ストーリー野球

夏の甲子園 「奇跡のバックホーム」と生きて あるランナーの物語

2018-08-20 午後 07:18

100回大会を迎えた夏の全国高校野球。サンデースポーツ2020では、大越健介キャスターが球史に残る名場面の当事者たちを訪ねました。このシリーズ「高校野球 敗れざる者たち」ではインタビューを再構成。全3回でお伝えします。
最終回の第3回は、1996年の78回大会決勝、「奇跡のバックホーム」として語り継がれるプレーでアウトになった、熊本工業・星子崇さんへのインタビュー。17歳で「敗者」としてクローズアップされたことに戸惑いを抱えながら、再び前を向けたきっかけもまた、あの奇跡のプレーが呼んだ絆でした。

“奇跡のバックホーム”で刺された選手 星子崇さん

星子崇(ほしこ・たかし)さん

強打のサードとして、熊本工業で78回大会に出場し準優勝。決勝の延長10回裏、サヨナラのランナーとしてタッチアップを狙ったが、好返球に阻まれアウトに。「奇跡のバックホーム」と呼ばれたプレーの当事者だった。高校卒業後は社会人野球でプレー。現在は熊本市内でスポーツバーを経営、自身も接客に立つ。

「セーフだったらあの試合は誰も覚えてないですよ」

熊本城にほど近い繁華街。飲食店やラウンジが入る雑居ビルの10階にその店はあった。2年前にこの場所に引っ越してきたバーの店内には、あふれんばかりの高校野球のユニフォーム。その中でひときわ目立つ場所には、熊本工業と松山商業、22年前の決勝戦で戦った2校のユニフォームが飾ってある。
スポーツバー「たっちあっぷ」。店長の星子崇さんは22年前の決勝、「奇跡のバックホーム」でアウトとなった三塁ランナーだった。苦い記憶であるはずの「あのプレー」を逆手にとるように名付けられた店には、熊本のみならず全国から高校野球ファンが訪れる。

星子 セーフだったらあの試合、あのタッチアップなんて誰も覚えていないですよ。アウトになったから、負けたから僕がクローズアップされて、今がある。あの経験をプラスにする努力をしたいなと思っています。

 

 

カウンターで出されたウーロン茶を飲みながら耳を傾けると、星子さんはあの「奇跡」のプレーで敗れるに至るまでの記憶、そしてその後の人生を、不思議と晴れ晴れとした表情で語り始めた。

 

星子 僕、あまり監督の言うことを聞かない選手だったんですよね。もともとクリーンアップを打ってたんですけど、僕なりの「クリーンアップ像」と監督の考えに違いがあったんです。見送りのサインを無視して打ったりして、先発を外されたときもありました。

大越 星子さんの高校当時のバッティングをVTRで見ると、確かにかなりいいバッターですよね。甲子園では八番という打順で起用されてましたけど、自分としてはもっと主軸を打てると?

星子 試合に出られない選手もいっぱいいるので複雑ですけど、八番に名前がのるのは、自分としては悔しかったですよね。だから何かやってやろうという気持ちでした。

 

背番号5の星子選手の躍動もあり、熊本工は快進撃

 

「自分はバッターとしてこのチームには欠かせないんだ」。
強い意志を持って甲子園に乗り込んだ星子さんは、持ち前の強打と50mを5秒台で走る俊足を武器に躍動する。不本意だったという下位打線ながら大会での打率は5割を超える絶好調。熊本工業伝統の強力打線の一員として決勝進出に貢献した。
そして1996年8月21日午後1時、およそ5万人の観衆が見つめる中、熊本県勢初の全国優勝を目指す戦いが始まった。

決勝は楽に打席に入れていた

試合は四度の優勝経験を持つ松山商が初回に3点を先制。熊本工は2回に1点を返したあと攻めあぐねるものの、8回に犠牲フライで1点差。そして9回裏ツーアウトから六番・澤村選手がホームランを放ち、土壇場で延長に持ち込む。

 

 

大越 甲子園の決勝戦で、3安打されてますね。

 

星子 打撃に対しては自信がありました。特に苦手なピッチャーとかはあまり感じたことはなくて。八番バッターなんで、クリーンナップとは相手の攻め方も違うので、どちらかというと楽に打席に入れていましたね。

 

息を飲むような緊張感の試合。星子さんは萎縮することなく自分の力を発揮していた。あえて今スコアを見直せば、熊本工の2点目は星子さんがヒットで出塁して三塁に進み、犠牲フライ、つまり「タッチアップ」で生還したものだった。星子さんの記憶では「タッチアップでアウトになったことはこれまで一度もなかった」という。この試合、次に「タッチアップ」というプレーがこの試合で起こるのは10回裏の熊本工の攻撃時。そして「奇跡」と呼ばれるプレーが生まれ、星子さんの運命を変える瞬間がやってくる。

 

試合の流れは完全に熊本工業に来ていた。続く延長10回裏、星子さんは先頭バッターとして打席に入った。「僕が塁に出れば、この流れなら勝てる」と、星子さんは強打というポリシーを捨てる覚悟だった。

 

大越 延長10回裏、先頭バッターでどういう気持ちで打席に入りましたか。

 

星子 まずスリーボールになるんですよね。そこから2球「待て」のサインが出るんですけど、今までの自分だったら絶対打ってるんですよ、監督のサインを聞かずに。でもあそこは何とか先頭が出ることが大事だと感じていたので、しっかり2球待ちました。何とかしたいという気持ちが一番強い打席でした。

 

大越 カウントはスリーボールツーストライク。打ったのはどういうボールだったんですか。

 

星子 若干インコース気味のスライダーだったと思います。意識は逆方向へのバッティングでした。おかげでいいタメができて、左中間にツーベース。いい感触で打てたと思います。

風を読みながら、走り出す

送りバントで星子さんを三塁に送り、サヨナラのチャンスを広げた熊本工に対し、松山商は二人を敬遠し満塁策をとる。三塁ベース上、ホームに還ればサヨナラのランナーとなる星子さんの頭にあったのは、この時もライトから吹き続けていた甲子園特有の「浜風」だった。

 

 

星子 三塁に進んでから、2人敬遠されたのでじっくり考える時間がありました。ワンアウト満塁、打球がゴロでもスタートだ。でもライナーにだけは気を付けないといけない。あとは風。風には気を付けないといけないと試合の途中から考えていたんです。2打席目にホームランだと思った打球が、ライトからの風に戻されて伸びなかったんですよね。打席には左バッターの本多だったんで、ライトに打球が行く可能性が高い。そしたら浜風で打球は戻されるかもしれないと考えていました。

 

星子さんの意識が「甲子園の風」と「打球が飛ぶであろうライト」へ向かっていく中、松山商が動く。ライトの守備固めとして、チーム一の強肩、矢野勝嗣選手を起用。星子さんは矢野選手がライトの守備位置へ走る姿を見ながら、「守備固めに入るくらいだし体格もいいから、肩は強いんだろうな」と警戒心を感じていた。
野球ではよく「代わった選手のところに打球は飛ぶ」というジンクスがあると言われる。その不思議な法則通り、熊本工・本多選手の打球は、高々と矢野選手が守るライトに飛んだ。実況アナウンサーも「これは間違いない!」と叫ぶほど、「完璧な犠牲フライ」。しかし星子さんの感覚は違った。

 

この時も、ライトから浜風が吹いていた

 

星子 ライトフライって三塁ベース上からちょうどまっすぐ見えるんですよね。そこで打球が真下に落ちている感覚がしました。打球は良い角度で上がっていたんですけど、風でものすごく戻されているのがわかったんです。これは外野の頭の上を超えていく打球じゃないと思って、タッチアップの体制に入りました。

大越 塁上で風を読んでいたと。返球するライトの選手からすれば、「追い風」ですね。

熊本工の三塁コーチの指示は「ゆっくりスタートでいい。大丈夫だから慌てないで行ってくれ」。

しかし。

 

 

星子 僕がセーフになればサヨナラで終わり。だから最善を尽くさないといけない。じっくり行くような場面じゃないと思ってました。タッチアップのスタートはフライング気味だったくらいです。

矢野選手が捕球し、星子さんはスタートを切った。ここから「奇跡」のプレーが完結し、甲子園に大歓声が響き渡るまでは、4秒にも満たないドラマだ。

“奇跡のバックホーム”に刺されて

大越 全国のファンが注視する甲子園決勝、しかもサヨナラの場面。ライトが捕球をしてタッチアップのスタートを切る。あの時はどんな感覚でしたか。

 

星子 なんかスローに感じましたね。あのときのプレーだけ、やっぱり一番覚えてるんですよ。三塁からホームへ、塁間を走っている間のプレー。自分の感覚では「最高の走塁」をやってるんですね。それをスローで感じるような、不思議な感覚はありました。

しかし星子さんの「最高の走塁」を上回る返球が、ライトから放たれる。強肩・矢野選手のバックホームは「ワンバウンド返球」という外野守備のセオリーに反した山なりの大返球。ライト方向からの風に乗り、星子さんが駆けるホームへ、ぐんぐんと伸びていく。

 

星子 あの時、返球が自分の目の前を通りました。僕は足からスライディングにいくんですけど、目の前をポッと、何かが通った感覚がしたんですよね。それでキャッチャーミットが目の前にきて、バンってはたかれるようにタッチされるんですけど、足が先にホームに入ったって思ったんですよ。でも身体が反応して、危ないとやっぱり思ったんでしょうね。きわどいプレーだったんで、主審の方に僕自身でセーフのアピールをしているんですよね。

 

両手を広げてアピールする星子さん。しかし球審は力強く握ったこぶしを掲げた。

本塁タッチアウト。
星子さんは、信じられないという表情を見せた後、届かなかったホームベース上で崩れ落ちた。

 

本塁上で倒れこんだ星子選手

 

大越 アウトのジャッジの後、ものすごく悔しそうに驚きの表情をされていました。

 

星子 自分からしたら何も考えられないですよ。こんなプレーがここで出るかって。そこからは次の守備に入るまで頭が真っ白でした。

 

バックホームをした矢野選手は一躍ヒーローに

 

風は松山商に吹いていた。

交代後最初のプレーで「奇跡のバックホーム」を成し遂げた松山商・矢野選手。続く11回表、最初の打席でツーベースヒットを打ち、その後勝ち越しのホームを踏む。ふたつのプレーで、松山商に深紅の大優勝旗を引き寄せる大仕事を成し遂げた。
かたやの星子さん。試合を通して風を読み、懸命なプレーを続けた。しかし、この日の主役にあと一歩、あと数ミリのところでなり損ねた。

野球は流れのスポーツ

大越 残念ながら延長11回に3点を取られて、6対3で優勝を逃しました。

 

星子 熊本県勢初、うちの学校にとっても初優勝の寸前まで届いたのに、それを阻止される。負けた瞬間はもう何も考えられなかったですね。今思えば、もう「試合が終わってた」んですよ、あのタッチアップのアウトで。相手に3点取られて、最後僕らの攻撃があったのに、淡々と消化してしまった。もう一回立ち直ることができなかった。

 

 

星子 やっぱりぼくは、野球は「流れのスポーツ」だと思います。その流れをどうやって自分のチームに持ってこれるかだと思うんですよね。

甲子園という舞台で、流れが行ったり来たりするのをどこで捕まえることができるか。でも僕らはあそこで諦めてしまった。まだ同点だったのに。もう一回仕切りなおすことだってできたかもしれませんが、なかなか高校生のメンタルじゃ難しかったのかなと思います。

甲子園決勝の大観衆の中、「奇跡」と称されるプレーで、星子さんは鮮烈な印象を残す「敗者」となった。
それは、まだ18歳の誕生日も迎えていない少年にとって、重すぎる宿命だったのかもしれない。

その後の星子さんの野球選手としての人生は短かった。高校卒業後に入社した社会人野球の松下電器を、ケガもあり2年で退社した。

 

 

「野球に疲れてしまった」。星子さんは甲子園が終わってから、そう感じ続けていたからだ。

 

大越 あれだけ期待を背負いバッティングの調子もよかった。サヨナラ勝ちのランナーとして、理想的なはずのライトへの飛球があがった。
だけど運命のいたずらか風のいたずらか、「奇跡のバックホーム」で負けた。星子さんのタッチアップについて、地元ではどんな声があったんですか。

 

星子 僕も信じれないプレーを「されてる」わけなんで、もちろん熊本県民の方も「なぜあそこでアウトなんだ。アウトになった本人の僕に話を聞きたい」という気持ちがみなさんあったと思います。「ちゃんと走ったのか?手を抜いたんじゃないのか?」とかね。そうして僕は、聞かれることに答えていく。「また同じこと言わないといけないのか」って、やっぱりちょっと嫌でしたね。

 

自分では「最高の走塁」をした。そしてアウトになった。それで完結しているはずなのに、繰り返される心ない問いに答えるうちに、星子さんは野球から距離を置くようになっていた。社会人野球をやめてからは飲食店で働き、ほとんど野球とは関わらない生活を続けていた。

あの夏の記憶を糧に

ここで、「勝者」の人生にも触れておきたい。

松山商のライト・矢野勝嗣選手。甲子園が生んだ「奇跡」のプレーは、「勝者」にもまた重い宿命を背負わせる。高校卒業後、松山大に進学し全日本大学野球選手権にも出場したが、矢野さんはそこで野球選手としての人生に自らピリオドを打った。甲子園優勝の立役者として必然的に高まる周囲からの期待と、現実の自分のプレーとのギャップに、彼もまた苦しんでいたからだ。大学卒業後、矢野さんは地元テレビ局で就職する道を選んだ。
「奇跡のバックホーム」の勝者と敗者。どちらも苦しみを感じながら人生を重ねていた。星子さんがそのことを知るのは、あの決勝戦から17年後のこと。あの日の高校3年生は既に30代半ばにさしかかっていた。

星子 5年前ですかね、松山商の矢野くんが熊本に来たとき、周りの人が引き合わせてくれて17年ぶりに会うことができました。僕があのプレーのために苦しんでいるのは彼も知っていて、彼も「俺も苦しんだんだ」と話をしてくれました。

 

矢野さん(左)と星子さん(右) 17年ぶりの再会

 

大越 「俺も苦しんでいた」という矢野選手の言葉は、どう受け止めたんですか。

 

星子 彼が言ったのは、やっぱりあのワンプレーのことでした。「本当は俺はあんなプレーをできるような選手じゃないんだ」って。でも大学に行くと「あのバックホームを投げたんだから、もっとできるだろ」と常に求められていたと。出来ないと「なんで出来ないんだ」と茶化されたと。自分はそんな選手じゃないと、ものすごく苦しんだそうです。立場は違えど、お互い似たような経験があったんですね。

「お互いにあのプレーは死ぬまで切っても切れないもの。なら逆にそれを使ってやろう」

 

同じ思いを抱えていたふたりがこの日立てた誓いだ。この日の再会が今の星子さんにつながっている。
ずっと背を向け続けてきたあの夏の記憶と向き合って、糧にして生きていこう。星子さんの気持ちは固まった。その日、矢野さんに「自分の店をやりたい」という思いを打ち明けると、背中を押してくれた。

星子 矢野くんに「店をオープンする時にはユニフォームを貸してくれよ、飾りたいから」って言ってたんです。そしたら、まだオープンする前なのに送ってくれました。甲子園で優勝したときのユニフォームをですよ。本当にありがたいなと思いました。

 

 

再会から1年後、星子さんは「たっちあっぷ」と名付けた店を開いた。1996年の夏、二人が来ていたユニフォームは今、「たっちあっぷ」の壁の一番目立つ場所に並んでいる。

 

大越 以前は「野球に疲れた」という状態までなってしまったそうですが、今はあの夏を思い出して、辛いと思うことはなくなりましたか。

 

星子 今はもう全然ないですね。今はこういうお店やってるので、来たお客さんはみんな必ずあのバックホームの話になりますからね。ありがたい話です。毎日営業終了の時には、「今日何回タッチアップの話しゃべったかな(笑)」って思うくらいです。あのワンプレーで、全国から野球好きの方が来ていただけますので、本当にうれしいことです。

 

大越 毎日繰り返し繰り返しあのときの話をすることが、以前はつらかった。でも今はそれがむしろ糧になっているんですね。

奇跡のプレーの絆は今も

今も語り継がれる激闘を演じた熊本工業と松山商業。両校の関係は、星子さんと矢野さんの再会だけで終わらない。2016年、熊本地震で熊本の人々は大きな傷を負った。星子さんも、バー「たっちあっぷ」の経営が軌道に乗り始めたときに被害を受け、店の移転を余儀なくされた。そんな時に手を取ってくれたのが、松山商のOBたちだ。

星子 熊本地震の年、あの試合からちょうど20年だったんです。記念にまた試合ができないか前々から考えていたんですけど、地震が起こってしまった。そこでOB同士の再試合をチャリティ試合として熊本でできないかお願いしたら、松山商の監督も選手も快く応じてくれて、再試合が出来たんです。

 

 

この再試合では、星子さんに20年越しの気づきを与えてくれた出来事があった。星子さんは、再試合の時に松山商の元監督、澤田勝彦さんからある写真を見せてもらう。松山商のファンが客席から撮影したというその写真に写っていたのは、あの「奇跡のバックホーム」のシーン。

星子 初めて見せてもらった写真だったんですけど、僕がセーフになれば試合は終わるという場面で、松山商の守備、中継プレーのバックアップの位置取りが完璧だったんです。ピッチャーも含めてすべての選手がしっかりバックアップにはいって、守備が一直線になっていた。普通はそこまでやらないんですよね。返球がそれたりしたらサヨナラで終わりなんですから。松山商の日々の練習が出ている、凝縮されたシーンでした。

大越 あのタッチアップ、バックホームでのアウトというのは、結果的にライトの矢野選手の好返球になったけれども、松山商業にしてみれば、想定の範囲内だったと。

星子 最後まで、諦めている選手が一人もいなかったんじゃないですかね。対して僕たち熊本工は、フライを打った選手もネクストバッターも、みんな勝ったと思ってバンザイしていた。まだ僕はホームインしていない、試合は決まっていないんですけどね。そこにものすごい差を感じました。僕らが負けたのは決して紙一重の差というわけではなかったんですね。うちが負けたのは偶然というより必然。松山商は春夏合わせて7回優勝していたけど、うちはゼロだった。その差なのかなと思いました。


22年前の負けを受け入れ、冷静に敗因を語る星子さん。そこに、野球に背を向けていたというかつての姿は、もうない。

負けたことで強くなれる

大越 あれだけの衝撃のプレーから22年経ち、今はそれを糧にして生きていらっしゃる。星子さんをここに導いた最大のポイントはなんだと思いますか。

 

星子 やっぱり野球が自分にとってものすごく大事なものだと気づいて、改めて野球を冷静に考えられるようになったからですかね。自分にできる野球への恩返しはないだろうかと、強く感じるようになりました。

 

大越 すごく素敵な人生ですね。

 

 

星子 まだまだやりたいことはいっぱいありますからね。野球に関してはもう一度、甲子園決勝に今度は指導者として行きたいという夢もあります。熊本の選手たちをあの場面まで引き上げてあげたい。僕は準優勝までしか知らないんで、決勝の舞台の先を見せてあげたいなと。まあ自分自身も見たいんでしょうね。

甲子園の歴史上、ひときわ印象的な「敗者」だった、星子崇さん。今、そして未来の球児たちに伝えたい思いがある。

 

 

星子 負けることで、強くなれるんですよね。負けから学ぶものは勝ちよりも多いと思います。それを次のステップにいかせるようにしてもらいたい。僕の場合は、あんなに素晴らしい場所で、決勝を戦えた。そしてあのタッチアップで、他の人が感じられないことまで経験できた。それを捨てちゃいけないですよ。

 

自信の経験をかみしめるように語った星子さんは、今日も熊本のバーの一角で、野球ファンたちとあの日のバックホームの話に花を咲かせている。

 



今年も、高校野球の夏が間もなく終わる。しかし、球児たちの人生は終わらない。
私は想像する。
高校野球は数えきれないほどの「敗者」を生む。しかし敗北から多くを学んだ彼らは「敗れざる者たち」でもある。
そんな彼らは、どんな人生を歩んでいくのだろうか。
今日も甲子園球場には真夏の日差しが降り注ぎ、浜風が吹いている。
私はこれからも、あの熱狂の中で白球を追う球児たちの、今とこれからを見守っていきたい。

 

大越健介

この記事を書いた人

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大越 健介 キャスター

昭和60年NHK入局、初任地は岡山局。政治部の記者、NW9キャスターなどを経てサンデースポーツ2020キャスター。
"スポーツをこよなく愛する親父"の代表として自ら楽しみながら伝える。

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