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特集 カズが歩んだ平成 今も昔も「サッカー界の象徴」 スポーツ平成史・サッカー 第1回

サッカー 2019年3月11日(月) 午後3:42

まもなく幕を閉じる、「平成」という時代。サンデースポーツ2020では、2月から4週にわたってスポーツの平成史を振り返ります。
2月17日放送回のテーマは「サッカー」。

日本初のプロサッカーリーグ、Jリーグが誕生し空前のサッカーブームが起こった平成。そしてW杯出場だった日本の目標は、今や「強豪国にどう勝つか」に変わっていきました。幾多の苦難を乗り越え、挑戦の歩みを止めない日本サッカーの30年間を、平成の時代を「プロサッカー選手」として駆け抜けた“キングカズ”三浦知良選手とともに振り返ります。

第1回はカズさんが平成とともに歩んだサッカー人生とともに、平成最後のシーズンに臨む今の思いを聞きました。

カズがNHKにやってきた

平成を目前にした、昭和62年。サッカー日本一のチームを決めるJSLカップの決勝、日本鋼管対住友金属。舞台は名古屋市瑞穂公園にあるグラウンド。試合を見つめる観客は、その質素な競技場のスタンドすら埋めることはなかった。サッカーがまだマイナースポーツとよばれる。昭和はそんな時代だった。

同じころ、地球の裏側・ブラジルでは一人の青年がプロサッカー選手として飛躍を遂げようとしていた。

 

ブラジルでファンに囲まれるカズ

 

15歳で高校を中退し単身ブラジルに渡って5年。この年、日本選手として初めてブラジル全国選手権への出場を果たした。

三浦知良、ニックネームは「カズ」。

それから30年余り。彼は今も「プロサッカー選手」としてグラウンドに立っている。Jリーグブーム、海外リーグへの挑戦、日本代表の世界を目指した戦い。平成という時代、日本サッカーがマイナーからメジャーな存在へと大きな変化を遂げた過程、そこにはいつも彼がいた。その目で見てきた変化の大きさを、彼はこう表現する。

 

「平成にJリーグというプロのリーグが始まって、まだ25年しかたっていなんですよね。その25年間で、サッカー界がこれだけの変化を遂げて成長した国って、世界を見てもこの日本しかないんじゃないかなと思うんです。そのくらい変わったと思います」。

 

 

 

サッカーの平成史を振り返るにあたって、彼以上の適任者はいない。そのサンデースポーツ2020取材班のオファーを受け、シーズン開幕直前の時期にもかかわらず、彼はNHKのスタジオ生出演に応じてくれた。本連載では三浦選手を、多くのサッカーにかかわる人たちが呼ぶ「カズ」とあえて呼称させていただく。「カズ」の言葉とともに、サッカー界にとって平成とはどんな時代だったのか、たどっていこう。

18歳から変わらぬ気持ち

番組冒頭、シーズン開幕を前にした心境を聞くと「楽しみです。ワクワクしてます」と語ったカズ。ここで、あえて少し意地悪な質問をしてみた。昨シーズン、所属する横浜FCはJ2で3位。プレーオフの末にJ1昇格を逃し、カズ自身もケガなどがあり出場9試合でノーゴール。先発は1試合もなかった。その結果をどう受け止め、新シーズンに臨もうとしているのか。

 

「やっぱり悔しいです。特に先発出場が1試合もなかったんでね。今年はそこにこだわって、1試合でも多く先発できるように頑張ります」。

 

その言葉はまさしく本心から出た言葉なのだろう。それを裏づけるような写真もある。横浜FCのチームメイト・松井大輔がSNSで公開した一枚。開幕前のキャンプ中、チームメイトと温泉につかるカズの上半身は見事に引き締まり、盛り上がった胸筋と割れた腹筋がひときわ目につく。

 

松井選手のインスタグラムより 右から2番目がカズ

 

カズ自身は「いやいや、これ見かけだけですから(笑)」と笑うが、どうして年齢を重ねてもなお、ここまで自分の体を追い込むことができるのだろうか。そのモチベーションはどこから来るのだろうか。

「やっぱりそれは、試合に出たいからですよ。これはもうずっと言ってるんですけど、『1試合でも多く試合に出たい』という気持ちを18歳でプロになってからずっと持っているんです。52歳になっても、その時の気持ちと変わらずグラウンドに立っている。モチベーションを落とすとか下げるって事が自分の中ではずっとなかったんです。だから『どうやってモチベーション上げるんですか?』って聞かれても、自分にとってはモチベーションが高いのが、もう普通だと思ってますので。グラウンドに立って、自分が精一杯全力を尽くす、それが自分の仕事でもありますし、自分が一番やりたい事なので苦にならないというか、続けられる。何より好きな事ですから、当然続けられるんだなと思いますけどね」。

 

年齢を重ね、たしかに若いころより顔のしわは増え、白髪も目立つようになった。でも常に心には、試合に出たいという気持ちがある。そしてその反対側にはいつも、試合に出られない悔しさがある、そうカズは続けた。
 

「それはもう毎回ありますね。プロになって今年で34年目なんですけど、最初にブラジルでプロになった時から、試合に出られなかった時の悔しさは今でも変わりません。試合出られないときは、監督に対して今でもいつもムカついてますしね(笑)」。

“ミスターJリーグ 三浦知良”

平成元年(1989年)。当時22歳のカズは、サッカーの本場・ブラジルで注目を集める選手のひとりだった。ドリブルが武器の左ウイングとして頭角を現し、翌平成2年(1990年)に移籍した名門・サントスでも活躍。そのゴールは「東洋の奇跡」と称賛されていたという。

 

 

「僕は自分がそういう風に言われていたのは覚えてないんですけどね。まあブラジルの中での評価の話です。僕が最初にブラジルに行ったのは15歳の時なんですけど、4年目にプロになって、やっと活躍できるようになったころでした。サントスでゴールした時はやっぱり全国的に報道されましたし、日本人が活躍するなんてことはね、当時ブラジルでは考えられなかったんで、それはやっぱり驚かれましたね」。

当時、日本では初のプロサッカーリーグの設立が近づいていた。さらに、カズはこの頃から日本代表にも召集されるようになり、サントスから日本の読売クラブ(後のヴェルディ川崎)に移籍する道を選ぶ。高校を中退して単身日本を飛び出してから8年の月日を経て、プロサッカー選手として帰国を果たした。

 

 

平成5年、ついにJリーグが開幕。日本中がサッカーブームに沸く中で生まれたスーパースター、それがカズだった。Jリーグ初年度は20ゴールをあげてヴェルディ川崎の年間優勝に貢献し、他チームの並み居る外国人助っ人たちを抑えてリーグ最優秀選手賞を受賞。その表彰式の演出が、またド派手。
「ミスターJリーグ!三浦知良!!」
MCのアナウンスが会場に響くと、ステージ上の巨大な風船が割れ、その中からカズは真っ赤なスーツで現れた。

 

 

Jリーグ黎明期、カズは次々とゴールネットを揺らし続けた。そしてゴール後にサンバのように両手を回し、人差し指を立てて右手を空につき上げる「カズダンス」を、多くのサッカー少年たちがマネをした。

ひとつ素朴な疑問を聞いてみた。あのカズダンス。よく見てみてみれば、動きにいくつかのバリエーションがある。カズ自身はどこかで「練習」していたのだろうか。例えば、自宅で。

「いや、さすがに家では練習してないですよ。あの、カラオケで練習してます(笑)。」

 

 

「練習してました」ではなく、「練習してます」。ふと出たひと言から、プロサッカー選手・カズ「らしさ」が垣間見えた瞬間だった。

現役にこだわり続けて

翌平成6年。カズはイタリア1部リーグのジェノアに移籍。日本選手初の挑戦を前に彼はこう語った。

 

「イタリアでとにかく、いじめられても、もっといじめてみろっていう気持ちで、ぶつかっていきたいです。」

 

当時のイタリアは各国のスターが揃う世界最高峰と言われたリーグ。激しいボディコンタクトで骨折するなどのアクシデントに見舞われるも、カズはその舞台でゴールを決めた。

 

カズは日本選手初のセリエAプレーヤーとなった。

 

1年後にヴェルディに復帰し、その後は32歳で2度目のヨーロッパ挑戦となるクロアチアのザグレブへ。再び日本に帰国後は京都パープルサンガ、ヴィッセル神戸を経て、平成17年にJ2・横浜FCに移籍。この時、すでに38歳。誰しもが、カズの引退は近いと考えたはずだ。

 

 

しかしカズは違った。チームの中心選手としてJ1昇格に貢献し、平成19年、40歳のシーズンは再びJ1で迎えた。
平成23年からはフットサルにも挑戦し、翌年のフットサルワールドカップにも出場。
40代後半、横浜FCでは途中出場が増えたが、リーグ最年長出場、リーグ最年長ゴールの記録を更新し続ける。史上初の「50代Jリーガー」として迎えた一昨年の3月12日に、50歳14日でゴールをゲット。このゴールは世界のプロリーグ最年長ゴール記録として、ギネス世界記録に認定された。

 

50歳でのゴールの後、カズダンスを披露

 

そして平成31年。52歳で今シーズンもプレーを続けている。

 

その始まりにはプロリーグすらなかった日本サッカー界で、この平成という時代を「プロサッカー選手」として駆け抜け続けた男は、カズを置いて他にいない。ゆえに現在のほとんどのJリーガーは、子供のころからカズのプレーを見て育ってきた。彼らそれぞれが、自分のサッカー人生に大きな影響を与えたカズに思いをもっている。

 

「カズさんがいなかったら、自分はフォワードをやっていなかったかもしれません。」(ジュビロ磐田・大久保嘉人 平成25年からJリーグ史上初の3年連続得点王)

「13歳のころから背中を見続けてきました。今までもこれからもカズさんはずっと僕のアイドルです。」(川崎フロンターレ・中村憲剛 平成28年・36歳で史上最年長リーグ最優秀選手)

 

平成のサッカー史を語る上で、カズがどのような存在か――。

現役時代、日本代表キャプテンとしてワールドカップ2大会を戦った、ガンバ大阪の監督・宮本恒靖の言葉が、その一つの答えかもしれない。

 

「カズさんはずっと、サッカー界の象徴であり続けているなと思います」。

 

 

「うれしいですね。いくつになってもね、そうやってみんなから、背中を見てもらえるのは…。これ以上の幸せはないですね」。

 

平成の30年を駆け抜けた「ミスターJリーグ」は、そうつぶやき、そしてはにかんだ。

 


(次回に続く)

 

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