ストーリー野球

リリーフ一筋20年 岩瀬仁紀の「仕事の哲学」【第3回】

2018-12-10 午後 04:00

サンデースポーツ2020で放送された元・中日ドラゴンズの岩瀬仁紀投手へのロングインタビュー。未公開内容を加えて再構成した連載、最終回となる第3回は、20年に及ぶリリーフ人生を終える決断を語ります。

40歳を超えて

かつてよりも選手寿命が延びたとはいえ、やはり30代後半が近づけばプロ野球選手も体は衰え、故障も増えて引退の声が近づいてくる。その中で岩瀬投手は、1年目から長期の故障離脱をすることなく過酷なリリーフピッチャーの仕事を務め続けていた。年齢を重ねながら投球スタイルを変化させ、体のケアやフォームチェンジにも取り組み、15年連続で50試合以上の登板を続けた。その記録が途切れたのは2014年、岩瀬投手39歳の時。通算400セーブの大記録を達成した後、ひじの故障で初めての長期離脱。ここから復活への長い苦闘が始まる。40歳のシーズンは1軍登板なし。41歳のシーズンも15試合の登板に終わり、引退の二文字が頭をよぎった。

 

 

大越 「鉄人」のように投げていた岩瀬さんも、40歳を目前に故障もありました。40歳を超えてからの野球人生は、岩瀬さんにとってどういうものだったんでしょうか?

 

岩瀬 まずヒジのケガから始まりました。初めて大きなケガで投げられない状態になったんですが、自分はもう少し出来るだろうという感覚はずっとあったんです。でも今思えば、その感覚から抜け出せないまま終わってしまった感じがします。結局それが「年齢」ということなのかとも思いますけどね。自分の中ではもう少しパフォーマンスを上げる自信もあったんですけど、何かがかみ合わずに終わってしまったなと。

 

大越 一軍登板のなかった年もありました。その時引退という二文字は頭にありましたか?

 

岩瀬 いや、2015年に1年間投げられなかったことによって、「引退しても仕方ないな」と思っていました。ただ、このまま投げないで終わるのは、結果を見ずして終わるのはちょっと寂しい気持ちもありましたね。その翌年、2016年に結果的に15試合しか投げられなくて、正直引退を考えました。でもその時、球団の方から「引退はちょっと待て。もう1年だけ頑張れ」って言葉を頂いたんです。そう言って頂けるなら、もう1年頑張ってみようという気持ちになりました。

 

大越 球団から慰留されたのは、岩瀬さんもうれしかったんじゃないですか?

 

岩瀬 まだ必要としてくれていたということですから、すごくうれしかったです。

 

2017年シーズンに復活、カムバック賞を受賞した

 

球団の慰留に岩瀬投手は見事に応えた。2017年、かつての「クローザー」から「セットアッパー」に働き場所は変わったが、4年ぶりに50試合に登板。この時、球界最年長の42歳。チームから託された「仕事」をきっちりとこなす岩瀬投手の姿がそこにはあった。

引き際を決めるとき

迎えた2018年シーズンも、岩瀬投手は1軍で48試合に登板しドラゴンズのブルペンを支え続けた。数字だけを見ればカムバック賞を受賞した前年と遜色ないようにも見える。それでも、1000試合登板の大記録を達成した4日後の10月2日、岩瀬投手は引退を正式に表明した。その裏には、20年リリーフとして生きてきた男の譲れない哲学があった。

 

 

岩瀬 去年のシーズンすごく状態がいいときもあって、「自分はまだ出来る」という感覚がありました。だから成績ももう少し上げられると思っていたので、今年に期待していた部分は大きかったです。でも結果的に去年よりも良くなかった。それで引退を決めました。

 

大越 私たちからは、去年セットアッパーとして勝利に貢献して、今年もちゃんと登板数をこなして責任を果たされていたように見えていました。それでも辞める決断をしたときはどのような感情だったんでしょう?

 

 

 

岩瀬 ずっと自分の中で大切に思っていたのは「任されたイニングは、きちっと投げ切ってマウンドを降りる」ことでした。それが出来なければ逆にチームに迷惑をかけることになる。自分の中では「イニングの途中で変えられる選手にはなったらいかん」と思っていたんですけど、今年はイニングの途中で変えられてしまうことが多かった。それだけ自分が打たれてしまっている、不甲斐ないってことなんですけど、ちょっと寂しいところがあるんですよね。しかも自分は年齢的に一番上なので、自分が出したランナーを後輩たちに任せてマウンドを降りるというのが、ちょっと辛かったですね。

 

大越 自分の回は自分で責任を持って抑えたいと。

 

岩瀬 そのイニングを全うした上で打たれるんだったら、もっと潔く辞められたのかもしれないですけどね。

 

大越 後輩たちに自分の作ったピンチを託す状況になった、それが引退のときだと。

 

岩瀬 そう感じました。それまではピンチの場面を託されてマウンドに上がるときがほとんどだったのでね。ランナーを出してベンチに帰ってくる悔しさ寂しさというか。周りから「岩瀬はイニングを全うできなかった」と見られているんだなと思ったときが、引退を考えたときでした。

前だけを向いて

来シーズン、ユニフォーム姿の岩瀬仁紀投手はもういない。しかし、リリーフピッチャーとして投げ続けた彼の残した前人未到の記録は、後に続く者たちの目標としてこれからも輝き続けるだろう。引退した今、その記録についての思いを振り返ってもらおうと水を向けてみた。

 

 

大越 振り返ってみると通算1002試合登板、407セーブ。ポストシーズンを含めればもっと多いですよね。日本では誰も成し遂げたことのない数字を積み重ねてきました。現役で走り続けてきて、ご自身の通算の結果、成績は意識をされていたんですか?

 

岩瀬 いや、やっている時は数字とか結果は本当に意識がなかったですね。終わった試合は全部「過去」だと考えて、とにかく前だけ向いてやってきたので。なので、数字がそれだけ積みあがっているのも正直あまり感じずにやってきたというのが本音です。こうやって周りに記録のことを言われることで、初めて気づかされるといいますか。自分のやっていることがすごいと思ったことはほとんどないんですよね。

 

大越 いつも「現在地」と「その先」しかなかった。

 

岩瀬 あまり振り返ることをせずにやってきました。とにかく前だけ向いて、きつい状況に対してどう乗り切っていくのかとだけを考えながらやってきました。

 

 

チームから託されたイニング、仕事、責任を全うすることだけを考えて毎日を生きた20年。ともすれば先発投手に比べれば地味できつい役回りと感じることもあったはずだ。ユニフォームを脱ぎ、その重圧から解放されてすぐの今は難しくても、どうか落ち着いたときに自らの記録を思う存分に誇ってほしい。

 

通算1000試合登板は地元名古屋で達成した

人の人生も背負ってきた

大越 岩瀬さんが考える、先発とリリーフの違い、それぞれの魅力とはなんなんでしょうか。

 

岩瀬 先発は自分の責任でゲームを作って、言い方は悪いですが「手柄を独り占めできる」みたいな感じなんだと思うんです。中継ぎとか抑えのピッチャーは、みんながつないできたものをいかにうまくバトンタッチするか、試合を締めるか、自分ひとりの成績だけじゃないところを背負っています。例えば先発の勝ち星を消してしまうこともあるわけです。先発のピッチャーが勝ち星に飢えてるのは知っていますし、勝ちがつくかつかないかで、言ってみれば人生が変わるところもありますからね。だから、人の人生まで背負ってやるところがね、リリーフはやっぱり正直苦しいですよ。

 

大越 ドラゴンズ一筋でリリーフ人生を全うされてきたわけですが、これはもしもの話ですけど、プロ野球人生をやり直せるとしたら、先発をやってみたいですか?それともやっぱりリリーフをやってみたいですか?

 

 

岩瀬 いや、やれるなら先発をやりたいですね。やっぱり自分の責任だけですむほうがいいです。

笑顔で岩瀬投手がのぞかせた本心。それでも、最後に彼が語ったのは、20年、リリーフ一筋で生きてきた男として胸に秘めてきた矜持だった。


岩瀬 
正直辛くなる時はありますけどね、でもやっぱり一番後ろを投げている、クローザーを任されていることって信頼関係で成り立っていると思います。それは首脳陣とだけではなくて、野手との信頼関係もすごく大事で。自分がもうだめだと思っていても、逆に野手に助けられたりしましたし、大ピンチの場面でも荒木(雅博)や井端(弘和)は「岩瀬さんいつものことじゃん。ここからでしょ」って声をかけてくれて、逆に開き直れた。やっぱり野球は自分ひとりでは出来ないし、周りの人の助けがあって、支えがあって野球をやっていたんだなと思います。そういった意味で人の「縁」に恵まれたなと、自分の野球人生を振り返ってみて思います。20年もプロで出来るなんて、入った時は全然思ってもいなかったですし、ましてクローザーやセットアッパーをやるだけで終わるとも思っていなかったです。まあ自分が理想に思っていた野球人生の、10分の1も出来なかったといえばそうなんですけど、セットアッパーやクローザーとして自分の生きる道を見つけてからは、本当にやりがいをもってプレーできました。自分が結果を出すことがそのままチームの結果に直結する、「自分がチームの屋台骨を背負ってるんだ」という感覚でいましたから。辛いことは多いんですけど、リリーフをやってて良かったなって、今は本当にそう思います。

 

(了)

 


(この連載はサンデースポーツ2020 11月18日放送の特集をもとに制作しました。)

この記事を書いた人

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大越 健介 キャスター

昭和60年NHK入局、初任地は岡山局。政治部の記者、NW9キャスターなどを経てサンデースポーツ2020キャスター。
"スポーツをこよなく愛する親父"の代表として自ら楽しみながら伝える。

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