ストーリーバスケットボール

レジェンド・折茂武彦が語る引退とこれから

2020-06-15 午後 07:03

現役生活27年。バスケットボール界で「レジェンド」と呼ばれる、Bリーグ・レバンガ北海道の折茂武彦選手が引退しました。

国内トップリーグで、日本出身選手史上初となる1万得点を達成するなど、抜群のシュートセンスで活躍。さらに「選手兼任社長」としてもレバンガをけん引してきました。引退し社長業専任になった今、引退とこれから見据える未来を語ります。

無観客試合で引退

ことし3月。新型コロナウイルス感染拡大の影響で無観客で開催されていたBリーグ。四半世紀にわたって日本のバスケ界をけん引してきたレジェンド・折茂選手はひっそりと、最後の公式戦に臨みました。

 

「無観客は僕自身も長いバスケット人生の中で初めての経験。まさかこの試合が最後になるとは思いませんでしたね。」

 

 

平均3000人を集めるレバンガ北海道。割れんばかりの声援の中で行われるはずだった、折茂選手の最後の試合。あらためてその試合について尋ねると、その答えは「選手」というよりも「社長」の視点からの言葉でした。

 

「無観客で試合をやった事は必ず意味があったと思います。僕らはホームでは毎試合本当にたくさんのファンの方々に来ていただいていましたけど、それが当たり前じゃないという事が、選手たちも非常によく分かったと思います。今後選手が頑張れるひとつの要素になってくるかなと思っています。」


語ったファンの大切さ。折茂さんの27年間の現役生活は、日本のバスケットボール界が大きく変化した時代。そこでファンの存在の大きさに支えられてきた時間でした。

ファンの存在が折茂を変えた

1993年に、名門トヨタ自動車に入団した折茂さん。国内にプロリーグはなく、戦いの場は実業団リーグ。当時、ファンを喜ばせるという思いはなかったといいます。

 

「自分が数字を出せば日本代表に選ばれたり、お金がついてくる。ファンも応援も“くそ食らえ”、みたいな感じでした。」

 

 

その姿勢が変化したのは2007年。北海道で生まれたプロチーム、レラカムイ北海道(後のレバンガ北海道)に移籍したときです。折茂さんはこの時37歳。北海道のコートに立った時、すでに大ベテランの域に入っていた折茂の心は動かされます。目にしたのは、勝敗に関係なくスタンドを埋め尽くす地元のファンの姿でした。

 

「衝撃でした。レギュラーシーズンでこんなに人が入るんだと。これまでは自分のためにバスケットをしていたけど、もう自分はどうでもよくなっていて、この人たちを喜ばせたい、そのために自分はがんばらなければいけない。そう思ったんです。」

移籍から4年後、チームの運営会社の経営悪化を理由にチームはリーグを除名処分に。存続の危機に立たされたとき、折茂さんは立ち上がりました。折茂さんが社長となり新たな運営会社を設立。チームは「レバンガ北海道」として生まれ変わりました。

 

 

「北海道に恩返しがしたい。私がやるしかないな、という思いでした。自分のためだけにバスケをしていた人間が、こんなに変わることができるんだと驚きましたよ。最初は特に何も意識せず、アマチュアからプロになれるという事で移籍してきましたが、本当に考え方から全て変わることができましたね。」

 

なんとも珍しい「選手兼任社長」として、折茂さん自らがスポンサー確保に奔走。なんとかチームを立て直しました。2016年にはBリーグが発足しリーグ全体がプロ化。レバンガ北海道は1試合平均3000人を集めるリーグ屈指の人気チームとなり、経営も黒字へと転換しました。選手として、社長として。プロスポーツとして地域に愛されるチームを作り上げたのです。

 

チーム経営破綻、その時折茂は

自分を変えてくれたという北海道での日々。しかしチームの経営破綻後、選手を続けながら社長就任という挑戦にあたっては数えきれない苦労がありました。プロチームとして経営を安定させることは容易ではなく、時には選手スタッフへの給料支払いに困ることも。折茂社長自ら車を売って資金を捻出したこともあったと言います。

 

 

「(愛車の売却は)やりましたね。えーと、それなりにいい車でした(笑)。前のチームの時に給料の未払いがありまして、選手がバスケットに集中する環境が全く整っていなかったんです。自分が選手として感じた事もあって、給料の未払いだけは絶対にしちゃいけないと心に決めていました。なので車を売ることだけでなく、いろいろな事をしましたよ。」


当時の日本バスケットボールリーグは、プロチームと実業団チームが混在していた時代。経営の「後ろ盾」となる親会社がない完全プロチームだったレバンガは、それゆえに経営に苦労する面はありました。それでも、折茂さんは選手として社長として、プロチームとしてやってきたことの喜びも感じていました。

 

「僕は親会社がついているチームにも所属していたので、プロチームも実業団も両方を知っています。やはり親会社がついているチームは、地域密着ではなかったんです。地域のイベントに出たり、子どもたちにバスケを教えるという事もなかった。でも北海道でプロになってからは本当に地域密着でやってきました。それによって、チームのブースター(ファン)の方々に支えていられるという実感をすごく感じることができました。その違いは大きかったですね。」

今シーズン、引退を決めた理由

今、日本のバスケットボール界は急成長を続けています。Bリーグのスター選手、千葉ジェッツの富樫勇樹選手は初の年俸1億円プレーヤーに。日本選手の平均年俸も1300万円を超えました(2019年度)。さらに、海外では八村塁選手がドラフト1巡目指名でNBAのチームに入団。男子日本代表は45年ぶりのオリンピック出場を決めています。

 

 

男子バスケがあまり注目されない時代からプレーしてきた折茂さんも「本当に嬉しい」と感じるほど、日本のバスケットボールは着実に成長を遂げています。その成長が、折茂さんに49歳での引退を決断させる理由になりました。

 

「選手としての“やめ時”は、40歳を過ぎてから毎年考えていました。今、日本のバスケットはすごくいい方向に進んでいると思い、自分の責任は果たせたのかなと思ったんです。NBAのドラフトにかかる八村君のような選手が出てきた。国内でも富樫君のように1億円もらえる選手が出てきた。僕らの時代では考えられないことですよ。同じ日本人としてとても嬉しいですし、子どもたちに自分たちにもチャンスがあるんだと教えてくれていると思います。彼らのような夢や希望を与えられる選手が出てきた。それが今やめる理由のひとつでもあります。」

ファンに笑顔を届けるために

折茂さんにとって、選手としての引退はすなわち社長業に専念するということになります。新型ウイルス感染拡大はあらゆるスポーツの動きをストップさせ、どのチームも苦しい経営を余儀なくされています。その中で、レバンガ北海道の社長としてどんなチーム運営をしていくか。折茂さんは力強く語りました。

 

 

「この状況は、クラブとしてしっかりと乗り越えていかなければいけない。我慢していかなければいけないこともあるでしょう。でも我々は10月に新しいシーズンの開幕を控えています。まずはそれに向けて準備をする。ファンの方々に感動を届けて笑顔にする事が、我々クラブの理念。それが実現できるように、やれる事を精一杯やっていきたいと思っています。」

 


 

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