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特集 内海哲也×上原浩治 “元巨人エース対談”

野球 2022年12月9日(金) 午後2:02

野球日本代表の強化試合が2022年11月6日に東京ドームで行われました。その試合前の始球式、マウンドに上がったのは巨人と西武でプレーし今シーズン限りで現役を引退した内海哲也さんです。新たに西武のファーム投手コーチに就任しました。今回は2004年から2008年と2018年の計6年間、巨人でチームメートだった先輩の上原浩治さんと内海さんが対談!元巨人のエースどうしがたっぷり語り合いました。

(2022年11月6日放送)

引退の決断はいつ

 

内海さん:ちわっ。

 

上原さん:えらい遠いとこから挨拶したね。すごいな、やっぱ後輩はランニングで来るんだ。

 

内海さん:ゆっくりゆっくり歩けないです。

 

 

上原さん:西武で4年やって、どこで決めたの?引退を。

 

内海さん:シーズン始まるときに、もうことしが最後と決めて。

 

上原さん:それは(チームに)伝えていたの?

 

内海さん:いや伝えていないです。

 

上原さん:それは自分の中で?

 

内海さん:自分の中でことしが最後。若いピッチャーもどんどん出てきたし、もうここが潮時だと思って。

 

上原さん:家族の反応は?

 

内海さん:もう号泣してました。大号泣です、よく泣くので。僕も含めて泣いていたんですけども。

 

上原さん:俺なんか「あっそう」で終わったからね。

 

内海さん:「あっそう」ですか?

 

上原さん:俺は日本にいて家族はアメリカにいて「ちょっとやめるわ」って言ったら「いつ帰ってくんの?」みたいな感じ。

 

 

内海さん:電話切ってから泣いてますよ、絶対。

 

上原さん:いや、多分ないなあ。

2人が語る“エース像”とは

内海さんは2004年に自由獲得枠で憧れだった巨人に入団。その当時エースだったのが上原さんでした。7年連続で開幕投手を務め、さらに4年連続二けた勝利と圧倒的な数字を残していました。

 

 

内海さん:上原さんはスーパースターだったんで近寄りがたい。

 

上原さん:いやいや、それはないでしょ。

 

内海さん:僕が若い頃から上原さんを見てきて、こういうエースになりたいとずっと今でも思っていて。(シーズンで)絶対に負けられない試合ってあるじゃないですか。エースと言われる人は確実にそこに合わせて登板してきて絶対負けない。そういう上原さんの姿を見てきたんで。

 

一方、上原さんは入団してきた内海さんに、心もとない印象を持ったといいます。

 

 

上原さん:最初1年目(内海さんを)見た時に大丈夫かなって正直思った。

 

内海さん:そうですね。

 

1年目はけがもあり登板は3試合。2年目は26試合に登板するも大きく負け越し。いきなり20勝をあげた上原さんとは真逆のスタートでした。苦しんだマウンド、さらにロッカールームでも。

 

 

内海さん:覚えているかわからないですけど、上原さんが角っこにいて、その対面に桑田真澄さんがいて、横に工藤公康さん、端っこに清原和博さんと元木大介さん。その間に僕がいて「怖っ」と思いながら。もう今でも覚えてます。

 

上原さん:ビビっていた?

 

内海さん:ビビっていました。もう怖かったです。スーパースターだらけで。

 

確かにこわもてぞろい。上原さんはどうしていたかというと。

 

上原さん:でもそういうメンバーのとき、終わったら俺はなるべくロッカーにおらんようにしていたよ。

 

内海さん:ああ、そうですかね。

 

上原さん:うん。どっかに行っていた方が楽やったから。

 

そんな上原さんの処世術を学びながら、内海さんは多彩な変化球と制球力を磨き、自分なりのエース像を作り上げていきました。4年目にはけがをした上原さんの代わりに開幕投手を務め、初めてのタイトルも獲得。一方の上原さんは抑えに配置転換。後ろを託された立場から後輩の成長ぶりを感じていました。

 

上原さん:テツ(内海さん)はもう、ずっと1年間(ローテーションを守って)何年もやった。それこそが俺はもうエースだと思うし。1年間きちんとローテーションを崩さずに、4年5年続けて初めてエースって呼ばれるのかなというのが俺の中であるけどね。

 

内海さん:すばらしいですね。

 

上原さん:自分の中で一番良かった年は覚えている?

 

内海さん:最多勝を取った2010年と2011年。

 

上原さん:どっちがいい?

 

内海さん:2010年が良かったですね。

 

上原さん:2010年が良かった?

 

 

内海さん:はい。11かな?2011年、2012年でしたっけ?

 

(ディレクター:2011年、2012年です。)

 

内海さん:なので2011年です。

 

上原さん:その辺の記憶がないっていうのもすごいね。自分の成績に興味がない。

 

内海さん:そうなんですよ。もう何勝しているのかも、正直。

 

上原さん:わかっていなかった?

 

内海さん:わかっていないぐらい無頓着なので。

 

上原さん:2011年と言ってくれて良かったと思って。これを。

 

 

内海さん:いいんですか。ありがとうございます。

 

上原さん:よかった、2011年って言ってくれて。

 

内海さん:うわあ!

 

上原さん:ワインを持ってきて。ちょうど2011年のオーパス・ワンを。

 

 

内海さん:ありがとうございます。僕ワインのことは全然知らないですけど、オーパス・ワンだけは知っているんですよ。ありがとうございます。

 

上原さん:これが2012年とか言ってたらあげていない。

 

内海さん:危なっ、危なっ!

 

上原さん:2011年と言ってくれたからあげています。

 

内海さん:危なっ。いただきます。

西武への移籍「頭が真っ白になった」

2018年、大リーグに行っていた上原さんが10年ぶりに巨人に復帰。2人は再びチームメートになりました。

 

 

上原さん:俺が2018年に帰ってきたとき、いろいろテツに聞いたもんな。知ってるやつがお前以外ほとんどおらんかった。

 

内海さん:ありがとうございます、聞いて頂いて。

 

上原さん:懐かしいな、だから。

 

内海さん:懐かしいっす。

 

上原さん:(チームの)中心になっていたのはもう完全にテツやったもんね。

 

内海さん: “こういうふうにこうしていけよ”って色々教えて頂いたのは覚えてます。

 

ところがそのシーズンオフ、内海さんは巨人がFAで獲得した選手の人的補償で西武へ。

 

上原さん:西武への移籍ね、これはびっくりした?

 

内海さん:びっくりしました。ちょっと頭が真っ白になった。他のことはもう考えられなかったですね。来年も巨人で絶対結果を残してやろうと思って、来年に向けてトレーニングやっていたので。頭真っ白で何も考えられなかったですね、言われたその当時は。

 

37歳になる大ベテランの移籍にも、西武は温かく迎え入れてくれる雰囲気があったといいます。

 

内海さん:すごいアットホームだったですね、西武自体が。言い方悪いとそういう選手がよく来る球団ということで「もう僕ら慣れているので大丈夫ですよ、好きにやってくださいよ」っていう感じで、すげえありがたいなと思いながら。

 

移籍後は、けがや不振で2軍生活が続いた内海さん。選手として結果を残すことはできませんでしたが、若手を育てるという自分の役割を見つけました。

 

内海さん:若い子たちとコミュニケーションを取りながら、ちょっと(教えて)良くなるとうれしそうにしてくれる選手を見るとやりがいあるなと。

 

 

来シーズンからは、西武のファーム投手コーチとして、若手に自身の経験を伝えていきます。

 

内海さん:巨人はファームにおいても絶対勝たないといけないって教えられる球団。

 

上原さん:はい。

 

内海さん:1軍は西武ももちろん勝たないといけないですけど、西武の場合はとにかく育成というか勝ち負けは置いといて、とにかく打席に立たせる、守らせる、投げさせるっていう、本当に育成に特化しているなと感じました。若い子にとってすばらしい環境がある、それは一番感じたことかもしれないです。

 

上原さん:若手選手でテツが注目している選手は?

 

内海さん:将来楽しみな選手がいっぱいいるんですけど、渡邉勇太朗投手が楽しみですね。150キロぐらいのまっすぐでスプリットもあって。エースになれるような逸材だと僕は思っています。

 

上原さん:夢や目標は持っている?

 

内海さん: 19年間プロの世界でやらしてもらって、その経験とかやってきたことを、これからの後輩たちにしっかり受け継いで、上原さんのようなピッチャーを育てたいです。

 

上原さん:いやいや、そこは持ち上げなくても大丈夫だから。

 

内海さん:本当にそう思います。

 

 

 

 

 

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