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特集 NHK杯フィギュア羽生結弦10年間の軌跡

フィギュアスケート 2020年6月25日(木) 午前11:49

オリンピック2連覇、男子史上初の主要国際大会6冠を果たした羽生結弦選手。 その活躍は多くの人に勇気と希望を与えていますが、シニアデビューしてから歩んできた10年間の道のりは決して平坦なものではありませんでした。

 

他の追随を許さず、長きに渡りトップスケーターとして君臨する羽生選手の軌跡を、NHK杯フィギュア10年間の記録と共に振り返ります。

天才少年の記念すべきシニアデビュー

 

2010年、羽生選手は15歳でNHK杯に初出場し、シニアデビューを果たします。

 

グランプリファイナル ジュニア 男子 表彰式(2009年)

 

幼少期から頭角を現し、ジュニア時代には世界のタイトルを獲得した羽生選手。そんな天才少年のシニアデビューに周囲の期待は高まりました。

 

初めての4回転ジャンプを成功したフリースケーティング

 

この大舞台で、ショートプログラムは堂々の演技で5位。翌日のフリーでは、自身初となる4回転トーループを見事に成功させて最終結果は4位。大歓声に包まれるなか、華々しいシニアデビューとなりました。

 

 

演技の後にはNHK杯おなじみ「豊の部屋」にも初出演。高橋大輔選手もその才能を高く評価していました。

(※高橋選手のタカははしごだかです。システムの都合上、高橋と表記しています。)

震災を乗り越え挑んだNHK杯から五輪金メダルまでの道のり

凄惨な爪痕を残す「アイスリンク仙台」

 

2011年3月の東日本大震災が発生した当時、羽生選手は練習リンクの上にいました。


「氷なのに波打っていて、靴を履いたまま四つんばいで」避難したといいます。


幼少期から慣れ親しんだホームリンクは閉鎖。練習場所を求め各地を転々とする中で、このままスケートを滑っていていいのか、羽生選手の心は揺れていました。

 

背中を押すきっかけになったチャリティーショー

 

震災から1ヵ月後。迷いながらも参加したチャリティーショーで、自分の演技を見て感動する多くの観客の姿に背中を押された羽生選手は再び歩き始めます。

 

2012年、地元宮城で開催された羽生選手2回目のNHK杯。前に進む勇気をくれた人々への想いを胸にリンクに立ちました。

 

当時の世界最高点を叩き出したショートプログラム

 

ショートプログラムでは4回転トーループを決め、会心の演技で世界最高得点をマーク。続くフリーでも会場を魅了し、自身初となるNHK杯優勝を果たしました。

 

想いを込めて滑ったエキシビション

 

大会を締めくくるエキシビションでは、地元宮城の舞台でどうしても伝えたい想いを胸に演技を披露。観客の感動を誘いました。

 

ここから、羽生選手の快進撃が始まります。

 

2013年グランプリファイナル初優勝

 

2013年のグランプリファイナルで初優勝。

 

翌年2014年、19歳で迎えたソチオリンピックではショートプログラムで当時史上初の100点超えを達成。一夜明けたフリーでも持っている力を出し切り男子シングルで日本初の金メダルを獲得。

 

ソチオリンピック表彰式

 

瞬く間に世界の頂点へ上りつめました。

オリンピックチャンピオンに与えられた試練

オリンピックチャンピオンとして迎えた新シーズン。アクシデントが羽生選手を襲います。

 

2014年11月のグランプリシリーズ中国大会。演技直前の練習中にジャンプの助走で他の選手と衝突。あごや太ももなど5ヵ所を負傷し、全治2~3週間と診断されました。

 

車いすでファンの前に姿を現す羽生選手

 

周りからは3週間後のNHK杯出場が危ぶまれましたが、NHK杯2日前にはリンク上で練習する羽生選手の姿が。

 

会場リンクで練習する羽生選手

 

本番までに氷の上で練習できたのはわずか5日間。強行出場でした。

 

迎えたNHK杯当日。会場の全員が息を詰めて見守った2分50秒のショートプログラムでは、転倒するなどミスが目立ち、結果は5位。

 

翌日のフリーでの巻き返しを狙い、直前練習で何度もイメージトレーニングを重ねます。一つ一つのジャンプを確認していくうちに、脳裏にはあのアクシデントのシーンが蘇っていました。

「誰もいないのに後ろの方向が気になっててうわの空」だったと話します。

 

本番に向け集中力を高める羽生選手

 

恐怖、そして焦り。不安な気持ちを拭いきれないまま本番を迎えました。

 

2014年NHK杯フリー演技終了後

 

そして、けがからわずか3週間で挑んだNHK杯。結果は4位でした。

 

この不本意な結果も、「けがの影響ではなく、今の自分の実力」と受け入れた羽生選手。新たな課題も浮かび上がってきました。

 

 

それは「自分をコントロールする術(すべ)」。苦しみながらも最後まで戦い抜いた経験が、羽生選手をさらなる高みへと押し上げていくことになります。

絶対王者になるまでの長く険しい道のり

2015年、20歳になった羽生選手が、3年ぶりのNHK杯優勝を狙います。

 

ショートプログラムで初めて4回転ジャンプを2本成功させ、世界最高得点をマーク。フリーではさらなる進化を見せ、ジャンプは全て成功。

 

世界最高得点に思わず驚く羽生選手

 

羽生選手自身も信じられないという表情を見せました。総合得点は世界最高得点の322.40点。試合後のインタビューでは「自分自身にプレッシャーをかけて、自分は絶対王者だと言い聞かせて滑った」と話す羽生選手。世界初の300点超えに、誰もが驚きを隠せませんでした。

 

2015年12月グランプリファイナル表彰式

 

そして、1ヵ月後のグランプリファイナルで再び世界最高得点を更新。史上初の3連覇を果たし、絶対王者としての地位をより確実なものにしたのです。

 

2016年11月NHK杯会場入り

 

2016年、NHK杯としては初めての連覇がかかります。


羽生選手は新たに3種類の4回転ジャンプを演技に取り入れていました。中でも、4回転ループは羽生選手が世界で初めて成功させたジャンプです。

 

ショートプログラムでは、4回転ループで着氷が乱れたものの、シーズン世界最高点で首位に立ちます。

 

ショートプログラムで1位を獲得

 

続くフリーでも4回転ループに挑み、NHK杯2年連続3回目の優勝を果たしました。

 

このシーズンに、グランプリファイナル4連覇、さらに世界選手権も制し、オリンピックシーズンへ期待が高まります。

 

2017年のNHK杯。オリンピック連覇に向け、世界最高得点を出した2年前2015年のプログラムに戻し、さらに4回転ジャンプも1種類増やしました。

 

公式練習の様子

 

ところが前日の練習中、新たに増やした4回転ルッツの着氷に失敗し右足首のじん帯を損傷、NHK杯の棄権を決めました。

 

オリンピックまであと3ヵ月、連覇を目指す羽生選手に大きな試練が立ちはだかります。

 

 

迎えたピョンチャンオリンピック。必死のリハビリを重ね、羽生選手はこの舞台に帰ってきました。

 

氷の上での練習を始めたのはわずか1ヵ月前。世界が注目するショートプログラムで、復帰初戦の不安を吹き飛ばす見事な演技。羽生選手は首位に立ちます。

 

ピョンチャンオリンピック ショートプログラム

 

そして2大会連続の金メダルへ、勝負のフリー。けがを乗り越え、王者の滑りを見せた羽生選手は男子シングル66年ぶりのオリンピック連覇を達成したのです。

 

シニアデビュー10年目 NHK杯から歴史的快挙達成へ

2019年、羽生選手はシニアデビューから10年目を迎えました。

 

2019年NHK杯ショートプログラム

 

羽生選手自身が「特別な大会」というNHK杯。強い想いを胸に抱きながら、3年ぶりの出場です。2位に20点以上の差をつけ、ショートプログラムで首位に立ちます。

 

 

翌日のフリーでは195.71点、総合得点305.05点を獲得し、見事4回目のNHK杯優勝を果たしました。

 

史上初の主要国際大会完全制覇達成

 

そして2020年、四大陸選手権で初優勝。
男子で初めてジュニア、シニアの主要大会6冠を達成したのです。

 

15歳でのシニアデビューから10年。


NHK杯フィギュアと共に歩み、世界の頂点へと駆け上がった羽生選手。その物語はこれからも続きます。

 

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