(※2023年8月7日スポーツオンライン掲載)
「最後の夏、校歌を響かせたい」
強豪がそろう神奈川のある高校野球部のキャプテンが語った言葉です。少子化の影響による高校の統合を来年に控え、今の校名で夏の大会に挑むのは最後となりました。勝利をつかめず「敗者」となりましたが、部員たちは全力でプレーし感謝を伝えました。
地域で輝く学生アスリートにスポットをあてるシリーズ”最後の夏”。第6回は神奈川県の公立高校が迎えた最後の夏です。
“少子化”で校名がなくなる
神奈川県中央部に位置する厚木市にある「神奈川県立厚木東高校」。昭和25年にいまの「厚木東高校」の名称に変わりました。近年の少子化の影響を受け、隣接する高校と統合することが2018年(平成30年)に決まりました。これにより、校名が消え、来年(2024年)4月からは、新しい名前に変わります。
“厚木東高校”として出場したい
そうしたなか、特別な思いで最後の夏を迎えたのが野球部です。
部員はマネージャー1人を含めて9人しかいませんでした。単独で出場するには1人足りず、去年秋とことし春の大会は、同じように部員の数が少ない別の高校と合同チームを組んで出場しました。
「このままでは“厚木東高校”として最後の夏の大会に出られない」
危機感を抱いた部員たちは、野球経験のある同級生などに助っとを頼むことにしました。大会前のことし5月になってようやく、大会に出場することが可能な9人を確保できました。そこには、“高校は自分たちだけのものではない”という強い気持ちがありました。
<キャプテン・鈴木空選手>
『この厚木東高校という校名には今まで学校を支えてきた多くの人の気持ちが乗っかっていると思っているので、どうしても合同チームとしてではなく、厚木東高校として大会に出たいと思いました。なんとか出場できてうれしいです』
目標に掲げた“校歌を歌うこと”
「厚木東高校の校歌を球場で歌いたい」
最後の夏の大会出場にあたり、掲げた目標です。
全身にしみこませようとスピーカーから校歌を流しながら練習に臨みました。部員たちは校歌を聞きながらプレーに集中します。
“勝ち負けだけじゃない” チームを支える元マネージャーの思い
部員たちが最後の夏の大会に出場したいという思いを強くしたのは、ある人の支えがあったからでした。
ことし(2023年)3月に卒業した大学生の井上沙絵さんです。卒業するまでマネージャーとして3年間チームを支え続けてきました。実は井上さんは、小学校2年生から高校まで野球を続けた選手でもあります。
兄の影響で野球を始め、ピッチャーや内野を中心にプレーしてきました。高校ではマネージャーを務めながら、外部のクラブチームでもプレーを続けていました。部員が少なく人手が足りないため、ノックをかってでるなど裏方として支えてきました。
<元マネージャー・井上沙絵さん>
『人数が足りないのはしかたがないことだけど、部員が野球をしやすい環境を作ることがマネージャーとして大事だと思っていました。せっかく経験してきた野球があるので、自分ができるのはノックを打つことかなと思ってやってきました』
井上さんは卒業した今でも母校を訪れてノックを打っています。
“勝ち負けよりも野球を楽しんでほしい”
“なくなってしまう高校の名前を背負って思い切ってプレーしてほしい”
井上さんは後輩たちのために1球1球に思いを込めてノックを打ち続けていました。
<元マネージャー・井上沙絵さん>
『正直、捕れなかったら『なんで捕れないの!』とか思ってしまうこともあるんです。でも、諦めないでほしいし、試合でプレーするときの自信にもしてもらいたいので、1球1球『うまくなってね』と気持ちを込めて打っています』
“何を伝えるか” 部員たちが大会にかける思い
「来年には自分たちの高校の名前がなくなってしまう」
最後の夏の大会を控え、選手たちが重ねてきたことがあります。“誰に何を伝えたいのか”をテーマにチームメートが話し合うミーティングです。夏の大会を2日前にした7月10日、選手たちだけで“最後のミーティング”が行われました。
<キャプテン・鈴木空選手>
『楽しく思いっきりプレーしているところが先輩たちに伝わればいい』
<森屋晴仁選手>
『やっぱり校歌を歌うことがすべての人への恩返しになる』
チームメートからさまざまな意見が出され、「高校に関わるすべての人へ校歌を届ける」ことを最後の夏の目標にしました。
“最後の日” 野球部が試合で思いを表現
7月12日。いよいよ迎えた夏の全国高校野球神奈川大会の初戦の日です。「厚木東高校野球部」として臨む最後の大会を見届けようと、スタンドには、在校生や保護者のほか、野球部のOBやOGも駆けつけました。
<野球部OB>
『自分たちもプレーしたこの高校がなくなると思うとさみしい気持ちはあります。やっぱり球場で歌う校歌は格別なので、きょうは一緒に歌えたらうれしいですね』
練習を支えてきた井上さんも大学の授業の合間に応援に駆けつけて試合を見守りました。スタンドで応援する部員はいないため、打順が回ってきた部員の名前が書かれた紙を持って、在校生たちとともに大きな声を出して応援を続けました。
試合は、序盤から相手の攻撃に苦しみました。守備でのミスが重なって大量失点につながり、5回までに12点を奪われました。攻撃では、チャンスを作るもあと1本が出ませんでした。
結果は、0対12。コールド負けでした。なんとか1勝して校歌を歌うという目標は達成できませんでした。
この敗戦で、最後の挑戦は終わりを迎えました。
<キャプテン・鈴木空選手>
『先輩たちに申し訳ないです。厚木東高校として戦ったことを忘れずにしっかり引き継いで新しい高校で次は勝ちたいです』
<元マネージャー・井上沙絵さん>
『後輩たちは必死に戦ってくれたと思います。校歌が歌えなくて残念ですが、厚木東高校の最後の場に立ち会えてよかったです』
先輩たちにささげる”校歌”
敗戦から10日後。慣れ親しんだ高校のグラウンドに姿を見せたのは野球部の先輩たち4人です。部員たちがこれまでチームを支えてくれた先輩たちに感謝の気持ちを伝えようと、呼びかけました。
「敗者」となり、校歌を歌えなかった部員たち。今の率直な気持ちを伝えました。
<キャプテン・鈴木空選手>
『ふがいない結果になってしまってごめんなさい。先輩たちの支えがあったからこそ、最後、厚木東高校として戦うことができました。校名は変わってしまいますが、次の高校では厚木東の歴史を背負うつもりで新しい校歌を歌いたいと思います』
今度は、先輩たちがことばをかけました。ノックをかってでた元マネージャーの井上さんも語りかけました。
<元マネージャー・井上沙絵さん>
『結果はコールド負けという残念な結果だったけど、ふだんみんながやっている野球は見せてもらえたと思います。また来年、新しい高校名になって初勝利できるようにみんな頑張ってください』
そして、球場で歌うことができなかった校歌を歌いました。
校歌の一節にはこんな歌詞があります。
「かはらぬ心 われらのつとめ」
校名が変わっても、厚木東高校とともに歩んだすべての人に野球を通して“変わらない記憶”を残す。これを体現した部員たちの姿が表れている歌詞です。
勝利という“記録”を残すことはできませんでしたが、高校や先輩たち、現役部員たちにとっての“記憶”には強く残った最後の夏でした。