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特集 フィギュア キーガン・メッシング ~日加の絆 先祖のルーツたどる旅路~

フィギュアスケート 2023年5月25日(木) 午前11:00

フィギュアスケート男子シングルのカナダ代表として長年、活躍したキーガン・メッシングさん。オリンピック2大会に出場するなど、華麗な滑りと温かな人柄でファンを魅了し、この競技では異例となる31歳まで現役を続けました。実は、その先祖は長崎県からカナダに渡った初めての日系移民というキーガンさん。ことし4月に東京で行われた現役最後の大会に出場した直後、先祖の墓がある長崎を初めて訪ねました。みずからのルーツをたどる旅で得たものとは。

 

 

4月17日、人生で初めて長崎の地に降り立ったキーガンさん。空港の玄関を出ると、周囲に青々と広がる海をじっと見つめました。

 

 

およそ150年前、その長崎の海からカナダに渡った日系移民第1号が永野萬蔵(まんぞう)氏です。萬蔵はキーガンさんの母方の先祖、自身からすると4代前の高祖父にあたります。

 

キーガンさん

とても興奮しています。長崎の海や森、伝統的な建物、この場所の美しさに圧倒されています。この地で萬蔵さんがしてきたことすべてが興味深いし、私の人生に大きく関わっています。彼のことをできるだけ多く学びたいです。

キーガンさんは、母のサリーさんとともに島原半島の南端、南島原市の口之津に向かいました。その道中では、吸い寄せられるように砂浜に立ち寄ります。前日は嵐でしたが、この日は幸運にも雲一つない快晴。キーガンさんは波打ち際で砂や流木を手に取っては豊かな自然を感じ取り、海岸で小さなやどかりを見つけてうれしそうに笑いました。

 

 

聞けば、自宅があるアメリカ・アラスカ州のアンカレッジは大自然に囲まれ、裏庭にはお手製のリンクがあり、日々、子どもたちと遊んでいるといいます。競技を離れれば自然を愛する素朴な青年です。

 

午後、萬蔵の墓がある口之津の玉峰寺に到着。境内につながる石の階段をゆっくり上ると、門の前で、日本人の家族が待っていました。永野拓慎(ひろのり)さんと妻の裕子(ゆうこ)さん、そして長女の夏望(なつみ)さんです。萬蔵の兄、福蔵の子孫がいまでも口之津に住んでいたのです。

 

キーガンさんを出迎えた永野さん一家

拓慎さん家族は数年前、テレビでフィギュアスケートの大会を見ていたときに偶然、キーガンさんのルーツを知り、自分たちと親戚であることにとても驚いたといいます。それ以来、家族全員で応援を続け、今回の訪問を心待ちにしていました。

キーガンさん

そんな…信じられないよ。

キーガンさんはその事実を伝えられると感動から言葉をなくし、母のサリーさんは目に涙を浮かべていました。先祖でつながる両家は出会いに感激し、熱い抱擁を交わしました。

 

 

そして、皆でそろって丘の上に立つ萬蔵の墓の前で手を合わせました。この瞬間をかみしめるように、じっくりと墓を見つめたキーガンさん。子どもの頃から願い続けた夢がこの時かないました。

 

キーガンさん

すべてが始まった場所に戻り、萬蔵さんに感謝の思いを伝えることができました。特別な時間でした。私はいつも日本に家族がいるかどうかを疑問に思ってきましたが、いまここに、家族がいることを知って心が温まっています。

このあと訪れたのは地元の歴史民俗資料館。館内の一角には、萬蔵の足跡を示す資料がところせましと展示されていました。当時、石炭の輸出港として栄えた口之津で次第に海外への憧れを抱くようになった萬蔵。22歳で単身、カナダに渡り、西部のビクトリア市を拠点にサケ漁や貿易で財を成し、日系移民の礎を築きました。その開拓者精神をたたえ、現地の山には「マンゾウ」の名が名付けられています。キーガンさんは語り部の男性の話に熱心に耳を傾け、その探究心とチャレンジに満ちた人生をみずからに重ねていました。

 

キーガンさん

彼はもっと世界を知りたがっていました。私はその気持ちが分かるような気がします。なぜなら私自身も常に自分にできることの境界を押し広げたいと思ってきたからです。そこには多くの類似点があり、これまで以上に彼に近づいたように感じます。

翌日、キーガンさんは拓慎さん家族と昼食をともにしました。両家は互いの家族のことや日本とアラスカの生活の違いについて語り合い、急速にその距離を縮めていきました。ほどなくして、高校1年生で15歳の夏望さんが準備をしてきた英語で質問を投げかけました。

 

夏望さん

日本での試合、ファンの応援はどう感じていましたか?

 

キーガンさん

日本のファンは世界で最高の応援をしてくれます。2019年、日本で行われた世界選手権で、僕は羽生結弦選手と同じグループでした。会場のアナウンスで羽生選手の名前が呼ばれたとき、満員の観客が大声で歓声を上げると、本当に氷が揺れました。そしてことし同じ会場で行われた、私にとって最後の世界選手権でスタンディング・オベーションを受けたのです。信じられませんでした。始まる前は怖かったですが、最後のスケートを思い出深いものにしたかった。ジャンプに入るときは『あともう1本、もう1本…』と自分に言い聞かせていました。演技のあとには、ファンが掲げてくれたカナダ国旗の海を目にしました。言葉にするのは難しいですが、僕にとってはとても意味のある瞬間でした。

夏望さん

夢をかなえるためには、どんな努力をしてきたのですか?

キーガンさん

まずはハードワークです。そして忍耐力があれば、どんな困難も乗り越えることができました。僕は24歳を過ぎてもスケートをしているなんて思ってもみませんでした。けれど、最初のピョンチャンオリンピックは26歳のときでした。それまで何度も打ちのめされましたが、その都度、自分自身を取り戻して、どんなに苦しい状況からでも、新しい扉を開くことができると学びました。

優しく穏やかに質問に答えたキーガンさん。夏望さんもその1つ1つの答えをみずからの糧にしようと、必死に耳を傾けました。すると、キーガンさんがおもむろにある話を語り始めました。2019年、バイク事故で亡くなった弟、パックソンさんについてでした。

 

事故で亡くなった弟のパックソンさん

キーガンさん

弟とはよく自分たちのルーツについて語り合いました。私の独身最後のパーティーだったと思いますが『いつか萬蔵の墓を探しに行こう』と話をしました。その後、彼は亡くなりましたが、私は彼の魂をオリンピックの舞台に連れて行きました。この話は妻にしかしていませんが、ピョンチャン大会は自分のため、2回目の北京大会は弟のためにと思っていました。そして今回、日本で墓参りを実現できました。そのとき、弟は私の心の中で最前列の席にいました。兄弟の愛はとても深く、決して忘れられないものです。

日本の家族に、自身が抱えてきた思いを深く知ってほしかったのです。

 

長崎滞在の最後の夜、キーガンさんは地元の体育館に招待されました。夏望さんがどうしても見せたいものがあるといいます。

 

 

体育館の玄関の戸を開けると、奥に地域の20人ほどの子どもたちが待ち受けていました。静寂のなか、口之津に伝わる「瀬詰(せづめ)太鼓」の演奏が始まりました。大きなかけ声にあわせ、子どもたちが大小の太鼓を激しく打ち鳴らす演奏は、地元の海の荒々しさを表現しているといいます。キーガンさんは目を見開きながら演奏に聞き入り、その荒れる海を乗り越えてカナダで人生を切り拓いた萬蔵の精神を全身で感じていました。

 

夏望さん

太鼓がキーガンさんの胸に届いて良かったです。夢のような時間で、自分の人生のなかで大事なポイントとなってくれる出会いでした。萬蔵さんがつないでくれたこの出会いを大切にして、これからの人生も頑張りたいです。

キーガンさん

言葉になりません。すべてに感謝しています。墓参りを通して、萬蔵がカナダで成し遂げたことや彼の挑戦に満ちた人生の足跡を知ることができたのはすばらしい経験でした。私も自分自身を振り返り、自分がどんな人間であるか再確認できました。これからの人生も自分の信じた道を突き進んでいきます。

2泊3日の旅を終えて帰国の途についたキーガンさん。この経験で強くしたのは“新しい人生での挑戦”、そして“家族への思い”だと笑顔で振り返りました。今後はアイスショーへの出演やコーチ業にも携わっていくと語ったうえで、将来的には父と同じ消防士の職に就くことを目標に掲げました。

 

 

かけがえのない時間を取材を通して共有でき、キーガンさんにとって今回の旅で得たもの、そして日本の家族の存在が心の糧となり、引退後の人生でも多くの幸せをつかんでくれることを願っています。

この記事を書いた人

今野 朋寿 記者

今野 朋寿 記者

平成23年 NHK入局
岡山局、大阪局を経てスポーツニュース部。二児の父として、子育てにも奮闘中

山口 真路 記者

山口 真路 記者

令和4年入局 長崎局でスポーツ担当

学生時代は陸上競技に打ち込みました

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