特集 玉鷲 大相撲九州場所で3回目の優勝へ "人を喜ばせたい"

玉鷲はことし9月の大相撲秋場所で休場した横綱や不振だった大関に代わって場所を盛り上げ平幕優勝を果たしました。
初土俵以来の通算連続出場記録は史上3位の1463回を達成。
年6場所制が定着した昭和33年以降で関取最年長の37歳10か月で優勝した思いを、元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さんが聞きました。
旭天鵬以上だとは全く意識していなかった
ーー優勝おめでとうございます。37歳10か月での優勝はすごいことです。旭天鵬が優勝したのは37歳8か月です。これを超えました。
旭天鵬関は38歳で優勝と勘違いしていました。自分が旭天鵬関以上だとは全く意識していませんでした。それを思うとすごいですね(笑)。
優勝賜盃を受け取る玉鷲(秋場所千秋楽)
ーー優勝制度ができてからは太刀山が38歳9か月です。旭天鵬関のときは37歳8か月の優勝を私が驚きをもって実況していました。それを超えるとは本当にすごいです。38歳9か月も超えられますよ。まだまだできるでしょう。
そうですか。やりたいですが、もっと緊張しますよ。
玉の海の浴衣を着て優勝、運を頂いた
玉の海(1970年)
ーー秋場所では玉の海(第51代横綱)の浴衣を着て場所入りしていたそうですね。
はい。玉の海関の浴衣地の反物を手に入れることができたので、浴衣にして秋場所に着て行きました。
ーー玉の海の墓参りもしたと聞きました。
秋場所が終わってから、愛知県蒲郡市にあるお墓に参りました。同じ片男波部屋の大先輩の玉の海関のことをもっと知りたいと思っていました。知れば知るほどあこがれます。
愛知県蒲郡市「横綱玉の海展」に玉の海の浴衣を着て訪れた(2022年10月2日)
ーー片男波部屋では玉の海以来の優勝でしたね。
玉の海関の浴衣を着たら優勝することができました。私は玉の海関の運を頂いたのだと思っています。
ーー長い大相撲の歴史の中で初土俵からの通算の連続出場記録は3番目です。簡単に達成できることではないです。
自分だけでは達成できないことです。皆さんがこの記録を大事に思っていることは感じています。皆さんをがっかりさせないようにしっかりと頑張りたいと思っています。
若隆景に負けて、感覚が元に戻った
ーー秋場所は序盤、体の動きがよかったですね。6連勝は初めてでした。
実は連勝していても気分はよくなかったです。7日目に若隆景に負けて、その時にすっきりした気持ちになりました。調子がいいとかこのままいってしまうとか脳が勘違いしていたのですが、負けたことで感覚が元に戻りました。12日目に若元春に負けた時は呼吸の問題でした。立ち合いの呼吸に失敗して合わなかったのです。
玉鷲は若隆景に突き落としで敗れた(秋場所7日目)
ーー平幕の力士がその場所に出場した横綱と大関の全員に勝ったのは北尾(後の横綱双羽黒)以来37年ぶりの快挙でした。
そうなるとちょうど私が生まれた年ですね(笑)。
ーー11日目は同じ1敗の北勝富士との直接対決でした。優勝は意識しましたか。
意識はしていませんでした。ただ楽しかっただけです。北勝富士は圧力が強いので、押し合いをやりたいと思っていました。優勝という意識は一切なかったです。実は北勝富士にはその相撲で2回勝っているのです。
ーーそれはどういうことですか。
北勝富士を崩したら、手を付きそうになったのです。その時に逆に突き起こしてしまったのです。一体何をしているんだと思いました(笑)。そのまま突き落としていれば、そこで勝っていたはずです。
本割で決める、この一番しかない
幕内土俵入りを行う玉鷲(秋場所千秋楽)
ーー優勝インタビューで「3日前に優勝を意識した」と答えていますが、それは若元春に負けたあとですか。
はい。優勝は意識しましたが、若元春戦では自分が思った相撲が取れなかったのです。土俵に上がる前から呼吸がずれていてだめでした。負けてしまったのだから、ここまできたら自分の相撲を取って終わりたい。そうすれば結果が出ると思いました。
ーー千秋楽は勝ったら優勝ということはあまり意識せずにいったのですか。
本割で決めるつもりでした。集中力を高めていきました。これに負けても次があるではなく、この一番しかないという思いで一気に走りました。
玉鷲が高安を攻める(秋場所千秋楽)
ーーいい勝負でした。高安とは何度も対戦しているし、稽古もやっていますね。
だから高安は右でかち上げてくると思っていました。しかし相手がどうくるかよりも自分がどう倒すかが大事でした。自分の流れで攻めていく。右から崩したほうが、力が出ると思ったのです。
ーー当たりもよかったですね。勝負が決まった時には、舌を出していましたね。
「あれは何」と妻(エルデネビレグ夫人)に言われました。私は舌を出す癖があるのです。趣味の手芸などの細かい作業をしている時も、ずっと舌を出しています。取組が終わったときに「フー」という感じで自分に戻るのかなと思います。
優勝を決めた直後、思わず舌を出した(秋場所千秋楽)
2人の息子は優勝したことがわかる、次男は実況をまね
ーー優勝インタビューの時に「家に帰ったら泣きたい」と言っていましたが、実際、泣きましたか。
泣きましたね。優勝しても普通の1日だったと思います。部屋の祝賀会が終わって、NHKのサンデースポーツに出演してから家に帰ると息子を風呂に入れました。派手に喜ぶとこれで終わりという気持ちになってしまいます。しっかりと自分に次もあると思って静かに過ごしました。ウイスキーを少しずつ飲むような感じで喜びを味わっていました(笑)。
ーー関取は九州場所では宿舎がある福岡県朝倉市の親善大使を務めていますね。朝倉の人たちも今回の優勝を喜んでくれたでしょう。
そうです。朝倉の人たちに会いたくてしょうがないです。千秋楽に朝倉から電話があったのですが、みんな私よりもずいぶんとお酒を飲んでいた感じで、本当に喜んでくれていました。人を喜ばせるために取っていてそれで満足しています。自分のためにやっているのではないです。
ーーみんなが喜んでくれればいいという思いですね。お子さんは6歳と3歳ですね。当然優勝はわかっていますね。
2人の息子はわかっています。6歳の長男テルムンはよくわかっています。3歳の次男エレムンもテレビを見て「玉鷲勝った」と実況をまねしています。
ーー下のお子さんは前回優勝した時に生まれたのでしたね。
そうでした。優勝の味わいが一層深くなりました。妻がしっかり子育てをしています。私は本場所の15日間しか仕事をしていません(笑)。家族のためにこれからも頑張ろうと思っています。
刈屋元アナウンサー(左)と玉鷲(撮影の時だけマスクを外しています)
相撲専門雑誌「NHK G-Media大相撲中継」から