最初で最後のエースナンバー ~最後の夏~

(※2023年7月20日スポーツオンライン掲載)

中学生や高校生のアスリートにとって、特に多くのチームスポーツにとって夏は集大成の試合を迎える季節です。地域で頑張る学生アスリートにスポットをあてるシリーズ”最後の夏”。第3回は滋賀県にある強豪校で最初で最後の晴れ舞台に臨んだ1人の3年生を取材しました。

ことし6月20日。全国高校野球滋賀大会の組み合わせ抽選が行われたこの日。彦根市内で、ある特別な試合が行われました。プレーしたのは、滋賀の強豪・近江高校で最後の夏にベンチ入りメンバーに選ばれなかった3年生たちです。近江でエースナンバー「1」を背負ったのは、3年間の高校野球生活で1度も公式戦に出場したことがないピッチャーでした。

1年生の兄貴分


「まだ1年生には自分がピッチングする姿を見せていないので、最後くらいかっこよく終わりたいなと思っています」

大橋悠馬投手

6月中旬。練習後に笑顔でこう語ってくれたのは近江の3年生・大橋悠馬投手です。

 

近江では毎年6月下旬に、夏の甲子園出場をかけた地方大会でベンチ入りできなかった3年生の「引退試合」が行われます。「メモリアルゲーム」とも呼ばれるこの試合に出場することになった大橋投手。ふだんは1年生部員の世話をする「1年生係」を1人で務めています。

食堂で1年生に話しかける大橋投手

 「1年生係」の仕事は多岐にわたります。入部したばかりの1年生に部内の基本的な約束事を教え、食事や日用品の買い出しなど、日々の行動をともにします。

1年生の練習は2、3年生とは別のグラウンドで行われるため、大橋投手も毎日、1年生とともに学校からグラウンドまで3キロあまりの道のりを走って移動。練習では、大橋投手はノックを打ったりキャッチボールの相手をしたりするなど、サポート役に徹します。

大橋投手:1年生はめっちゃかわいいですね。やっぱりみんなが頼ってくれることが1番うれしいですね。頼ってくれているので頑張らなければと思います。

常にともに過ごす大橋投手を、1年生たちは“兄貴分”として慕っています。

小嶋心斗選手(1年生):大橋さんは、部活以外の学校生活でもフレンドリーに接してくださり、話しやすくてお兄さん的な存在です。

山本暁斗選手(1年生):みんなに対して優しく接してくれ、私にとっても身近な存在です。困ったことがあったら大橋さんに相談していますし、練習も声を出して盛り上げてくれて、明るい雰囲気で練習ができます。

 

強豪校にあこがれて


野球を始めたころの大橋投手

大阪府出身の大橋投手。もともとサッカーをしていましたが、控えめな性格から積極的にプレーに参加しない様子を見た母親の尚子さんがすすめたことがきっかけで、小学校2年生のときに野球を始めました。

母の尚子さんと

母の尚子さん:野球だったら打席に立てば1人で勝負しないといけないし、守備でも自分のポジションに飛んできたボールは自分で処理しないといけないので、息子の性格的には野球をやったほうがいいのではないかと思いました。

中学時代は、地元の硬式野球のクラブチームに入団。

中学時代

2年生でチームのエースとなった大橋投手。伸びのあるボールが高校野球の関係者の目にとまり、近江を含む複数の学校から声をかけられました。

中学校3年生の春。大橋投手は近江が試合でみせた圧倒的な戦いぶりに、強くひかれたといいます。

大橋投手:見学した試合で近江が大差で勝つのを見て、高校生でこんなに強いチームがあるのかと思いました。強い高校に入って甲子園に行きたかったので、近江への進学を決めました。

 

“衝撃”のレベルの高さ


しかし、入学直後、大橋投手は周囲のレベルの高さにがく然としました。最初に衝撃を受けたのは1学年先輩の山田陽翔投手(現・埼玉西武ライオンズ)に会ったときだったといいます。

2021年夏の甲子園  力投する山田投手

大橋投手:山田さんの鍛えられた体つきや持っている雰囲気が自分とは違うと感じました。ピッチングも、それまで見たことがないようなキレのあるボールで、あまりのすごさに話を聞くまではまさか1つ上の先輩とは思っていませんでした。

ほかの先輩たちもみなレベルが高く、「来るところを間違えた」という考えが頭をよぎることもありましたが、試合に出ることを目標に厳しい練習や慣れない寮生活に耐えました。

1年生のときの夏、そして2年生のときは春・夏と、近江は3大会回連続で甲子園に出場。大橋投手はいずれの大会でもベンチ入りメンバーに選ばれませんでしたが、先輩の山田投手や同級生の横田悟選手(現・主将)たちの活躍を見て、甲子園への思いを強くしていきました。

2022年春の甲子園 長崎日大に勝利して喜ぶ近江ナイン

大橋投手:試合に出られない悔しさと、同級生が活躍している誇らしさという2つの気持ちがありました。甲子園は観客も多く応援もすごい雰囲気で、こんな場所でプレーしたいと思いました。

 

最後の夏を前に思わぬ打診が・・・


最後の夏こそ甲子園でマウンドにあがってみせる。練習に励んでいたことし1月、大橋投手は多賀章仁監督に呼ばれます。

 

「1年生係をやってくれないか」

 

多賀監督は、大橋投手の年齢にかかわらず外部の人も含めて誰に対しても丁寧に接する性格と、周囲の状況に目配りができる視野の広さが、1年生係には欠かせないと考えたといいます。しかし、1年生係を引き受ければ基本的に2、3年生の練習には参加できなくなり、ベンチ入りメンバーに選ばれることは極めて困難になります。

 

監督からの信頼にうれしさを感じつつも、複雑な心境だったといいます。

大橋投手:1年生係を言われたときは自分のことを信頼していただいていると思ったのですが、一方で選手として甲子園でプレーすることはもう無理なのかなと思い、悔しい気持ちもありました。

大橋投手は2か月間考え続け、新入生が入る直前のことし3月、「メンバーを目指しながら1年生係をやらせてほしい」と監督に伝え、引き受けました。

4月からは1年生の練習の世話をしたあと、2、3年生の練習にも参加。1年生係としての仕事を全うした上でベンチ入りメンバーを目指してきましたが、最後の夏も夢はかないませんでした。

 

初めてのエースナンバー


6月18日。2日後に迫ったメモリアルゲームに出場する選手に背番号が配られました。出場するのは、大橋投手を含む3年生20人。多賀監督は、真っ先に、大橋投手にエースナンバーの「1」を渡すことを考えたといいます。

多賀監督と大橋投手

多賀監督:彼もそれなりの気持ちをもって大阪から来てくれたのですが、ある意味では夢破れたという部分もあった。しかし、『1年生係』になってほしいという私の願いに快く応えてくれたことは、何よりもうれしかった。彼が1番をつけることについては、みんなも納得だと思います。

 

大橋投手:『1』をもらい、3年生のみんなからおめでとうと声をかけられてうれしかったです。自分の最後の試合になるので頑張ろう、全力で投げようと思いました。1年生係でやってきたことを監督は見ていてくれたんだなと思いました。

 

最後のマウンド


メモリアルゲーム開始前に円陣を組む

6月20日、メモリアルゲーム当日。対戦相手は同じ彦根市にあり甲子園に6回出場したこともある彦根東高校です。市内の球場には、出場する3年生の保護者や同級生などが駆けつけました。

試合は序盤から相手にリードされる展開となりました。4対1と、近江が3点ビハインドで迎えた4回。ついに大橋投手に登板の機会が訪れました。

大橋投手がマウンドに上がって投球練習を始めると、夏の大会のベンチ入りメンバーや1年生が座る近江高校側のスタンドからは大橋コールが沸き起こりました。

大橋投手は先頭バッターにフォアボールを与え、その後もヒットを許すなどして2点を失います。さらに、ツーアウト2塁のピンチで相手の4番バッターを迎えましたが、センターフライに打ち取って1イニングを投げきりました。

打者6人に対し28球。チームを陰で支え続けた大橋投手のこん身の力を振り絞った高校生活最後のマウンドに、仲間からは惜しみない拍手が送られました。

清谷大輔選手(3年生):大橋投手のマウンドでの姿を見て、かっこいいなと思いました。僕たちベンチ入りメンバーも夏に向けて、さらに気持ちを入れたプレーをしたい。

石原宗汰選手(1年生):面倒を見てくれていた大橋さんがピッチングでアウトを取ったら、自分のことのようにうれしく感じました。自分も周りに応援される選手になりたいと思いました。

寮の部屋が同じという主将の横田選手は、大橋投手のマウンドでの姿に奮い立ったと話しました。

スタンドで応援する横田主将

横田主将:大橋投手の気迫あるピッチング、気持ちのこもったボールに感動しました。一番近くでいつも見てきたので、大橋投手のマウンドでの姿を見て自分たちも夏にやってやろうという気持ちになりました。

大橋投手が野球の道に進むきっかけをつくった、母親の尚子さん。コロナ禍で観戦の機会が制限されたこともあり、息子が近江のユニフォームを着てマウンドにあがる姿を見るのは、この試合が最初で最後の機会となりました。

観戦中の尚子さん

近江への進学と同時に実家を離れた大橋投手。尚子さんは、さみしさを感じることもあったと話してくれました。

試合後の大橋投手と両親

母の尚子さん:寮生活をしてまで野球をやってほしいと思っていたわけではなく、本当は家から出ていってほしくありませんでした。こうした気持ちを本人の前では言えませんでしたが、お風呂に入ってる時に泣くこともありました。だけど、最後の試合を見たときに送り出してよかったなと思いました。息子は高校時代は大きな大会で投げられなかったけれど、最後の試合で自分なりに精いっぱいやっていて本人も楽しそうにやっていたので、いいチームに入れて、いい人たちとプレーできたんだろうなって思いました。

 

1年生の活躍を願って


メモリアルゲームから3週間後、再び近江高校を訪れると大橋投手はこの日も1年生の練習をサポートしていました。「1年生係」の仕事は、夏の大会が終わるまで続きます。

大橋投手が1年生の練習を見守る

夏の滋賀大会には、大橋投手が面倒をみた1年生の中から2人がベンチ入りメンバーに選ばれました。大橋投手は後輩たちの活躍を願いながら、最後の夏が終わるまで自分の役割を全うしようとしています。

大橋投手:1年生たちには、きっちり最後まで僕が伝えられることをすべて伝えて終わりたいと思っています。夏の大会では応援も含めて総力戦になるので、試合中はとにかく声を出して盛り上げていきたいです。


この記事を書いた人

丸茂 寛太 記者 大津放送局記者 2021年入局

去年は、エースで4番として活躍した山田陽翔投手を1年間にわたって取材。趣味はスポーツ観戦で、高校はラグビー部、大学は野球部に所属していた