ストーリーテニス

フェデラーが語る 記録、復活、そして五輪

2019-11-19 午後 06:16

ロンドンで行われたテニス男子のツアーファイナル。男子ツアーの年間上位8人が出場できるハイレベルな大会です。この大会に今回歴代最多となる17回目の出場を果たしたのが、ロジャー・フェデラー選手。4大大会の優勝回数は歴代最多の20回。言わずと知れたスーパースターです。

38歳の今も世界のトップレベルで闘い続けるフェデラー選手を支えるものとは。サンデースポーツ2020の放送ではお伝えしきれなかった未公開インタビューを加えた特別版です!

熱き想い衰えぬレジェンド

今年のツアーファイナルは例年にも増して若い顔が目立った。ジョコビッチ32歳、ナダル33歳というおなじみの2人の他には、近年安定した成績を残しているティーム26歳、A・ズベレフ22歳。初出場のメドベージェフとベレッティーニは23歳、最年少のチチパスは22歳だ。その中で、38歳のフェデラーの存在感は今年も際立っていた。準決勝ではチチパスに敗れたものの、ラウンドロビンでは新鋭ベレッティーニを退け、長年のライバル・ジョコビッチも圧倒した。

 

 

「長く活躍し続ける理由?テニスに対して、今でも熱い思いを持ち続けているからです。時には大変なこともありましたが、テニスは私の人生に多くの教訓を与えてくれました。私はそのお礼として、このスポーツに恩返しがしたい。エンタテインメントとして観客を魅了したい。健康であり続けコート上で幸せを感じられる限り、プレーし続けると思います。」


どんな局面でも抜群の強さを見せるオールラウンダー、ロジャー・フェデラー。鋭いサーブに、ライン際をつく強烈なバックハンド。21歳でウインブルドン選手権を制して以来、4大大会の優勝は20回を数える。

 

2003年 ウインブルドン初優勝

 

世界ランキングでは2004年から4年半にわたり1位を守り、その後もジョコビッチやナダルというライバルたちとしのぎを削りながら、テニス界のトップで活躍し続けてきた。今年2月、その経歴にまた一つ勲章が加わった。ドバイでのツアー大会で優勝し、通算優勝回数が100に到達したのだ。70年代から80年代にかけて活躍した往年の名選手、ジミー・コナーズ以来2人目の快挙だった。

 

史上2人目のツアー通算100勝を達成

 

「人にはモチベーションが必要です。私にとっては『世界中を移動して、準々決勝くらいまで勝ち進んでポイントを得る』だけでは不十分なのです。まず目指すのは大会で優勝すること。そして長期的な目標として記録を達成することも目指す。それが好きなんです。まさか100回もタイトルを獲得できるなんて、自分でも信じられないくらいですけどね。はじめて優勝するまでは決勝で負けることが何度かあって、『僕はもう一生優勝できないのかな』と思っていましたから。でもまずは1勝、2勝と積み重ねるうち、気付いたら100回以上優勝していたというわけです。」


20年以上に及ぶ輝かしいキャリア。特にウインブルドンでは史上最多8度の優勝を誇り「芝の王者」とも呼ばれるフェデラーにとって、最大のピンチが訪れたのは3年前。その場所もまたウインブルドンだった。

ケガからの再起

負傷直後、しばらく立ち上がることができなかった

 

2016年のウインブルドン準決勝。レシーブの際に芝で足を滑らせたフェデラーはそのままコートに突っ伏すように倒れた。この年初めに手術をしていた左ひざのけがを悪化させ、シーズンの残り半分を欠場することになった。この時すでに35歳。選手生命の危機ともいえる状況にあった時、彼は何を考えていたのか。

 

「現実的に引退する可能性もなかったわけではありません。膝がもっと悪化すれば、その決断をするかもしれなかった。でも『そうなることは許さない』と考えるようにしていました。なるべくポジティブに、カムバックのために必要なことはすべてやって、自分の納得のいく形でキャリアを終えたいと思ったのです。それが実現できた要因は、おそらく根気でしょうね。あとは多少の運。手術が成功するか、リハビリがうまくいくかは誰にもわからない。しかもリハビリは長くて、不安や痛みを抱えてプレーするのは決して簡単ではありません。しかし結果として私は乗り越えた。その時、私は今まで以上に強くなったと感じられたのです。」

 

ケガから1年後のウインブルドンでカムバック

 

翌年のウインブルドン選手権。フェデラーは全試合ストレート勝ちで優勝した。ケガから僅か1年余りでの復活劇。試合後、涙を流すフェデラー選手の視線の先にあったのは、客席から見守る家族の姿だった。

 

 

妻・ミルカさんと子どもたち

 

治療のためツアーに出場しなかったおよそ半年間。妻のミルカさん、2組の双子の子どもたちと過ごした時間が、テニスとの向き合い方を変える転機になった。

「それまで16年間、ずっと1月から11月までプレーしてきました。でもケガのおかげでシーズン中に7か月間も家族と過ごすことができた。これは最高の経験でしたね。それ以降は家族のために長期間休む必要があれば、迷わず決断を下すようになりました。家族や人生のためだけでなく、テニス選手としての今後のキャリアにとっても、それがベストだとわかったからです。」

新しいテニスにアジャスト

家族との時間を大切にしつつ限られた練習時間を有効に使うため、体のケアにも気を配るようになったフェデラー。逆を言えば、若い頃の彼は驚くべきことにあまり試合前の体のケアに気を付けていなかったのだという。


「若い頃は準備に関しては“アマチュア”でしたね。コートの隅でちょっと跳びはねれば十分で、それで大会の決勝に挑んだりしていました。今はさすがにしっかり準備をするようになりましたよ。かなり退屈な作業ですけどね。ウォーミングアップをして、体幹トレーニングにストレッチ。あとウォーミングアップのためのウォーミングアップの時間も必要ですね。これらがそろって初めてコートに立てる。オーバーワークにならないように、コーチ陣と綿密に話し合いながらやっています」。

 

 

ケガがあったからこそ体のケアにも意識を向けられたという彼だが、現代のテニス界で勝ち続けるためには、それは不可欠なものであった。トレーニング理論や用具の進化により、時代と共にテニスも変化しているからだ。


「私自身、以前よりも少しだけアグレッシブにプレーするようになっています。ノバク(ジョコビッチ)やラファ(ナダル)の動きを見てもわかりますが、今はみんなフィジカル的に素晴らしいですからね。ベースライン上のプレーもみんな非常に向上していると感じます。私がツアーに出始めた20年前と比べたら全く違いますよ。こうしたテニスの進歩はいいことですし、自分もそこにアジャストしていく必要があります。まあ、私はDNAレベルで攻撃が好きな選手ですし、ネットプレーも大好き。リスクを負って攻めるのが私のテニスです。強烈な攻めるテニスができているとき、私は最も危険な選手になれるのです。」

さらなる高みへ、2020へ

家族に支えられ、世界最高峰の舞台で戦い続けるフェデラー。見据える先には来年の東京オリンピックがある。シングルスでの金メダルは、彼のキャリアの中でまだ手に入れていない数少ないタイトルだ。とはいえ、ツアーの合間に猛暑の東京で行われるオリンピックへの参加は、多くのトップ選手たちにとって高いハードルでもある。2020年夏、東京のコートにロジャー・フェデラーは立っているのだろうか。

 

「オリンピックはとてもエキサイティングなイベント。シーズン中にさらに遠征するのは大変だし、普段の大会のように自分のことだけを考えればいいわけではありません。国を代表しているわけですからね。でもアテネと北京でオリンピックを経験して、スイス代表として参加できるのはこれ以上ない誇りだと感じました。次の東京で、自分にとっての新たな歴史を書き加えることができればいいですね。」

最後に聞いた。

――東京で、金メダルをとれますか?

 

「メダルが獲得できればどの色でも十分嬉しいよ。もちろんそれが金メダルなら、なおさらね。」

 

 


 

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