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「パラ出場のために足を切るか」 車いすバスケットボール・出場資格巡る波紋

2020-10-30 午後 01:35

パラリンピックの人気競技車いすバスケットボール。今、世界各国の代表選手などが次々と出場資格を奪われる事態が起きている。発端はことし1月、IPC(国際パラリンピック委員会)が国際車いすバスケットボール連盟に対して出した声明だ。

 

「障害の基準を満たさない選手が含まれるおそれがある。このままでは東京大会から除外する可能性がある」。

 

パラリンピックでの競技実施すら危ぶまれる事態の中、選手たちは「障害の基準」を満たすのか改めて審査されている。パラリンピックを目前にして選手たちの間に引かれた、障害のボーダーライン。翻弄される当事者たちの声に迫った。

10代の若者に迫る決断

オスカー・ナイト選手

 

「他にパラリンピック出場の方法がないのなら、足を切断します。大きな決断ですけど、僕にとって車いすバスケットボールの方がずっと大事なんです。」

 

17歳の車いすバスケットボール選手のインタビュー映像を目にして、取材チームは衝撃を受けた。

語ったのは、将来のイギリス代表選手を育てるアカデミーのメンバーに選ばれている、オスカー・ナイト。家の中では立ち膝で移動することもあるが、日常生活では車いすを使用していると言う。診断の結果はCRPS(複合性局所疼痛症候群)。けがなどをきっかけに体が原因不明の反応を示し強い痛みなどが続く。痛みで歩くことができず足の筋力が低下してしまったため、ハーフパンツからのぞく彼の両足は一般的な少年に比べてかなり細い。

 

自宅でのナイト選手

 

IPCの声明を受けて実施される再審査では、彼の症状は「障害の基準を満たさない」とされる。IPCに基準の見直しを求めるネットの署名活動に参加したが、IPCが方針を見直さなければ、冒頭のインタビューで語った「足を切る」選択をすることも考えている。

 

「歩けない自分にとって、足は役に立たないものです。できるのはカッコいいスニーカーを履くことぐらいなんだから。」

 

揺れるボーダーラインに翻弄され、10代の若者が重大な決断を下そうとしている。

パラリンピックを目前に失われた夢


ひとり練習を続けるジョージ・ベイツ選手

 

ナイトが憧れるイギリス代表の中にも、突然出場資格を失った選手がいる。

ジョージ・ベイツ、26歳。ポイントゲッターとして、イギリス代表の東京パラリンピック出場権獲得に大きく貢献した彼もまた「CRPS」を抱えて生きてきた。痛みを和らげるための薬は1日3回飲む必要がある。痛みで動かせない足の筋肉は衰え、リハビリを重ねた今も歩くためには杖が欠かせない。

 

今年7月、突然出場資格を失った日のことを、ベイツはこう振り返る。

 

ジョージ・ベイツ選手

 

「宣告された時は涙が止まらず、かなり動揺したよ。僕にとって車いすバスケットボールは、人生そのものだから…。」

 

ベイツが「CRPS」と診断されたのは11歳の時。サッカーの練習で足を軽くひねった後、経験した事のない激しい痛みを感じるようになったことが始まりだった。

 

「ひざに熱いナイフを刺されて、ぐりぐり動かされているような感覚なんだ。12~13歳の時には自殺も考えたよ。痛みに耐えられなかったからね。」

 

少年時代のベイツ選手

 

ベイツの人生の支えとなったのが、車いすバスケットボール。パラリンピックで活躍する代表選手の姿を見て、同じ舞台に立つ事が目標になった。そしておととし、世界選手権に初出場。決勝ではシュートの成功率が9割近くに達し、最多得点をマーク。イギリス代表を優勝に導いたのだ。

 

「車いすバスケが僕を救ってくれた。パラリンピックで金メダルをとれたらいうことはありません。私を立ち直らせてくれた夢が奪われたら、耐えられません。」

IPCが定めた「障害の基準」

東京大会を目前に、なぜこのような事態になったのか。背景にあるのは、国際車いすバスケットボール連盟とIPCの間に、「障害者スポーツ」の捉え方の違いがあったからだ。

これまで車いすバスケットボールは、健常者のように走ったりジャンプしたりできない選手には広く出場を認めてきた。その上で、障害の程度にかかわらず選手がプレーできる、独自のルールを設定した。

 

障害の程度に応じた持ち点のルール

 

選手にはそれぞれ障害の程度が軽いほど数字が大きくなる持ち点(1.0~4.5)がある。コートでプレーする5人の合計は14点以内。障害の程度が軽い選手だけでチームを作ることはできず、障害の重い選手などにも出場機会が与えられるように工夫している。

 

しかしIPCは、パラリンピックの出場資格の基準を満たさない選手がいる可能性を指摘した。IPCが定める障害の基準は以下の10種類に絞られている。

1.筋力低下 2.他動関節可動域障害 3.四肢欠損 4.脚長差 5.低身長 6.筋緊張亢進 7.運動失調 8.アテトーゼ 9.視覚障害 10.知的障害

 

17歳の少年・ナイトやイギリス代表・ベイツが抱える「CRPS」は、IPCが定めた10種類の基準には該当しない。足の筋力低下も、痛みが原因の場合は対象外となるため、彼らに出場資格は認められないことになる。

 

IPCは各競技で障害のクラス判定に統一した基準を求めている

 

「CRPSによる痛みは数値化するのが困難です。痛みの感覚は一人一人異なります。パフォーマンスへの影響を科学的に計測することもできないのです。」

 

IPCの広報部長・クレイグ・スペンスは、CRPSなど「痛み」の症状が基準から外れている理由をそう説明する。

痛みはその選手の「主観」であり、薬や体調で変化するため厳格に数値で評価することに難しさがある。同様の理由で、PTSD(心的外傷後ストレス障害)など心因性の症状や、慢性疲労症候群など「疲労感」という感覚が症状になる疾患も、出場資格から外れることになる。

 

スペンスは、IPCがなぜこの基準を厳格に適用するのか、あえて強い表現で語った。

 

クレイグ・スペンス IPC広報部長

 

「基準を10種類に絞ることで、価値あるパラリンピックが開催できるのです。グレーゾーンはありません。白か、黒かです。」

 

IPCにとって出場資格の判定は、パラリンピック競技の根幹を守るための最重要課題。障害のクラス分けへの信頼が揺らげば「競技の公平性」が疑われ、大会やメダルの価値も失われると考えている。そのためIPCは障害の基準を明確化し、あいまいな要素は徹底的に避けようとしているのだ。

アスリートのために この先求められるのは

IPCは各競技団体に対して、この基準に沿うクラス分けのルールの整備を呼びかけてきたが、競技をあまねく多くの人に楽しんでほしいと考えてきた国際車いすバスケットボール連盟は対応が遅れた。そのため東京大会直前になって選手たちに「再審査」を実施することになり、突然の出場資格剥奪という、選手にとって辛い決定が世界各地で起きる結果となってしまったのだ。

 

日本代表候補も全選手が再審査の対象に

 

その影響は日本にも及んでいる。これまでに出場資格の再審査で除外されたのは世界各国の9人。そのうち一人が日本の女子選手だ。今後年末までに代表候補の選手を対象に再審査が行われ、その結果を踏まえたうえでIPCが東京大会で競技を中止するかどうかを判断する見込みだ。

 

日本パラ陸上競技連盟の理事・指宿立(いぶすき・たつる)は、クラス分け判定の国際的な資格を持ち北京とロンドンでパラリンピック国際クラス分け委員を務めた。その経験から、クラス分け判定の難しさを語ってくれた。

 

「クラス分けを判定する際に、非常にオーバーに表現する選手がいるのは事実です。中には自分が少しでも有利になるクラスに判定してもらいたいと考える選手がいることは問題になっていました。」

 

「足を切ってでもパラリンピックに出たい」と語ったオスカー・ナイトのように悲痛な声をあげる選手たちに対しては、十分な対話と冷静な議論が必要だと呼びかけた。

 

指宿立はクラスを判定する立場からこの問題と向き合う

 

「車いすバスケットボールのナイト選手が言うように、単に『四肢欠損』と判定されるために足を切断したら競技ができるか、ということには私は疑問を持っています。切断した後にCRPSの症状がひどくならないか、他の合併症や感染症が起きないかが心配ですし、何より道義的な問題があります。私はこの問題に対しては、IPCもCRPSのような痛みの症状で悩む選手の存在を踏まえて、もう一度議論をしていく場が必要ではないかと考えます。」

 

 

IPC(国際パラリンピック委員会)

パラリンピックの価値を高める上で、「競技の公平性」を明らかにするルールの厳格さは必要。

 

国際車いすバスケットボール連盟

「あまねくスポーツを多くの人に楽しんでほしい」という車いすバスケットボールが長年積み上げてきた歴史がある。

 

それぞれの立場を踏まえて、選手の救済のために何ができるか。指宿は続ける。

 

「車いすバスケットボールが、ランニングバスケットができない選手を広く対象としてきたことは、非常にすばらしいことです。ただ今回IPCが指摘している、『IPCの規則に準じてクラス分けの定義をしてください』ということも正しいわけです。これはやはり、IWBF(車いすバスケットボール連盟)とIPCがクラス分けのルールの整備について、もう少しきちんと話をしながら進めていく事、課題を今後解消していくことが必要だと思います。」

 

 

今回再審査を受けた日本選手は取材に対して、やりきれない思いを口にした。

 

「突然出場資格を奪われるのは選手の人生を踏みにじる行為。どこかに線を引くのは必要だと思うが、尊重すべきは選手の人生だと思う。」

 

「資格を失う事になっても車いすバスケを好きなまま引退できる方法まで考えてほしい。」

 

簡単に結論が出る問題ではない。アスリートが一番幸せな形で前に進むために何が必要か、広く議論が求められている。

 

サンデースポーツ・サタデースポーツ

 

この記事を書いた人

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金沢 隆大 記者

平成24年入局

広島局、大阪局スポーツを経て報道局スポーツニュース部に移動。広島では主に事件担当、大阪ではプロ野球(阪神・オリックス)、春のセンバツ90回大会、夏の甲子園100回大会を取材。スポーツニュース部ではパラリンピックの担当。小学校から大学まで野球部に所属。

安田 哲郎 ディレクター

スポーツ情報番組部ディレクター 平成18年入局

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