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特集 告白・貴乃花の「相撲道」完全版 後編

相撲 2019年4月25日(木) 午後6:43

まもなく幕を閉じる、「平成」という時代。サンデースポーツ2020では、2月24日放送回で「大相撲」の平成史を振り返りました。

この連載では、番組で紹介した元横綱・貴乃花の貴乃花光司さんのインタビューに未公開部分を含めて再構成。「平成の大横綱」の相撲道とはどのようなものだったのか。そして未来に伝えたい思いとは。大越健介キャスターが迫ります。

 

前編記事はこちら

“ライバルたち”へ ハワイ勢への敬意

平成の大相撲。その大きな変化の一つが、海外出身力士の増加だった。「平成の大横綱」貴乃花にとっても、ライバルとして共に平成前半の土俵を沸かせたのは、ハワイ出身の力士たちだ。大関・小錦。横綱・曙。そして横綱・武蔵丸。日本人離れしたパワーを持つ彼らに真っ向から立ち向かった日々は、貴乃花さんにとってどのようなものだったのか。そして、大相撲の新しい歴史を作った彼らに対する思いとは。

 

ライバル・曙を破り優勝を決めた一番

 

大越 貴乃花さんにとっても、ハワイ出身の巨漢力士たちに立ち向かう日々は非常に厳しいものではなかったかと思います。特に小錦、曙、武蔵丸。そうしたライバルたちとは、どのようにして向き合っていったんでしょうか?

 

貴乃花 彼らとの相撲は、日本人の大きな力士とやるのとまたわけが違いましてね。土俵で向かい合った時に、彼らの向こうの景色が見えない、そう感じたのがあの3人ですね。やっぱり育った環境も食べてきたものも違いますし、体力的素質的にも全く日本人と別物というんですかね。体は柔らかくて大きいんですけど、器用に動ける。私としてはそういうところを全て把握して、365日の稽古で頭に叩き込んで常にイメージトレーニングといいますか、想像して稽古にあたるといったところでした。

 

大越 しかし彼らも立派といいますか、全く風土の異なる日本に来て力士の世界に入って、あそこまで上り詰めるわけですからね。そのライバルたちに対するリスペクトの気持ちもお持ちだったんでしょうか?

 

貴乃花 やっぱりアメリカ本土とは違うハワイ州というところで育ってきた彼らは、肌の色も体の大きさも違うんですけれども、どこか日本的な感じもありました。モンゴル力士ともまた違う感じです。日本の教えを重んじるというのは、もしかしたらハワイの方々と日本の密接してるところなのかなと。だからあの3人が「ハワイの英雄」として相撲界に出てきたのかな、と思っていましたね。

若き日の稀勢の里へ

大越 貴乃花さんの引退から現在に至る平成後半は、朝青龍関、さらに白鵬関の時代でした。日本の大相撲のグローバル化と言いましょうか、様々な国から相撲界にやってくる中で特にモンゴル勢が活躍しましたね。そして、長く日本出身横綱のいない時代でもありました。ご自身も日本出身の横綱として、日本出身の力士に頑張ってほしいっていう気持ちは、どこかでお持ちではありましたか。

 

貴乃花 私の同期でやってきた、あの四つ相撲の怪力・魁皇が横綱になれなかったのは…。彼も横綱に上がれればよかったなと、今も思います。元横綱という経歴がつくわけですから。私が引退してから久々にワクワクしたのは稀勢の里(現・荒磯親方)でしたね。「これは稀勢の里が順調にいけば面白くなるだろうな」っていう期待は、いつも持っていました。

 

 

大越 日本出身力士の中でも、やっぱり稀勢の里は早くから目についた逸材だったんですか。

 

貴乃花 そうですね。彼ははじめ若の里(現・西岩親方)の付き人をやっていたと思うんですよ。同じ一門ということで若の里も気になっていたんですが、その横にポツンといたのが当時の萩原(稀勢の里)でした。

 

大越 萩原青年はどんどん番付を上げ、稀勢の里となりました。でも力があると言われながらなかなか大関、横綱という階段が遠かったですよね。その姿は、どんな風にご覧になってましたか。

 

貴乃花 やっぱり「優しい子なんだな」という風に見てました。だからなかなか、大事なところで勝利を逃したり…といった印象でした。私は「陰ながら」ひとりの稀勢の里の応援者として見ていましたが、彼にとっては本当に晩年でしたけれども横綱に上がってよかったなと感じております。


貴乃花さんが陰ながら期待をかけていた稀勢の里。若くして関取になりながら、横綱に昇進したのは30歳を超えてから。当時はまさに同年代の白鵬、日馬富士、鶴竜らモンゴル出身横綱が土俵に君臨していた時代。その中で戦い続けた稀勢の里への思いを、貴乃花さんは深い敬意をもって語った。


大越 
日本出身横綱がなかなか登場しない中で、角界も不祥事があり苦しい時代がありました。その時期を支えてきたといえるのがモンゴル出身力士たちの強さだったように思います。色んな意見がありますけれども、当時は親方としてどのような思いで彼らを見ていらっしゃいましたか?

 

貴乃花 もちろん、モンゴル勢が日本で活躍してくれたことには感謝しています。ただそこでも思うんですけれど、やっぱり稀勢の里の存在はどこか大きかったようにも感じます。上位の全てがモンゴルの力士という風になってしまいますと、どこかで大相撲ファンの皆さんにとって面白くないと感じる状態になってしまった可能性が高いと思うんです。けれどもそこに、稀勢の里がひとりで上位の力士として向かっていく時代が長かったですよね。そこは稀勢の里にとっては、辛かったろうなと思いますけどね。

 

大越 稀勢の里がひとりで重荷を背負い込む形になってしまった。

 

貴乃花 そうですね。まだ横綱になる前から期待度が大きくて、大変だったと思います。

 

 

大越 稀勢の里は、2回目の優勝をしたあとに長い休場もありました。連続休場のニュースになるとその都度、貴乃花さんの連続休場がその比較に出されていましたね。あの長い休場をしながら意地で続ける、土俵に上がりたいという、あの時の稀勢の里の気持ちは痛いほどわかったんじゃないでしょうか。

 

貴乃花 ええ。だから休んでる時が一番辛かったと思うんです。土俵に戻りたくても戻れないっていう時がね。ただ、再三私も新聞なんかで質問された時に、稀勢の里のあの取組内容を見て遠回りですが「応援」というか、まあメッセージを送ってたんです。要は稀勢の里という力士は、どちらかと言えば「おっつけ」「突き放し」のような離れて取る相撲が得意で、一番強かったんですね。一方でさっき話に出たように、魁皇はあれだけの四つ身の型で強さを持っていても大関だったわけです。それを稀勢の里に遠回しのメッセージで送っていたんです。離れて取る相撲を取ればもっと早く上がれるような印象だったんですけど。四つ相撲で稀勢の里が受け身になってしまうと、当然怪我をしやすいんでね。まあ今だから言えることですが。でもね、野球少年だった子が若くして大相撲に入って、17歳で幕内に上がって勝ち越してっていったことはなかなかできないわけで、やはり彼は「稀に見る存在」だったと思います。

「弟子」 貴景勝へ

今年3月。平成最後の本場所となった春場所で最大の注目を集めていたのが、22歳の関脇・貴景勝の大関昇進への挑戦だった。結果、千秋楽に10勝目をあげ、見事「平成最後の」新大関が生まれることとなった。

 

 

貴乃花さんの相撲協会退職により、貴景勝ら元・貴乃花部屋の力士たちは千賀ノ浦部屋へ移籍していた。貴乃花さんにとっては、入門から指導をしながら道半ばで離れることのなった元・弟子であり、自身が指導した中で初めて生まれた大関・貴景勝。彼をどんな眼差しで見ているのだろうか。インタビューが行われたのは春場所前の今年2月。自然と話題は、初場所で大関昇進の目安と言われる「3場所で33勝」を達成しながら昇進が見送られた、貴景勝の相撲についての話へと移っていった。

大越 貴乃花さんの弟子であった貴景勝関なんですけれども、決して上背がない力士ですが、とにかく下から激しく無心に攻める相撲が取れた時は本当に強いですよね。

 

貴乃花 そうですね、彼は理解力ある子ですので

 

大越 理解力ですか。

 

貴乃花 1つ教えると3つ4つをやる。私の弟子の中でも、食らいついてでもやるっていうところがありました。

 

貴景勝の十両昇進会見でのふたり

 

大越 なるほど。元・師匠の目から見て、彼の理想の形として、やはり押し相撲ですか。

 

貴乃花 離れて取る相撲ですね。

 

大越 去年の九州場所は優勝、そして二場所連続で二けた勝利をしました。3月は大関のかかる場所になってきますね。元・師匠の目から見て、彼の持っている資質というのは、大関に値するものに来ているでしょうか?

 

貴乃花 なると思います。また、貴景勝の活躍で他の若い力士が力をつけてくるような気がします。現状で言えば、初場所の千秋楽で勝利できずに三場所33勝で終わってますけれども、まあ33勝って大体大関昇進の当確ラインですのでね。ここが正念場だと思います。次の場所で何番という数字に走るのではなくてですね、彼の将来性を見せるというか、入門したての頃から気力と気迫を持って土俵で培ったものに目を向けられれば、昇進の芽は充分にあると思います。

 

大越 しかし初場所千秋楽では大関・豪栄道関に敗れて、昇進も見送られました。

 

初場所千秋楽、豪栄道に敗れる貴景勝

 

貴乃花 あの一番は今後彼が強くなるために、貴景勝にとっては人生で最も大切な一番だったと思います。あの子の人生があの一番で岐路に立ったということですね。大体それで、なかなか上に行けないということもよくありますので。あの一番、もしいつも通りの相撲を取って勝利をおさめていたならば、間違いなく大関の地位に立ったと思うんですけど、逆にそれが良くない結果になったかもしれない。大関になって大関で終わるという道になったかもしれない。だから大関に上がらなかったことを人のせいにするか、自分のせいにするか、そういう岐路に立ったのだと思います。

 

大越 大関昇進をかけた一番というのはそれだけ重いものだと。

 

貴乃花 貴景勝が力士として何を目指すかがあそこで出ましたので、今後を左右する一番だったいうことです。大関に上がれた、上がれなかったっていうのは、もう時の運もありますしね。おこがましいことですが弟子たちに言ってきたんですよ。「“貴”がつけば簡単に上に上がれると思うな」って。それは私も精神的に宿してきたことなんです。それぐらい、先代から培ってきた“貴”の字を重んじてほしいという気持ちなんですけどね。ただ今は側にいて指導することができませんので、そこは本人がこれから切羽詰まった状態で、来場所初日からその思いを持ちながら、でも表情ひとつ出さずに相撲を取れるかですね。

 

大越 元親方から見て、大関・横綱へと昇進していくのに必要なものは何でしょうか。

貴乃花 大関になれるとかなれないとか思った時点でもう、将来はなくなりますね。克己心という、自己を征服する能力がどれだけあるかっていうことです。それは日々の鍛錬なので今からやっても遅いぐらいです。いかに日々の生活から遊びをなくして、全てを土俵に向けられるかというところです。逆にそれがわかっていなければ先はないと思うくらいの、豪栄道からの負けはそれだけの一番だったと思います。

 

大越 ファンとしては貴景勝関には次世代の旗頭のような存在として期待してしまいます。やっぱり愛弟子として育てられてきて、今見せている成長というのは、自分の描いた通りでしょうか。それ以上でしょうか。

 

貴乃花 私が指導教育してきましたので、昇進してほしいとか応援するとかそういう目線はないんですね。全ての人生を賭けて土俵に向き合えるか、そこで生き様をいかに残せるかということですね。地位や名誉はもちろんありますが、一度ぐらい優勝しただけでそこから向上できなければ、「貴景勝はあの一番が境目になったね」と言われるわけです。たぶん彼がいくら勝っても私は満足しないと思います。とにかく高みを目指すということです。その上で次世代の力士たちに、貴景勝の背中を見せられるような力士になってもらいたいなと。そう思いながら、彼のことはずっと見ていくんだと思いますね。

 

春場所千秋楽、大関・栃ノ心を破る貴景勝

 

3月の春場所千秋楽。再びやってきた勝てば大関昇進が確実視される一番で、貴景勝は大関・栃ノ心を持ち味の「突き押し」で破った。優勝争いには絡めなかったが、間違いなく平成最後の本場所の主役は貴景勝だった。そして間もなく始まる「令和最初の本場所」では、“貴”の字を背負う新大関が土俵に上がる。元・師匠はきっとその姿を心待ちにしているに違いない。

子供たちへ伝えられるもの

冷静な口ぶりの中にも熱い相撲への愛をほとばしらせながら、インタビューに応えてくれた貴乃花さん。しかし彼はもう大相撲の世界の人ではない。日本相撲協会を退職して数か月。自ら「親方から引退」と表現した相撲界との別れを経て、次の時代に彼が見据えるものは何か。それはどうしても聞かなければならなかった。そこで話されたのは二つのこと。一つは守るべき文化としての相撲。そしてもう一つはこれからも相撲が続いていくための組織についての考えだった。

 


大越 我々ファンからすると残念ながらといいますか、貴乃花さんは日本相撲協会を離れられましたよね。これからは相撲を日本相撲協会の外からご覧になっていく。しかし相撲愛は衰えていませんよね。どんな風に相撲界に貢献をしていきたいという思いなんでしょうか。

 

 

貴乃花 そうですね。まあ私が将来、角界に戻って仕事することは今後もありえません。ただ私が今まで土俵で学んできたことを子どもたちに教えていくとか、または広く世の中に「稽古と練習の違い」、稽古の中に自分を知るという鍛錬法、そういうものを少なからず教えられたらなと思います。

 

大越 「稽古と練習の違い」ですか。それはどういうことなんでしょう?

 

貴乃花 スポーツだと練習するところはトレーニング場、となりますけれども、相撲を含め武道では稽古の場に神棚がありまして、全て神事なんですね。稽古というのは神の宿る場所で鍛錬するということです。目に見えないものに向かっていくんですね。だから競技を引退しようが、一生奉げるもの、自らに課していくものが稽古の意味だと思います。そして国技館の大相撲の土俵は「神が宿る場所」なわけです。そこで行われるのは、スポーツじゃなくて神事。その中で頭と頭でぶつかり合う、あれだけの破壊力ある競技をやるっていうのは、死ぬ気でやるべきもの、真剣勝負を神に捧げるということなんです。その後にファンの皆様に喜んでもらう。その順番さえ狂わなければよろしいかなと思います。そんな力士がまた数多く輩出してくればまた面白い相撲が増える、存続はしていくと思います。

 

 

大越 非常に奥深い、一生続くことを今の若い力士達は、毎日稽古場でやってるわけですね。

 

貴乃花 はい、死ぬまで人間誰しもそうです。死ぬ瞬間もそうかもわかりませんしね。目に見えないものに高い精神性を抱いてぶつかっていく、これが神棚のある場所で鍛錬するっていうこと、相撲における稽古のような気がします。やっぱり相撲は神事として、大相撲という文化はこの国にはなくてはならないものだと思うんです。日本人として、どの国どの社会にいても相撲の持つ「精神性」はどこかに持っていていただきたいなと。日本には大相撲という精神性の高い文化が存在してることを誇りに思って海外でも活躍していただく、そんなお子さんたちの育成に携わっていけたらなと思います。

相撲を未来へ

大越 相撲の奥深さがこれからも伝えられていくためには、まだまだ取り組むべき課題もあると思うんですね。相撲協会にも非常に力のある方が揃っているけれども、規模は小さいですよね、経営や組織運営にも課題があるかもしれません。お考えの一端で結構ですので、これから相撲を支えていく、その組織のあり方ですね。その基本哲学など教えていただけますか?

 

 

貴乃花 どんな組織もそうだと思うんですけど、「なり手」が少なくなれば組織の存続は危ぶまれるというものです。言いかえれば、結局は育成です。健全な心を持った青少年を育てる、そこにしか存続の「核」となるものはないと思うんです。少子化の中でいかに相撲に興味を持ってくださるお子さんがいらっしゃるか、ここは大きなことだと思います。学生相撲をやってる子たちが力士になる割合は、そんなに高くないんですよ。必ずしも全員が力士になるというものではない。学生相撲の指導者になっても、自分が力士になるかというのは別なんですね。日本で育った日本人の子がこれから横綱や大関を目指していくかというのは、入門する子どもたちがいかに希望を持って入る社会に相撲界がなっているか、それが大きなところだと思います。

 

大越 つまりセカンドキャリアも具体的にしていかないといけないですよね。相撲界に限らずプロスポーツをやってる人間が、引退したら具体的に食べるツテがないという話は多い。そういうところを考えてあげないと、やっぱり親御さんがその世界に子供を入れられないですよね。ご自身は、それについて具体的には活動されてらっしゃいますか?

 

貴乃花 はい、これからしていきたいと思います。

 

 

「相撲界を希望を持てる社会に」。その言葉通り、貴乃花さんはすでに活動を始めている。このインタビューの少し前、取材班は貴乃花さんが大学で講義をする姿の取材を許された。東京大学に招かれたこの日の講義のテーマは「日本相撲界のイノベーション」。組織運営の観点では、サッカーなど他のプロスポーツにならい経営に精通した人やほかの競技出身の人など、外部の人材に経営に参画してもらうアイデア。また相撲の普及のために、子どもたちにいかにアプローチしていくのかのアイデア。日本相撲協会を離れる形にはなったが、貴乃花さんの頭の中では、次の時代に相撲界が存在し続けるための考えが次々とめぐっているようだった。

 

 

貴乃花 私も土俵に育てられた人間ですのでね。例えば組織を経営するにしても何しても、やっぱり大相撲の世界にいた人間がビジネス感覚を学ぶ、身につけるっていうことは、これはもう必要なことだと思います。これだけスポーツが盛んになって、プロスポーツも組織されていますと、相撲のように「武芸・武道・武術」を選んで学ぶ人がどのくらいいらっしゃるのか、といったところになる。結局どの世界もなり手がいて、そこを誰か引き継ぐ者が出てきて、そこから次の世界に飛び立っていく人がいて、色んな交流が生まれると思います。それが大事なんじゃないでしょうか。

 


相撲協会の中からではなく、外から。
貴乃花さんはこれからも相撲への熱いまなざしを持ち続けてくれるはず。彼の口から出たのはそう感じさせる言葉たちだった。
こうして、「平成の大横綱」と向き合ってインタビューした時間は、平成の30年間を振り返るという壮大なテーマにもかかわらず、あっという間に過ぎた。

 


大越 
お聞きしていて、本当に面白いお話ばかりでした。貴重な話をありがとうございました。

 

貴乃花 いえいえ、とんでもない。

 

「見事に大相撲新時代への扉を開けました!貴花田!!」

 

平成の初め、千代の富士から史上最年少金星を挙げた貴花田の姿を伝える大相撲中継の実況は、先のように新時代への幕開けを告げた。

あれから28年。数々の忘れられない記憶を人々に残して、平成の終わりに彼は大相撲界を去った。令和の時代、「平成の大横綱」は自らの相撲道をどのように世の中に伝えてくれるのか。どのような生き様を見せてくれるのか。新しい時代に期待を抱かせながら、令和元年の大相撲夏場所が幕を開ける。


(了)

この記事を書いた人

大越 健介 キャスター

大越 健介 キャスター

昭和60年NHK入局、初任地は岡山局。政治部の記者、NW9キャスターなどを経てサンデースポーツ2020キャスター。
"スポーツをこよなく愛する親父"の代表として自ら楽しみながら伝える。

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