特集 髙木美帆×山縣亮太 五輪主将どうしが語る

ことし2月の北京オリンピックで金メダルを含む4つのメダルを獲得したスピードスケートの髙木美帆選手(28)と、陸上男子100メートルの日本記録保持者で去年夏の東京オリンピックに出場した山縣亮太選手(30)。オリンピックでともに日本代表選手団の主将を務め、世界を舞台に戦った2人の対談がサンデースポーツで初めて実現しました。競技に向き合う姿勢やそれぞれが抱える悩み、オリンピックへの思いや今後の活動への抱負を語ってもらいました。
対談前、それぞれをどう思ってる?
髙木選手と山縣選手が顔を合わせるのは今回が初めて。対談前にどういう印象を持っているのでしょうか?まずは髙木選手から。
―― 山縣選手はどんなイメージですか?
髙木選手
テレビやニュース、特番で見る限り、ストイックそうだなとは感じたんですけど。でもアスリートってストイックじゃない人は見当たらないと思いつつ。すごく自分のやりたいことがはっきりしている印象はありましたね。
―― 自分と似ている?違っている?
髙木選手
山縣さんがNHKの特集に出ているのを見たのですが、印象深い言葉があって、そこは私とは違うと思ったことがありました。山縣さん1人でというか、選手1人で少数のチームで活動していると伺ったのですが、コーチをつけない考え方もあるんだというのが新しい発見というか面白いなと感じました。(現在はコーチをつけて活動)
――髙木さんも新しい体制を模索していますよね?
髙木選手
山縣さんの心意気というんですかね。チームに対するマインドを聞けたら面白いと感じています。私はどちらかというとコーチがいないと自分で組み立てていくのができないと思っているので、そういうところの違いは興味深いと思っています。
――きょう聞きたいことは何ですか?
髙木選手
知りたいと思っているのはオンとオフの切り替え。私はどちらかというと苦手なタイプで、オフにしちゃうとオンにするのに時間がかかるタイプなので、そのあたりを聞いてみたいです。あとは純粋に、山縣さんは職人肌なのかなと思ったので、どういう話になるんだろうと興味がありますね。感覚派なのか理論系とか、そのあたりを聞くことができたら面白いと思っています。
ーー山懸選手が対談で楽しみにしていることは何でしょうか?
山縣選手
髙木さんといえば、スピードスケートの世界で誰もが知る選手ですが、オリンピックの主将をやられたというところで自分はすごく悩んだので、何を考えながら競技をしているのか、そういうところも聞きたいと思って楽しみにしていました。競技的な話でいうと、陸上の世界でもスピードスケートの技術はスタートダッシュであったり、体の使い方がものすごく参考になることが多いと思います。自分もオリンピックを目指しているので何か1つでも持ち帰って競技に生かせたらいいなと思っています。
――陸上の短距離とスピードスケートの共通点はありますか?
山縣選手
ありますね。左回りでずっとトラックを回ることやコーナリングとかがあります。地面をどう捉えていくか、加速していく上での体の使い方、実はすごく参考になるのではないかと思っています。
――どんな時間にしたいですか?
山縣選手
ものすごく僕はモヤモヤしているので、競技という意味でもそうですし、アスリートとしてどこに向かっていくのかみたいな、競技の先にあるもの。きょうの対談を1つのきっかけにしてそのモヤモヤが晴れたらうれしいですね。
山縣選手
お願いします。
髙木選手
お願いします。姉(髙木菜那)と会いました?
山縣選手
会いましたよ。
髙木選手
そんなことがあるんですね。
山縣選手
たまたま駅前のカフェでコーヒーを飲んでいたら隣の隣だったらしくて。
髙木選手
なるほど。その証拠写真が送られてきて、『これ、山縣さんだと思うんだけど』みたいな。写真じゃわからないよとか言っていたんですけど。
山縣選手
そうですね。写真を撮られてたんだ。
髙木選手
聞きました?
山縣選手
いや、全然聞いてないです。
髙木選手
やばい。言っちゃった。
山縣選手
全然大丈夫です。そうなんですよ。まさかだったんで。スケート選手って自転車に乗るんですよね。
髙木選手
乗りますね。自転車はめちゃめちゃ乗りますね。
山縣選手
お姉さん、めっちゃ自転車の話をしてた。
髙木選手
同い年ですよね。
山縣選手
同い年です。
テーマは食への向き合い方からスタート
髙木選手
印象、どうですか?
山縣選手
髙木さんは勝手ながらすごくクールなイメージがありまして、すごく落ち着いているというイメージがあります。
髙木選手
そうだといいなと思いますね。私、NHKで密着されていたのを見たんですよ。
一番驚いたのは白菜の量を量っていて、この人の食事、こんなにストイックなんだとすごく衝撃を受けました。
山縣選手
心の中で、白菜を量っても意味ないぞとか思ってないですか。
髙木選手
いえいえ、思ってないですよ。思ってないですけど、私たちは体重管理がそこまで厳重じゃないので、甘いものとか食べたくならないのかなって。
山縣選手
あのとき確かに一番厳しくやっていましたね。2年くらい前ですけど。今はそうじゃないので。
髙木選手
食べますか、甘いもの。
山縣選手
食べますよ。さっきもチョコレートを食べました。
髙木選手
私のイメージはすごくストイックなのと、表現が難しいのですが、自分の道をしっかり決めているというか、見ているというか。俺の道はこれだみたいなのを持っていそうだなと思いました。
山縣選手
ありがとうございます。自分もけっこうそれに近い印象を持っているんですけど。でも意外と食事制限とかあまり管理が厳しくないって言ったら違うかもしれないけど。
髙木選手
太りすぎてしまったりやせすぎてしまったりしたらいけないですけど、ここまで体脂肪を絶対減らして筋肉たくさんのほうがいいというところでもない部分はありますね。私たちは冬のスポーツなので、移動も転戦が多い中である程度の健康的な部分がないと風邪をひいてしまう可能性があったりするので。バランスみたいなところはあったりもするんですけど、緩くなっちゃうときは緩くなっちゃいますね。
山縣選手
でも、なんかいいですね。あまりそこを気にしすぎなくていいというか。気持ち的にもゆとりがあって。
髙木選手
そうですね。健康的でいるのが一番強くいられるのかな、スピードの場合は、と思っていますね。コーチからは一時体重が落ちたときに何回か風邪をひいたので、特にオリンピック期間中になったら大変なので、あまり落としすぎない方がいいと言われたことがありましたね。あと極端でなければそんなに食べちゃだめとか何々をしちゃいけないというようなことはないですね。
山縣選手
記事で読んだんですけど、スケート選手は年中ナショナルチームで動いたり、そこのコーチから食事管理のことであったりとか徹底的に管理されるものですか?
髙木選手
ナショナルチームは日本代表チームのように、その都度選手やコーチが替わるというわけではなくて、ずっと1つの大きいチームで1年間過ごす感じなんです。栄養士がいて、基本的にビュッフェのメニューで管理されているのですが、それを自分でどうチョイスするかは本人次第というところはありますね。極端に厳重管理はされていなくて、だからこそ自分の努力次第で変わっていく。いいほうにも悪いほうにも変わっていってしまうような場所かなと思っています。
山縣選手
ナショナルチームだったらものすごく管理されているのかなというイメージがあったのですが、意外にそうでもない。
髙木選手
スピードスケートのナショナルチームはそこまでではなかったですね。あと、それぞれが抱えている問題も違ったので。
山縣選手
個人の課題に対してはすごく柔軟にというか、型を押しつけるんじゃなくて個人個人の課題に合わせたコーチングなり何なりというのが?
髙木選手
そうですね。あまりにも人数が多すぎて、1つの型にはまらなかったというのもあると思いますね。
山縣選手
いいですね。スピードスケートが強い理由はそれかな。陸上をやっていても、足が速くなる方法は何ですかってよく聞かれるんですけど、課題って人それぞれじゃないですか。あまりそんなことを言われてもなって、僕なんか思うんですけど。
髙木選手
難しいですよね。『どうやったら速くなりますか?』『わかりません』って。
山縣選手
言えないですよね。でも、実際はわからないからいつもどうやってその質問をかいくぐろうかみたいな。
髙木選手
どうやってかいくぐるんですか?
山縣選手
とりあえずパッと目についた動画とかがあれば、わかりやすいことは言うんですけど、心の中では『別にそれが全てではないけどな』と思いながら言うみたいな。
髙木選手
このあいだ、どうやったらオリンピック選手になれますかという質問があって、小学生だったのでなおさらすごく難しい質問だなと思って。ちょっと今、聞いてみたいなと思いました。
山縣選手
難しいですね。
髙木選手
はい。どうやったらなれると思いますか?
山縣選手
いやいやいや。難しいけど、どうなんですかね。『まずその質問を止めることからだ』みたいな。
髙木選手
うわ、深いなー。なるほど、そこの視点にはちょっといかなかったな。ちょっと面白い。ありがとうございます。
髙木美帆 ”新たな体制での葛藤とは?”
髙木選手はことし6月、日本スケート連盟のナショナルチームを離れて個人で活動することを表明。北京オリンピックまで指導を受けてきたヨハン・デ・ヴィット 氏をコーチに迎えて新たなスタートを切りました。そこで感じていることとは?
会見する髙木選手とオンラインで参加したデ・ヴィットコーチ(2022年6月)
山縣選手
僕、記事で見ましたよ。ナショナルチームじゃなくてコーチと今やっているんですよね。
髙木選手
はい。そもそも北京オリンピックが終わった後に、スケートを続けようかどうしようか、1回ちゃんと考えたんですけど。スケート好きだな、やりたいなと思って、去年までナショナルチームに付いていたコーチとやりたいなというのが出てきて。でも任期満了で契約が更新されなかったので、私がナショナルチームを出る選択肢しかなくて、オリンピックが終わったタイミングだし、ちょっとチャレンジしてみようと踏み出したんですけど。なかなか毎日刺激的な。
山縣選手
今、基本的には2人で動いていますか?
髙木選手
2人だけではないですね。スタッフがほかに何人かいて、選手は私しかタイミング的にもいなかったので、どっちかというとできれば選手も増やしていきたいと思っているのですが。スピードスケートって1人だと練習できないことが多くて。やっている方もいるんですけど。
自転車でトレーニングする髙木選手とデ・ヴィットコーチ(2022年9月)
山縣選手
けっこうきついメニューが多いということですか?
髙木選手
そうです。長距離のメニューも入ってくるので。
山縣選手
髙木さん、けっこう長いのもやっていますよね。短いのから長いのから。
髙木選手
はい。選手もいてくれたらと思いますし。ただチームを作るのは、今までコーチとかが集まってチームになることはあってもゼロからというんですかね、チームを作るということの前例があまりなかったので私自身もどうなっていくのかなというところはあるんですけど。その中で山縣さんがそもそもコーチを付けないという選択をしているというのを知らなかったんですけど、聞いて『なんて自分を管理できる人なんだ』と思ったんです。
山縣亮太 “新たにコーチを付け 好パフォーマンスにつなげたい”
山縣選手
管理できなくなった結果、去年からコーチを付けているんですけど。
髙木選手
そうなんですね。すみません、調査不足で。
山縣選手
チームの大切さみたいな、もう1人でできる領域の世界の話じゃなくなってきて。100メートルで言えば9秒台に入って、さらにもう一個先の世界へとなると、もちろん自分の考えとか感覚はすごく大事にしつつも、1人の感性だけでこなしていくことは当然できないレベルになってきたなという実感があって。いろいろなサポートを会社とかにしてもらいながらやっているというのが現状です。だから髙木さんもオリンピックでメダルを取ってものすごい高みに行ったという、その状況でさらに記録やもちろんメダルもだと思うんですけど目指していく。スケートを追求したいというところで今やっているんですよね。
布勢スプリント 男子100m決勝で9秒95の日本新をマーク(2021年6月)
髙木選手
そうですね。
山縣選手
自分もずっとコーチを付けずにやってきて、知識量や知識の引き出しというのが、もちろん時間をかけて勉強してきたわけではないから限界を感じました。今コーチを付けて、スプリントコーチだけじゃなくて理学療法士や体の仕組みに詳しい人を付けて、チームとして横の連携でやって、まだチーム歴は浅いので結果は出ていないんですけど、日々の練習でも手応えをすごく感じてできているというところで。ふと自分も陸上界のことを、僕もあまり適当なことは言えないのですが、そもそも体に対する理解度というのが選手はものすごく浅い人が多いというのは過去の自分を振り返っても思うし。でもそんな人が日本一になっちゃうという全体のレベルの問題みたいなものもありつつ。もっともっとレベルを上げていくにはもっといろんなことを考えなきゃいけないんじゃないかな。
髙木選手
考える先ってめちゃめちゃ多いですよね、分野とか。
山縣選手
無限といってもいいぐらいありますよね。髙木さんのチームは選手を中心にしてコーチがいて、例えば栄養士とか理学療法士とか構想みたいなものはあるんですか。こういう人を付けたいみたいな。
髙木選手
そうですね。選手がいてコーチがいて、あと、理学療法士になるのかな。マニュアルセラピストになるのかな。体のケア全般を管理する人。情報がそこに集まってくる人が1人いて、チームをマネジメントする人もいて栄養士がいて、というふうに作っていきたいというのはありますね。でも増えれば増えるほどやっぱりコストというものが。
山縣選手
お金がかかりますからね。ほんとそうなんですよ。そこだなみたいな。お金がいくらあっても足りないみたいな。
髙木選手
ナショナルチームはそこができたんですよね。
山縣選手
それは強いですよね。ナショナルチームというものがしっかりあれば、付けられる人が増えますしね。難しいですよね、お金まわりって。アスリートが真ん中にいつつも、専門的な人たちが横の連携をしっかり取ってやっていけるというのが、チームとしては理想的だなと思いながら。
髙木選手
チームをつくる上でそういう理想があったり構想があったりという中心って山縣さんですか。
山縣選手
そうですね。アスリートが中心になっていろいろ周りの人が世話を焼いてくれているなという、そう信じています。そこにマネジャーがいますけど。そうじゃないんですか?
髙木選手
競技をやる上でアスリートが中心にいるなと思うんですけど、どうも私はずっと競技だけをしていたいんだけどなって思っちゃったりするんですよね。
山縣選手
競技だけをしていないんですか。競技以外のこともしているんですか。
髙木選手
こういうチームにしていくための努力みたいな感じですかね。
山縣選手
自分たちはそのあたり、マネジャーがけっこう頑張ってくれていると思います。僕がイメージしているチームというのは、いろいろな専門的なスタッフが横の連携を取って、それをアスリートを含めたコミュニケーションで、最後に選手はパフォーマンスにつなげていくという。パフォーマンスを出すためのチームとして考えています。やっぱりどうやったら自分の足がもっと速くなるかということが頭の8割くらいを占めているんですよ。そうなってくると、コーチを付けずに自分で何とかするということも一定の価値はあるけど限界もあると思った時に、自分の感性を刺激してくれる人、コーチがいたり理学療法士がいたり、そういう人がやっぱりほしいと思うんですよね。しかも同時にスタッフ同士の連携が取れていないと、ある人は筋トレをやれと言って、ある人はやるなと言うみたいな。そういう事態にもなりかねないから。
髙木選手
人が増えると。そうですね。
山縣選手
選手の悩みとかキャラクターとか選手の課題というのをチーム全体が共有しているという。目標、目的まで共有して、そういう状態になっていないと僕の足が速くならないというのはすごく思うので、一応自分の意志としてこういう環境を作りたいというのは頭にはいつもあって。
髙木選手
ちょっと見習わなきゃなってすごく思ってます。
山縣亮太 手術を機に“体の使い方”を模索
山懸選手は去年10月、右ひざの手術を受け、ことし6月の日本選手権を欠場しました。今は2年後のパリオリンピック出場を目指し調整を続けています。体の使い方に課題を自覚しつつ、さらなる高みを目指しています。
地道なトレーニングに取り組み、レース復帰を目指す(2022年2月)
山縣選手
僕は去年ひざの手術をして。なぜ手術したのかという話になると、もっと記録を出したいからというところで、けがをするのもやっぱり理由がある。僕の場合はもう右足ばかりにけがが集中するんです。競技をやって20年たちますが、20年間の体のくせとかそういうのが出始めているんですよ。
髙木選手
頭を抱えちゃうほどわかりますね。
山縣選手
そうなんですよね。結局それが東京オリンピックが終わった後に爆発しました。手術をして、けがを治すというのは表面的にはできるんですけど、たぶん一番大事なものって体の使い方を変えること。自分のくせとか、左右差というのがすごくあるので、左右差をなくして体の使い方から変えることというのが僕のモチベーション。もっと記録を出したい、もっと競技とか体のことに詳しくなれるというのがあって。それがちゃんと克服できたら記録も出せる。僕はパリを目指しているんですけど、パリでも結果を出せるという思いで今やっていて、現状としては手術は無事に終わって1年たって、ことしは1回も試合に出なかったのですが、だいぶ動きも変わってきておおむね良好かなと。来年ぐらいからは試合に出られるんじゃないかという気持ちでいます。それが今の僕のひざの現状です。
コーナーでの体の使い方で議論白熱
髙木選手
私たちはもう、左右差しかないスポーツなので。コーナーを左回りするときに左足と右足の力、ストレートは同じなんですけどコーナーの使い方がまったく、特に左足はストレートのときは外側に動く動きをするんですけど、コーナーは逆に内側に動く動きをするという両極端な動きをするので、年々関節に痛みが。私も23年、競技を始めてからなるんですけど。
山縣選手
じゃあずっと、あの左回りのトラックを何周も何周も。スケート選手ってレース中にけがをすることはあるんですか。それともトレーニング中ですか、多いのは。
髙木選手
レース中はあまり聞かないですね。レース中は外傷が多いです。筋肉が切れるのも、スプリンターがスプリントトレーニングを陸上でしたときですね。だから氷上に乗っている間のバチンというのはあまりなくて。積み重なっている慢性疲労から来るものが多いのでけっこう厄介ですね、なっちゃうと。
山縣選手
すごく左右差があるという話。競技的にというか、コーナーで左右差があるみたいな話でしたけど、直線もけっこう滑らなきゃいけないじゃないですか。そういうときに左右差があって右と左の感覚があまりにも違うとパフォーマンスに影響したりしないですか?
髙木選手
そうですね。きっと改善点としてさらに速くなる上で、うまく使えない方をうまく使える方ぐらいまで持っていければストレートでもっと速くなるという可能性は十分あるんじゃないかなとは思います。でもスピードスケートって立体的。前後左右、上下に動くので。上下に動こうとはしないんですけど結果的にそういう動きになるので、一概にどこまでが左右対称かというのも言えないところはあるなとは感じているんですけど。100メートルってまっすぐ走るじゃないですか。それでも左右差って出るんだなという。
山縣選手
めっちゃ出ますね。100メートルだけ走っていれば、もしかしたら出ないかもしれないですけど、練習で長い距離を走るんですよ。200とか300ってコーナーを曲がるので。僕はどうやってうまくコーナーを回るかという話をコーチとよくするのですが、スピードスケート選手の話がよく出てきます。
東京オリンピック 男子100m予選の山縣選手(2021年7月31日)
髙木選手
本当ですか?
山縣選手
はい。きょうもコーチに『コーナリングについて聞いてこい』って。何を意識しているのか、答えてくれたらうれしいですけど。ものすごく振られるわけじゃないですか、外に。それをどうやって振られないようにしているのか。僕らは内傾をかけちゃうと痛くなるんですよ、足が。関節が痛くなるから。スピードスケート選手って関節が痛くなったりしないんですか。
髙木選手
します、します。私たちは何を意識しているんだろう。まず姿勢からして独特なので。こんなに低い、こんなに丸まっていないじゃないですか、日常生活。曲がっているので股関節がめちゃめちゃきついんですけど。カーブしているときも横移動って発生しているんですよ、前に進んでるんですけど。右から左に行くときも、前には進みつつも体は横に運ばれていくんですよね。それができないとブレードが後ろに逃げていくだけで力が伝わらない。
山縣選手
横に押している感じ?
髙木選手
大げさに言うと。
山縣選手
それコーチに言われました。股関節の使い方が、お前は使えていないと。だから、もっとちゃんとスケート選手のステップみたいに使えって言われていて。
髙木選手
面白いな、それは。
山縣選手
ちょっと極端に言えばこうやって横に押すみたいな。股関節の回旋する力を使ってやれみたいな指導を受けているんです。
髙木選手
私たちが意識しているのは骨盤がクロスするからなんですけど、足をクロスするのですが骨盤が回らないようには意識しますね。ここの横のラインは一定で動いていけるようにというのは意識するかな。骨盤がクロスして回旋しちゃうと全部逃げちゃうので、ためができないんですよね。こっちも。ここは真っ直ぐのまま。でも横に移動しつつというすごくきついところで動くんですけど。何かつながるかな。
北京オリンピック 女子1500メートルの髙木選手(2022年2月)
山縣選手
コーチにそのまま伝えておきます。そう言ってましたって。
髙木選手
股関節の使い方か。ここは左右差が出るんですけど、右は内側に乗っているんです。左は外側に乗っているんですよ、股関節では。
山縣選手
左は外に乗っているんですね。
髙木選手
バンクは角度がつくのでそれもあると思うんですけど、骨盤があって足が入っていたらここに左右差が出ちゃう。日常的に出ちゃうんですけど、どう表現したらいいんだろう。外にいるのが左で、右は内側で。
山縣選手
じゃあ、右の方は股関節がはまりやすい。左はかぽっと外れちゃうみたいな。
髙木選手
外れるほどヤワな筋肉にはなっていないと思うんですけど。
山縣選手
そうですね。失礼しました。僕も実は左右差があって、はまりやすい方とはまりにくい方。僕は左がすぽっとはまるんですけど、右が外れているというか、外に逃げちゃうというか。それがけっこう右足のトラブルを起こしていると言われていて。
髙木選手
私はそれに詳しい人を連れてきたいですね。その人を交えて話したら面白そうですね。
山縣選手
ちょっとそこを解明したいなというのはありますね。
髙木選手
今ふと思ったのですが、左右差が出やすいからこそ私はけっこう体をいったん整えることは意識していて、どこか無理しないと動けないような硬さを残したりしないようにトレーナーとコミュニケーションを取りながら、なるべくニュートラルにするようにした上でトレーニングやレースに行くというのは心がけているなと。
山縣選手
ケアとかマッサージ、ストレッチというのにものすごい時間を割いている?
髙木選手
そうですね。主にたぶんケアになると思うんですけど。
山縣選手
ちなみにどんなケアしているのですか。自分はけっこう針とか好きでよくやるんですけど。
髙木選手
私は、なんて言うんですかね。指圧なんですけど。ほかの人たちがどういうのをやっているのかわからないですが、イメージ的には筋が一個一個ちゃんと動くようにする感じ。腱を緩めるとかじゃなくて。なんかこれ、この中ではしゃべりきれない話なので、また後日。
山縣選手
すごくこだわりを感じる。
髙木選手
どっちかというと、姉さんがそのあたり詳しいんです。私はイメージしたのがそのまま使える体にしたいという感じです。
山縣選手
それを受けることによって、もうほぼイメージどおりのニュートラルな体の状態になりますか?
髙木選手
私たちは氷の上なんですけど、陸上で下準備をして氷上に行くというような感じですね。氷上では、あまり深くこうして何をしてというよりは、イメージだけでサーッと進んでいくみたいな。そういう感じ。
山縣選手
陸で作っていくんですね。
髙木選手
どっちかというとそうですね。氷上ではあまり考えないようにしています。
山縣選手
自分もトラックではあまり考えずに、室内のジムにいるときにいろいろ考えるようにします。
髙木美帆 “まだまだ速くなれる”
北京オリンピック 女子1000メートルの髙木選手(2022年2月)
山縣選手
今は世界記録を狙っているんですか?
髙木選手
そこまで私がスケートを『じゃあやろうか』と思ったときの理由はあまり探しにはいっていないんです。ピョンチャンオリンピック(2018年)が終わったあとはあまりスケートを続けることに前向きな気持ちを持てなくて、けっこう苦しい時期があったんですけど。スケートの練習もしんどいという期間が多かったりしましたが、今はスケートをするということ自体にポジティブな、なんか楽しめそうと思うというのがあったので、それが最初のきっかけだったんですよね。やっているとやっぱり、できなくなるというのも面白くないし、あの速くなっているという感覚とか、闘うワクワク感を、何て言うんですかね。
山縣選手
自然と追求しちゃうような。
髙木選手
昔ほど考えずに求めにいっているような感じなんですかね。今は具体的にこれを目指しているというよりは、自分が想像したときにワクワクするような目標に向かっていきたいなと思ってるという感じです。
山縣選手
オリンピックで金メダルを取って、記録といったらどこまで追求するかわからないですけど、何をしたらワクワクするんですか。
北京オリンピックでは冬の1つの大会で日本選手最多となる4つのメダルを獲得した(2022年2月)
髙木選手
私は種目数が多いので、まだコンプリートというか未完成な種目があったり、それを追求するのもきっと面白いと思いますし。レコードも単種目だけじゃなくて4種目の合計のがあったりユニークなものがあるんですけど、そういうものも単純にワクワクするゴールとしてはありますね。ほかにまだ速くなれる、速くなりたいと思えるものがあるというのが大きいかもしれないですね。
30歳と28歳 それぞれが抱く将来の展望とは?
山縣選手
僕、たぶん知識とか技術だけあっても体が老化してしまえば速くは走れなくなる瞬間が来ると思うので、記録が出なくなるところまでという言い方になるんですかね。これからもっと知識も増えるし知識的には進化していくと思うんですけど、50歳になって走れるわけないので。9秒いくつで。
髙木選手
道具も何もないスポーツだから。シンプルに自分の体じゃないですか。
山縣選手
難しい。だから、正直ゴール地点がどこかというのは、今明言するのも非常に難しくて。1つの目標として9秒8。アジア記録は9秒83なんですけど、出せる可能性はあると思って自分はそこを信じてやっているのでそこは目指しつつ、時間的にはパリの2024年。2025年には東京世界陸上が決まったので、そのあたりが一応限度かなと思ってはいます。
髙木選手
カウントダウンが始まっている感じがしますよね。
山縣選手
髙木さんの今スケートをやっているモチベーションで一番を占めるのは、楽しいとかワクワクとかですか?
髙木選手
これも話し出したらきりがないんですよね。結局のところ。こんなに打ち込めるものってあまりないじゃないですか。だから、打ち込めるだけ打ち込みたいというのも出てきたかもしれないですね。昔はあまりこんなことは考えなかったのですが、そういう刺激みたいなものはあるかもしれないですね。
山縣選手
悩ましいなと僕はすごく思っていて。30歳になってあとどれぐらい競技できるのか。身体的に競技できるのかなというのも考えるころなんですけど、アスリートとしての目標というのは、例えば100メートルだったら9秒8出したいなとか、オリンピックでメダル取りたいなとか。個人で成績を残したいなとか、そういうのもあるんですけど、考えすぎてそれを達成したからなんなんだろうみたいなこともすごく考えるんですよ。スポーツがなんぼのもんだみたいな、みんながそう思っているわけじゃないとは思うけど、スポーツにほとんどの自分の人生の時間と労力を費やしてきたので、意味ないって言われちゃうと悲しいなというところも感じつつ。
髙木選手
けっこう考えるんですね。
山縣選手
どうしようもないところまで考えるんです。とはいえ確かに、僕はスポーツをやっているんです。やらせてもらっているんですじゃなくてやっているんです、胸を張ってスポーツに時間をかけてきたんですと言えるような、そういうものでないと胸を張って町を歩けないみたいな。
髙木選手
そんなことない。
山縣選手
そんなことないとは思うんですけど、思うわけですよ、最近のいろいろな問題を目にするにつけ。難しいなと。
オリンピック日本代表選手団主将の就任の背景には?
山縣選手
大変なときに、自分も相当悩んだんですけど、北京オリンピックで主将をしましたよね。あれって急に来ました?主将、お願いしますみたいな。
髙木選手
どこまで話をしていいのか。1回夏に来たんですけど。
山縣選手
そうなんですね。早いですね。
髙木選手
はい。私、1回断っていて。そんな余裕はございませんという感じでお断りしたんですけど、もしもう1回まわってきたら結局誰かに当たって断られて、やれる人がいなくてまた来るのであればほかの人に押し付けるような形にもなってしまうので、そのときは引き受けようかという話をしていたら、また来たなって感じでしたね。
山縣選手
実は、僕も言っていいのかわからないけど1回断っているんです。自分の場合は6月に日本選手権があって、そのレース結果を受けてほとんど代表が決まりというところでお話をいただいたんですけど、でも本番開始の2か月前とかなんです。1か月前か。かなり直前だったんですけど、さすがにその余裕はないぞと僕もやっぱり思って。ご時世もご時世だし。たぶん同じような理由で、自分にまわってきた話であるなら人に押し付けるわけにもいかずというのもあって、自分が最終的にはやりたいというところでお受けした話ではあったんですけど。
揺らぐオリンピックの価値に選手として思うことは?
山縣選手
でも、すごく悩みませんでした?僕、競技しながらすごく悩んだんですよ。夏はオリンピックをそもそもやるのかやらないのかというのが直前までもめていたから。その中で主将をやることに対してネガティブな感情を持っている人も少なくないわけじゃないですか。こんなときにスポーツなんてみたいな。競技する意味って何なのかなみたいなこととか悩んだのですが、そういうのはなかったですか?
髙木選手
私たちは冬だったのでなおのこと、そういうことを考える時間があったというか。私たちが東京オリンピックに出るわけじゃない中で、それでも同じアスリートとして感じる部分もあって、なんか難しいなというのをすごく考えていた時期はありましたね。
山縣選手
僕、今でも悩んでいるんですよ。最近はオリンピックがらみでよろしくない問題とか、どんどんスポーツと社会って離れちゃってるなというか。それでいいんだっけみたいな。
髙木選手
でも、私はオリンピックが終わってから、最近はSNSが増えてきてけっこう身近にファンの人たちや応援してくれる人たちの声が届くようになってきた中で、スポーツだから共有できる頑張ろうと思う気持ちとか、受験生の方だったり、仕事で悩まれている方だったりとかから『もう1歩踏み出せる勇気をもらいました』という言葉をいただいたので。これはスポーツという特有の、また芸術とは違うものだからできることでもあるのかなと思うことはありましたね。だから、進めばいいんだと思っています。
山縣選手
僕もそうなんですよ。僕自身がすごくスポーツが好きだから、陸上だけじゃなくてオリンピックはどの種目もけっこう見るし、ふだんは野球もすごく好きで見に行ったりするんですけど、スポーツに近い人間だから『感動するな』『悔しいな』『勇気をもらうな』というのはすごくわかるのですが、でも自分がスポーツが好きじゃない人間だったらどう思っちゃうだろうと思うんですよね。誰しも学校体育とかでスポーツに触れる機会がけっこうあると思いますが、そこでスポーツに対してポジティブな感情を抱く人と、一定数はスポーツなんか嫌いだ、運動なんかしたくないみたいな。だから、そういうのが届かない人たちに対して自分たちは何ができるのかなという。
髙木選手
本当に好きな人たちだけではできないものなんだなって。東京オリンピックをこの年で見て感じたので、なかなか難しい問題ではありますよね。
山縣選手
スポーツが好きな人たちだけで勝手に盛り上がっているイベントにしないようには、少なくともオリンピックはしたいなと思ってはいますけどね。
髙木選手
スポーツが純粋に好きで取り組んでいるからこそ、自信というか、胸を張っていきたいなというのはありますね。
山縣選手
僕も最後すごく悩んだけど、自分の好きなことであり仕事として自分に与えられたステージだというところで胸を張って、申し訳ないなと思いながら競技するのは違うと思うから、与えられたものに感謝をしながら全力でプレーするという、最後は選手としてそういう気持ちでスタートラインに立っていたのでそれでしかないのかなと思うんですけど、また悩みモードに入ってる。
スポーツと社会の接点を求めて
髙木選手
私は最近、運動するということ自体は人間にとって必要なことじゃないかなというのを感じていて。例えば、脳科学者が運動しましょうと言ってもなかなか一般の方に届かなかったりするものが、アスリートがコラボすることでもっとその重要性というか、ただ『スポーツって健康にいいんだよ』だけじゃなくてもうちょっと深いところで、スケートが終わってからの話ですけど、そういうことを伝えることができるんじゃないかなって思ったりはしていて。
山縣選手 めっちゃわかります。人間の根本的な欲求の中に体を動かすとか体を動かしたいというのはやっぱりあると思うんですよね。1人の人間として時々散歩に行きたくなったり、身体を動かしたくなったり、筋トレしたくなったりというのはあるのかなと思うので、そういう側面にもっとスポットライトを当てたいなという。競技スポーツはちょっと違うかもしれないって話がありましたが、でも僕は競技スポーツをもっともっと高いレベルに押し上げることも、今のスポーツに関わりがある人たち、ない人たち含めて、みんながアクティブな人生を送ることにおいて、そこがけっこう土台がつながっている気がしていて。体を正しく理解して体の使い方を知って、体を鍛えるというか。足腰が悪い人やひざ関節が痛い、僕みたいにひざが痛い人が股関節をちゃんと使えるようになったら痛くなくなりましたとか。
髙木選手
可能性がありますよね。
山縣選手
と思って。今のが僕のモチベーションです。
髙木選手
私の中で競技人生のビジョンは、いつか辞めたあと、絶対来るであろう終わりのあとは何となくこういうことをしたいなみたいなぼんやりとした感じ。競技人生って難しくないですか、今。
山縣選手
難しいですよ。競技者としてはただ上を追求するだけなんですけど、その中で得た発見とか気付きとか体に関するものというのは、スポーツがある種の健康問題的に社会との接点を持つことができる部分かなと僕は思っています。
「おはよう日本」に出演し筋肉の使い方について語る(2022年9月)
髙木選手
長生きする人が増えているじゃないですか。体が動かなかったらたぶん楽しさが半減しちゃうよなって思うこともあるんですよね。どこかが痛いとそこが気になっちゃって楽しめなかったりとかすることもあると思うので、そういうのを広めたりできたらいいですよね。
初めての対談を終えて
――対談をしてどうでしたか?
髙木選手
表現が難しいですけど『そこまで考えるんだな』というところまで考えられる人なんだなというのは感じましたね。私はわりと周りから『心配しすぎなところまで考えてしまったりするよね』と言われるのですが私の上をいくのではないかと。そんなに考えなくてもいいですよって言っちゃうんじゃないかと思ったので。ちょっと似たところを見つけられたような感じはしましたね。コーチを付けたと知らなかったので聞いたときにすごいなと思ったのは、今まで自分が信じてきたやり方があるじゃないですか。それを自分が速くなるために必要なことであれば、コーチと共存するという選択肢も選べるんだなと思って。本当に自分が速くなるためにというのが、選択肢のおおもとなんだなというのを感じましたね。こだわりって変えることが難しい人もいるじゃないですか。面白いなというのを感じました。
――新体制で活動されている今、刺激になりましたか?
髙木選手
そうですね。山縣さんの中では、こうしたいというのがはっきりとあるんだなと。これが必要というのがあって、そのためにどうするかというので、動かれているんだろうなと感じたので。私はどちらかというともっとざっくり、例えばヨハンとやりたい、自分の気持ちが盛り上がるようなところにまだ向かっていきたいと思うことはあっても、ちょっと受動的なところがあるからもっと能動的に。アスリートがいてスタッフがいるという話になりましたが、アスリートでありつつもここにいる必要もあるんだろうな、チームアップをするにはということも感じたので、そこに労力をかけることを惜しまないでいこう、いかなければいけないんだと感じましたね。
――競技をやるために?
髙木選手
はい。山縣さんは無意識だと思いますが、何が必要とか言えないじゃないですか。こういう考えでやりたいとかもコミュニケーションをとるのですが、そもそもナショナルにいる期間が長かったので、全部整っている中にいてあとはどう自分で工夫するかから、自分がいてそこに引き寄せていくイメージですかね。私が何か強く持つことによって、生まれてくるものもあるのかなと。頑張ろうって思っています。
――今後のビジョンについては刺激になりましたか?
髙木選手
年齢を重ねていくとアスリートの同期が減っていくこともあると思うんですよね。1994年生まれはけっこういるなと思ったんですけど、同志じゃないですけど勝手に仲間意識みたいな、一緒に戦う時間のリミットがあるというのを認識したうえで戦っていく同志みたいなのを勝手に認定しました。たぶん私たちがタイム競技で体の衰えでカバーしきれないところが必ず出てくる、1人でやるしかないところは通じるものがあると。タイムリミットも、まだスピードスケートはブレードとかを通すので工夫のしがいは陸上よりあるかもしれませんが、そういうところは似ているところがあるんだなと思いました。オリンピックというより自己追求みたいな、(オリンピック)だけではないなというのも感じましたね。自己追求だけでもない。自己追求だけだと、そんなモチベーション続かないですよ。
――オリンピックに特別なものはありますか?
髙木選手
スケートを続ける意味に対してオリンピックはあまり関与していないのは事実ですが、オリンピックでしか味わえないものも自分の中でとても重要だったなと思うので難しいですね。そことはまた別に自分の更新したいものを更新していくのかなと思いました。今は、あの北京の姿のままで絶対続けなければいけないと思っているわけではないかもしれないです。スケートをやっているといろいろな気づきがあっていろいろな人としゃべって、自分は長くやっているから自分の変化を感じて、こういう変化を遂げるんだと感じるのも楽しいですし。となると、終わりどきって、どうなるんですかね。でも、惰性では続けたくないと思います。ほかにやることが見つけられないからスケートみたいな選択も嫌なので。
――髙木選手の印象は。
山縣選手
もっとクールな印象が勝手にあったのですが、すごくいろいろ話ができてよかったです。いろいろ聞けたし、でも落ち着いた雰囲気は健在でした。
――対談を終えてみていかがですか。
山縣選手
髙木さんもいろいろ悩んでいろいろなことを考えて、当然ですがアスリートとしてもオリンピック主将としても、すごく考えてやってきたんだなというのを感じました。
――印象に残ったことは?
山縣選手
これは僕がそう考えていたことでもありますが、スポーツや体を動かすことに対して人は少なからず根本的な欲求を持っているという話を聞けたのは、『ああ、髙木さんもやっぱそう思う?』みたいな感じがあってうれしかったですね。
――今後にどう生かしたいですか?
山縣選手
競技者としては、コーナーの体の使い方や体のケアの話や技術的な部分であったり、直接競技に関わってくることもあるし、僕も残りオリンピックまでの2年間というところで、さらに自分の記録を出すためにきょうもらったアドバイスや話をしっかり生かしていきたいという思いはあります。競技を超えたその先のスポーツの持っている可能性について話ができたので、自分のアスリートが終わったあとのキャリアのこととか、もっと考えていきたいと思いました。
――素敵だなとか、感心したことは。
山縣選手
髙木さんから一番アスリートだなと思った瞬間は、やっぱり競技、体の使い方の話や体のケアに関しても、多くは語らなかったですがものすごくこだわりを感じたので、アスリートとして高みにのぼった方は違うなという片鱗を見ました。