものの、怪我をした膝は万全ではなく、ぶっつけ本番ともいえる状況でした。

試合を戦うという気持ちでバンクーバー五輪のシーズンを過ごせてなくて、なんとか戻さなきゃ、戻さなきゃと」。髙橋選手は必死でした。

 

怪我を乗り越え挑んだショートプログラム

 

迎えたショートプログラム。髙橋選手は持てる力を出し切りました。右膝の怪我を感じさせない演技で3位につけます。

 

メダルを手に晴れやかな表情を浮かべる髙橋選手

 

日本男子史上初のメダルをかけたフリー。髙橋選手は世界一の華麗なステップを披露し、最後まで滑り切りました。強い精神力で怪我と戦い続けた髙橋選手は、ついに銅メダルを手にします。その色は何色にも代えがたい輝きを放っていました。

今も語り継がれる唯一無二の表現力

2010年NHK杯ショートプログラム

 

2010年シーズンのショートプログラムとして作られた「マンボ」。今も語り継がれる髙橋選手の代表作です。

 

 

髙橋選手はこの「マンボ」についてこう話しています。
ファンの方も応援しながら、『来たよ来たよ』みたいな、高揚感みたいな、そんなに盛り上げてくれるなら頑張るしかない!みたいな。なかなか試合で盛り上がるプログラムに出会うのって難しいと思うので、ああいうエンターテイメント性の高いプログラムに出会えて良かったと思います。」

 

2010年NHK杯フリー

 

フリーでは「ブエノスアイレスの冬」。「マンボ」と全く違う髙橋選手の魅力を引き出す作品となりました。

この年、3回目のNHK杯優勝。また一つ歴史を積み重ねたのです。

 

多彩な表現力で観客を魅了する髙橋選手

 

同じ年のエキシビション、髙橋選手はまた新たな一面を見せました。
音楽を体全体で表現する滑りに、見るものは心を奪われます。

 

曲調に合わせてさまざまに演じ分ける表現力。それこそが髙橋選手最大の魅力です。

4回目のNHK杯優勝を経て集大成のソチオリンピックへ

2011年、この年は髙橋選手ならではの表現力を前面に押し出したプログラムに挑みました。ショートプログラムでは場内がスタンディングオベーション。髙橋選手は「衣装、髪型、全てにおいて自分にどハマりな演技ができて、自分のパフォーマンスとしても本当に完璧だなって思えるプログラムだった」と振り返ります。

 

2011年NHK杯ショートプログラム

 

フリーは「ブルース・フォー・クルック」。難しい曲調を、ここでも髙橋選手は見事に演じます。ハイレベルなプログラムをこなし、NHK杯4回目の優勝。表現者としてまた一歩階段を登りました。

 

難しい曲をものにして4回目の優勝

 

2012年、NHK杯3連覇をねらう髙橋選手。
のちにオリンピックチャンピオンとなる羽生結弦選手との直接対決が待っていました。

 

公式練習

 

(羽生選手は)どんどん伸びるというか、若いので、気持ちとしてもどこまでも行けると思ってるでしょうし。まったく疑いはないと思って成長できるっていう段階じゃないですか。その勢いっていうのはすごくこわいし脅威なんですけど。でもそういった意味で僕自身も負けてらんないっていうモチベーションにはなるので。しんどいですけど、いてくれることは自分にとってもいいし、フィギュアスケートの男子にとっても日本の男子にとってもすごくいいなって思ってます。正直しんどいですけど(笑)」

このとき、髙橋選手は26歳。まだ負ける気はありませんでした。

 

ショートプログラムではまさに氷の上のエンターテイナー。日本男子フィギュアの第一人者としての貫禄を見せます。

 

2012年NHK杯フリー

 

会場をディスコクラブへと変化させた髙橋選手の演技。羽生選手に続いて2位で折り返します。

 

2012年NHK杯表彰式

 

フリーの結果、わずかな差で羽生選手が優勝。
この結果を受けて、髙橋選手の心の中である変化が芽生えていました。

負けてスッキリした部分もあると思うんで。あまり強くいようと思わずに、弱いアスリートもいてもいいんじゃないかな?くらいの勢いで受け入れているので。何か自分を追い込み過ぎてたなっていうのを感じて、やっぱ詰まっちゃってた、自分の中で。見えなくなっちゃってた。要はこう『ああ詰まってるな』と思って、一瞬引いて、抜いて、で、またスタートみたいな」 

トップに上り詰め、決意した思い

2013年、髙橋選手が集大成と位置付けたシーズンが始まります。

 

2013年NHK杯ショートプログラム

 

選んだショートプログラムは「バイオリンのためのソナチネ」。そしてフリーは「ビートルズ・メドレー」。しかし、この年は肝心の成績がついてきません。

 

2013年GPSアメリカ大会4位

 

グランプリシリーズ・アメリカ大会は4位。NHK杯の結果次第では、3ヵ月後に控えたソチオリンピック代表の座も危ぶまれます。

 

2013年NHK杯ショートプログラム

 

大きなプレッシャーがかかる中で挑んだNHK杯・ショートプログラム。追い詰められた状況で完璧な演技。その表情には自信がみなぎっていました。

 

2013年NHK杯フリー

 

翌日のフリー。NHK杯初出場から11年、髙橋選手は、支えてくれた人たちへ感謝の想いを込めて演じます。

「ほんとに感動したって、みんなに言ってもらえる演技が、やっぱり見てよかったなと言ってもらえるようにしたいな。それだけかなと思いますね。」 

 

男子シングルとして最多の5回目の優勝を達成

 

男子シングルで最多となる5回目の優勝。拍手が鳴り止むことはありませんでした。

NHK杯を終えた髙橋選手はソチオリンピックに出場。

その後、引退を発表しました。

アイスダンスに転向し新しい挑戦をスタート

あれから、6年。髙橋選手は今、再び現役のスケーターとしてリンクに立っています。

 

ペアの村元選手と練習に励む髙橋選手

 

小さい頃に憧れたアイスダンスの選手として新たな挑戦を始めたのです。

 

髙橋選手

 

簡単そうに見えるけどまったくできる気がしないです僕も一応世界でメダルとってますけど、始めたてのスケーターみたいになってますから。めちゃくちゃ大変ですけど、吸収することだらけで吸収することしかなくて本当にやって良かったなって思います。これからもできるだけ長くパフォーマンスできるうちはしたいな。」 
髙橋大輔選手・34歳。唯一無二の表現者が、スケート人生第2章を歩み始めます。

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