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特集 中村憲剛が語る!サッカーワールドカップと日本の歴史

サッカー 2022年11月26日(土) 午前0:05

日本はFIFA ワールドカップ 2022の1次リーグで強豪のドイツとスペインに勝って決勝トーナメントに進みましたが、その1回戦でクロアチアに惜しくも敗れ、掲げていたベスト8達成はまたしてもお預けとなりました。1998年の初出場から日本代表が積み上げてきた24年間の歴史。何を学んできたのか。Kengo'Labはスペシャル編。中村憲剛さんが語るワールドカップと日本の歴史です。(2022年11月20日放送サンデースポーツ)

1998年フランス大会 初めて触れた“世界最高峰”

1998年フランス大会

1998年フランス大会 ワールドカップでの日本初ゴールを決めた中山雅史(右)

中村憲剛さん:初出場の1998年フランス大会。選手、スタッフ、そして応援する国民の皆さんも、すべてが初めての経験だったと思います。ただ3戦全敗で、得点はわずか1点と非常に悔しい結果と内容でしたが、ここで世界との実力差を肌で感じることができた、本当に大きな第一歩を踏み出した大会だったなと思います。

2002年日韓大会 “新世代の力”を生かせ

2002年日韓大会 ベルギー戦で同点ゴールを決めた稲本潤一(左)

2002年日韓大会 ロシア戦

豊原キャスター:2002年にはワールドカップを自国開催。

 

中村憲剛さん:日本のサッカーの歴史を考えた時に大きなターニングポイントになった大会だと思います。Jリーグが育てた小野伸二さん、稲本潤一さんの黄金世代と、日本サッカーの成長が本当にうまくリンクした大会だったと思いますし、1次リーグを突破し初のベスト16に進出した大会でもありました。貴重な成功体験を積んだ自国開催の大会だったと思います。

2006年ドイツ大会 “1つのチーム”になるためには

2006年ドイツ大会前のキャンプにて

2006年ドイツ大会 ブラジル戦

豊原キャスター:そして2006年ドイツ大会。

 

中村憲剛さん:1つのチームを作る難しさを僕もテレビで観ていましたけど、すごく実感した大会でした。タレントがそろい過ぎといっていいほどのメンバーだったと思います。全員がスタメン級でしたね。ベンチでチームを盛り上げたり一丸となる空気を作り出せる選手がいなかったのではないかなと思いました。うまい選手を23人呼んでも簡単には勝てない、苦しい戦いになることを僕はこの大会を通して学びました。

2010年南アフリカ大会 "腹をくくる覚悟"

日本代表を指揮した岡田武史監督

豊原キャスター:そして中村憲剛さんが出場した2010年南アフリカ大会。

 

中村憲剛さん:大会直前にそれまでの“攻撃的なチーム”から、“粘り強く守りカウンターを狙っていくチーム”にコンセプトが激変しました。指揮官(岡田武史監督)が腹をくくることがいかに重要かがわかった大会でもあります。そして川口能活さんや楢崎正剛さんのように裏でチームを支えるベテランのおかげもあって、初戦カメルーン戦の勝利をきっかけにどんどんチームが一体になっていくのを中にいて体感しました。

 

2010年ベスト8をかけたパラグアイ戦 中村憲剛選手(左)

豊原キャスター:そして中村憲剛さんが途中出場したベスト8をかけたパラグアイ戦。いまだに夢に出てくるシーンがあるということですね。延長後半のシーンです。

 

中村憲剛さん:玉田圭司選手から平行に入ったボールを、僕はマイナスで受けようとしたんですよね。このパスに僕が反応できていれば、日本はベスト8にいけたと思いますし、僕の人生もひょっとしたら変わっていたかもしれない。1つのプレーの結果の影響力、このボールが通り過ぎていったあのシーンは今でも思い出します。悔しかったです。

 

豊原キャスター:ワンプレーの重み。

2014年ブラジル大会 “自分たちのサッカー”と現実

2014年ブラジル大会

2014年ブラジル大会 コートジボワール戦

豊原キャスター:2014年のブラジル大会。

 

憲剛さん:強いチームだったんですけどね。タレントもいましたし。ただ完成が早かったなと思いました。大会の1年前からほとんどスタメンが固定されたことで新陳代謝があまりなかったです。初戦のコートジボワール戦で試合をひっくり返された時に、自分たちがやってきたサッカー、自分たちのチーム、魂というものを見失ってしまったかなという印象でした。“自分たちのサッカー”ができなかった時にどうするかという課題を突きつけられた、本当に苦い大会だったなと思います。

2018年ロシア大会 ”JAPAN’S WAYの可能性”

2018年ロシア大会で指揮した西野朗監督(左)と吉田麻也選手(右)

槙野智章選手(左)と西野朗監督(右)

豊原キャスター:前回のロシア大会。直前で監督交代がありながらも、決勝トーナメントに進出しました。

 

憲剛さん:この大会で痛感したのはコミュニケーションの重要さです。監督と選手が日本語で話す、ささいな会話や細かいさじ加減がチームを作る、西野監督と選手たちのコミュニケーションの深さを僕は感じました。ワールドカップで上位にくるチームは自国の監督が多いのも理由があるしうなずく結果だったと思います。そういう意味では“JAPAN’S WAY”の可能性を示した大会だったのではないかと。

 

ベスト8をかけたベルギー戦

ただベルギー戦で逆転負けしベスト8の壁ではね返された。みんな悔しい気持ちを覚えていると思いますがこの敗戦からスタートしたのが今回の日本代表です。

中村憲剛さんに聞く”ワールドカップ”とは

 

豊原キャスター:こうやって振り返りますと、ワールドカップから実に多くのことを学んできたことが分かります。中村憲剛さん、改めてワールドカップというのはどんな場、どんな大会でしょう。

 

憲剛さん:4年に1回なので、今の力を発揮する大会だと思うんですけど、積み重ねてきたものを映す鏡なのかなと思います。結果の影響力も本当に大きいですし、日本のサッカー界を超えて社会に及ぶレベルですから、本当にプレッシャーのかかる大変な大会だとは思いますが、頑張ってほしいと思います。

 

 

 

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