ストーリー野球

「今が人生の分岐点」菊池雄星が語る夢【前編】

2018-12-12 午後 03:58

今年10年ぶりのリーグ優勝を果たした埼玉西武ライオンズのエース、菊池雄星投手。ポスティングシステムを利用した大リーグ移籍を目指しています。今月3日には西武がNPB=日本野球機構にポスティングを申請。一歩ずつ「夢」と語っていた大リーグ移籍に進んでいます。

高校時代から抱き続けた、「大リーグ挑戦」という夢。故障や不振でその夢をあきらめかけながらも、9年の時を経てスタートラインに立とうとする菊池投手に、サンデースポーツ2020の副島萌生キャスターが、今の思いを聞きました。(サンデースポーツ2020 11月25日放送から)

2009年春、センバツの記憶

みなさんは、学生時代の「将来の夢」を持ち続けることができていますか。一度は夢への思いが遠ざかりながらも、困難を乗り越えて再びその入り口に立とうとする27歳。今回は、そんな一人の若者のお話です。

2009年春、甲子園は一人のピッチャーの快投に沸いていました。彼の名は岩手・花巻東高校の菊池雄星投手。

 

 

ダイナミックなフォームから繰り出される最速154キロのストレートを武器に次々とチームを撃破。長崎・清峰高校との決勝は、今村猛投手(現・広島東洋カープ)との投手戦の末、0対1で惜しくも準優勝に終わりましたが、菊池投手の投球は大きな衝撃を与えました。
この決勝での菊池投手を、私、副島萌生は甲子園球場で見ていました。

 

 

当時、菊池投手と同じ高校2年生だった私は開会式と閉会式の司会を担当させていただき、試合を現場で見る機会に恵まれたのです。満員の大観衆の注目を一身に浴びながらマウンドに立つ菊池投手の姿は、17歳だった私の記憶に鮮明に刻まれました。

あれから9年。メットライフドームのグラウンドを望むインタビュー会場で、私は菊池投手に再びお会いし、大リーグ挑戦へと向かう今の心境を聞くことができました。


「まだこれから何が起こるかわからないですけどね、『夢』に向かって少しずつ進んでるんだなっていう実感は徐々に湧いてきましたよ。」

 

菊池投手は、2日前に親知らずを4本抜いたばかりで顔を腫らした状態。それでも誠実に取材に応え、高校時代から今に至るまでの、大リーグという「夢」への思いの変遷を話し始めました。

 

「高卒でメジャー入団」という夢

春のセンバツ準優勝、夏の甲子園ベスト4という結果を残した菊池投手。その進路に注目が集まる中、驚くべき「夢」を掲げていました。野球部の目標設定シートに書かれていたその夢とは。

 

 

“メジャー入団”

しかも高校卒業後すぐという異例の挑戦。菊池投手のもとには日米合わせて20球団が面接に訪れ、18歳の決断に大きな注目が集まりました。いったいなぜ「高卒即メジャー」という夢を持つに至ったのか。菊池投手に尋ねました。

 

「実は日本のスカウトの方より先に、メジャーリーグのあるチームのスカウトの方が花巻に足を運んでくださっていたんです。そこで『高卒でアメリカを目指さないのか』って話をしていただきました。花巻東では、佐々木監督と目標設定を毎月のようにやるんですけど、高校1年生の冬のときには僕自身も佐々木監督も、『どうせ目指すなら一番高いところを目指そう。雄星は大リーグを目指そう』と話していました。そこからですね。自分の中で少しずつ『夢』が芽生えてきました。前例がなかったので不安もありましたけど、誰もやったことないような高い目標を設定してチャレンジしてみることで、そこに近づける、人間的にも強くなれるんじゃないかと思ったんです。」

 

しかし、18歳の異例の挑戦に対する世間の声は、決して好意的なものばかりではありませんでした。「人材の流出につながる」といった批判的な声が菊池投手や花巻東高校の関係者のもとに寄せられていたのです。

涙の会見の真意

2009年10月15日。菊池投手は記者会見で、進路の意向を明らかにしました。

 

菊池雄星投手

「日本でプレーさせていただきたく思います。悩みましたが、日本の方全員に認められてから世界でプレーしたいと思ったので、日本に残るという決断をしました。」

 

その進路が注目された18歳の少年は、その目に涙を浮かべながら、いったん「夢」をあきらめたのです。

 

「会見した時のことは今でも覚えていますよ。うーん、いろんな感情がありましたね。アメリカに行きたい気持ちもそうですし。自分がまだ注目される前から、毎月のように必ず練習を見に来てくれたメジャーのスカウトの方の顔も浮かびました。3年間いいときも悪いときも通ってくださったその方の顔、アメリカに行きたい気持ち、でもやっぱり怖さ。そんな感情があの涙につながったのかなと思います。それまでの3年間、個人としてはメジャーに行くこと、本当にそれだけを目指して高校野球をやっていたので。その夢を一回閉じなきゃいけないことには、悔しさもありましたし、難しい決断でした。」


「その決断をした当時の自分に、どんな言葉をかけたいですか」。その問いに対しての菊池投手の答えには、当時18歳の彼が背負っていたものがどれだけ大きかったのか、その一端が表れていました。

 

 

「当時は周りのこととか、すごい気にしてたなと思います。僕が高卒でアメリカに行ったら、野球界が良くない方向に行くんじゃないかという思いも強くありました。自分が前例を作ったら、今まであった『防波堤』じゃないですけど、それがなくなるわけですから。」

0%まで落ちた自信

6球団競合の末にドラフト1位で西武に入団した菊池投手。その後のプロ野球人生で、大リーグ挑戦への“自信”がどう変わっていったのか。その推移を書いてもらいました。

 

 

「難しいな…」とつぶやきながら書き上げた“自信”のグラフ。プロ入り当初「半々」だった大リーグ挑戦の自信は、その後6年目まで0%にまで落ちていました。エース候補と期待されながら、5年間でわずか22勝に終わっていた菊池投手。肩やひじのケガでフォームを崩し、持ち味のストレートの輝きも失われ、大リーグという夢ははるか遠いものになっていたのです。

 

「正直、プロに入ってからケガも多かったですし、まずは結果を出すことだけで精いっぱいでした。だからメジャーは少し遠い存在というか、頭から離れていた時期もありましたね。もちろんずっと夢として持っていました。でも夢にも『距離感』があるじゃないですか。その距離感がどんどん遠くなる時期でしたね、この入団してからの数年間は。」


“自信”がようやく上向き始めたのは、プロ6年目。コーチから、選手生命を左右する提案を受けます。

「お前は絶対にまた150キロを超えるストレートが投げられる。だから俺を信じてフォームを変えないか?」

失いかけた夢へ再び這い上がるために。ここから菊池投手は、必死にもがきました。

 


(後編では、大リーグ挑戦への夢を取り戻した今の思いを語ります。)

後編記事はこちら

 

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副島 萌生 キャスター

NHKサンデースポーツキャスター
放送部だった高校時代に春のセンバツの開会式閉会式の司会を担当

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