ストーリー野球

夏の甲子園 箕島対星稜延長18回  球審が見た激闘

2018-08-13 午後 04:41

100回大会を迎えた夏の全国高校野球。サンデースポーツ2020では、大越健介キャスターが球史に残る名場面の当事者たちを訪ねました。この連載では、シリーズ「高校野球 敗れざる者たち」と題しインタビューを再構成。全3回でお伝えします。

第1回は、甲子園で300試合以上審判を務めた元審判委員の永野元玄さんへのインタビュー。1979年の61回大会3回戦、箕島高校対星稜高校・延長18回の激闘を、球審として見ていた永野さんが感じていた知られざる思い。そして、30年に及ぶ審判生活で球児たちに伝えたかったこととは。

高校野球史に残る「名審判」永野元玄さん

永野元玄(ながの・もとはる)さん

夏の全国高校野球では、1953年・35回大会に土佐高のキャッチャーとして初出場し準優勝。その後は慶応大、住友金属で28歳までプレーした。その後、高校野球の審判として甲子園で300試合以上を担当。決勝の球審を春夏合わせて14回担当するなど、高校野球を代表する審判員のひとり。61回大会3回戦・箕島対星稜の試合で球審を務めた。

審判は「グラウンドの教育者たれ」

永野元玄さんが高校野球の審判を始めたのは、28歳の時。社会人野球の住友金属で現役引退をした直後のことだった。かねてから何か高校野球の世界に携わりたいと考えていた永野さんに、当時高野連会長だった佐伯達夫さんが声をかけたのだ。まず教えられたのは、「高校野球の審判委員」としての、心構えだったという。

球審時代の永野さん

 

「あんたが野球が上手いか、審判ができるかどうかは知らない、しかし、あんたはグラウンドで学校の先生の代わりができますか?」

 

 

永野元玄さん 佐伯さんから最初にこう言われたんです。要するに高校野球の審判は、単に判定するだけの役目ではないと教えられたことを強烈に覚えています。

大越健介キャスター 「グラウンドでの教育者であれ」。非常におもしろいですね。その言葉は、審判としての振る舞いのなかでどう生かされていましたか?

永野 あまりにも重い言葉ですよね。単なる審判の技術ではなく、子供たちや指導者の方とどう接するのが一番いいのか、常々考えておりました。

 


そこから、社業の傍ら毎年春と夏には甲子園へ通う、30年に及ぶ審判生活の日々が始まった。

永野さんがそこまで長く高校野球に関わろうと心に決めたのには理由があった。1953年、夏の全国高校野球35回大会。初出場ながら決勝に進んだ土佐高校で、永野さんはキャッチャーでキャプテンを務めていた。松山商業との決勝は土佐高リードで終盤へ。深紅の優勝旗が手の届くところまで来ている。あと1球でその旗は自分たちのものになる。しかしその後の展開は、永野さんの脳裏に今でも鮮明に残る苦い記憶だ。

 

 

大越 優勝まであと1球までというプレー、どのような場面だったんでしょうか?

永野 もう60年以上前ですけどね。僕がいた土佐高校は松山商業に2対1で勝っていました。9回ツーアウト、ツーストライクまで追い込みました。あと1球で優勝という場面、ピッチャーの投げたボールはアウトコースの低めのカーブ。非常にいい球だったんですけど、バットの下にかすかに当たりましてね。私、感触を今もはっきり覚えていますけど、ボールは僕のミットの先端に入ったんです。捕ればファウルチップで三振で優勝。でも、僕はボールを落としました。で、そのあと土壇場で同点にされて延長で負けるんです。私の落球があの試合を潰してしまったんです。この手にボールが入りかけていた、その瞬間の指の感触は今も覚えていますよ。

 

高校時代 キャッチャーだった永野さん

 

大越 でもファウルチップですし、ミットに収まりきらないことも多いでしょう?

 

永野 かもしれませんけど、一旦ミットに入っていたんですから。実はその時不埒なことを考えておりましたからバチが当たったんですよ。決勝の試合終盤になると閉会式の準備が始まるんですよね。1塁側ベンチの横に優勝旗を係員の人が持ってくるわけです。深紅ですからなおさら目立ちました。僕はあの時、その旗をサインを出しながら見ていたんです。「もうすぐあれをもらえるな」と、あろうことにあの旗をもらって場内一周しているシーンを思い描いておったんです。だから、当然のごとくバチが当たった。優勝を逃してナインにも大変迷惑をかけたと、未だに鮮明に頭に残っていますね。

 

大越 その痛恨の思いをどう克服、消化されたんですか?

 

永野 しばらくは後悔が先にたってばかりでした。でも、あの時もしファウルチップを捕って優勝していたなら、僕は審判をやらなかったと思うんです。落球したんだから悔いが残って当たり前なんですけど、甲子園にもう一度戻りたい、何かやり残したことをやらせてもらいたい。そう思っているときに審判をやらないかと声をかけていただきました。球審としてグラウンドに行けば、自分が落球した場所のすぐ30センチうしろで試合を見られます。そこでもう一回、勝負を分けるような場面に出くわしたいなと思ったわけですね。

「箕島対星稜延長18回」強烈すぎる記憶

30年間で300試合に及ぶ審判生活。その中で最も印象に残る試合は何かと尋ねると、永野さんは迷うことなく答えた。


永野 
「箕島対星稜」。文句なしにこの一戦が一番です。強烈すぎるくらい頭に残っています。

 

 

1979年8月16日、第61回大会3回戦。この日の第4試合、春夏連覇を狙う箕島高校に星稜高校が挑んだ試合は1対1のまま延長戦に入っていた。
甲子園球場の照明灯にはライトが灯されカクテル光線がきらめく。その中で、球史に残るドラマが始まった。

12回表、星稜が1点を勝ち越せば、その裏ツーアウトから箕島のキャッチャー嶋田選手が同点ホームラン。箕島圧倒的有利と言われた試合で、星稜が果敢に挑み、そして箕島も優勝候補の意地を見せる。球審をしていた永野さんは不思議な思いで選手たちを見ていたという。

 

 

永野 審判としてあってはいかんのですが、どうしてもその試合の中に引きずり込まれていくわけですね。箕島と星稜、それぞれの1球1球をいかに切り離して、冷静にジャッジしていくかということに苦労しました。

 

大越 審判として、自分自身と戦っておられたんですね。

ファウルフライの落球に重ねた記憶

試合開始から3時間半が経とうとしていた延長16回、星稜はタイムリーヒットで再び1点を勝ち越す。その裏、この試合を一人で投げ抜いてきた星稜の堅田外司昭投手は、二つのゴロで簡単にツーアウトをとった。つづく箕島のバッターは森川選手。その打球は高々と力なく上がり、ファーストのファウルグラウンドへ落ちようとしている。星稜のファースト、加藤選手が追いかける。ついに星稜が勝利をつかむと思われたその瞬間、加藤選手の足がもつれ、ボールはグラブをすり抜けた。

 

転倒したのは土と人工芝の境目付近だった。

 

大越 延長16回、ファールフライを加藤選手が落球してしまった時、そこまで力投していた堅田投手の様子に何か変化はありましたか?

 

永野 いや、変わった事は何もなかったですね。普通なら落胆しても不思議ではないシーンですけれども、それはなかった。えらい立派だと思います。

 

星稜・堅田外司昭投手

 

しかし永野さんは、加藤選手の落球を見て揺れる感情を自分でも感じていた。思い返していたのは高校時代、優勝まであと一球で落球し、勝利を逃した記憶だった。


永野 
16回のファウルフライを星稜が捕れなかったのを見たときに、私も昔にポロッとやっていることがですね、当然のごとく頭に巡りまして、大変なことになったなと思ったことを覚えています。もうその時は「延長18回で引き分け再試合になってほしい」と思っていました。

審判は個人的な感情を出してはいけないんですけども、この試合だけは、もう両校が同じだけの力を出していた。結果的には箕島が勝つわけで、星稜の健闘をひいきをするわけではないんですけど、引き分けになってほしいと。審判がそう感じちゃいけないんですけどね。


そして、加藤選手の落球の直後、箕島・森川選手が再び同点ホームランを放つ。試合はまだ続いていった。

残酷な「翌朝再試合」のアナウンス

試合は延長18回に入った。この回を終えて同点なら当時の規定で引き分け再試合となる。甲子園球場に「引き分けの場合は翌朝8時半から再試合を行います」とアナウンスされたのは、18回表の星稜の攻撃時だった。星稜の堅田投手はセカンドベース上でこのアナウンスを聞いた。後に堅田投手は、このときの心境をこう語っている。

星稜・堅田投手

「俺、明日また朝から投げるのか」と思って不意に力が抜けた。

 

”八月のカクテル光線”の中、試合は続いた

 

大越 僕が以前堅田さんに話を聞いたとき、延長18回の放送を聞いて、「また明日朝8時半から投げるんだな」とボンヤリ思った瞬間に、少し気持ちが変わってしまったとおっしゃっていました。

永野 当然だと思いますね。私もホームプレートにいますから、そのことは聞こえてきました。「明日の朝なんてそんな殺生な!」、「せめて朝じゃなくて最終試合にするとかできないのかな」と個人的に感じていました。大会運営のことなんで審判が言っちゃいけないんですけど、選手たちにとってはそれくらい厳しい状況だったと思うんですよね。

 

大越 永野さん自身、高校時代に優勝旗が準備されているのを見て少し心が動いたという経験と、ちょっと似ているかもしれませんね。

 

永野 そうかもしれませんね。

 

18回裏の堅田投手のボールを見て、永野さんは「球が死んでいる」と感じたという。何度追いつかれても、味方にミスが出ても動じる様子のなかった堅田投手の力は、もう残っていなかった。延長18回裏、この日堅田投手が投じた208球目のストレートを箕島・上野選手が打ち、星稜はサヨナラで敗れた。
 

 

試合終了後、永野さんはベンチ裏の通路で、一人の選手を待っていた。

 

大越 試合が終わって、堅田投手に声をかけられたと伺っていますが、どんな声をおかけになったんですか?

 

永野 星稜の負けには、やはり不運な部分もありましたよね。そうすると審判としてできることは一番大事なボールを渡すことじゃないかと思いました。選手はみなさん頑張っていますけど、ピッチャーというのはチームの代表でもあるし、実に立派な投球もした堅田君に何かさせてもらえることはないかと思ってね。グラウンドから引き上げるときに、「もう一回グラウンド見ておいで。ご苦労さん」と言って、彼にボールを渡したんです。彼も「いただきます」と受け取っていきました。

 

“神様がくれた試合”

「神様がくれた試合」とも形容された、箕島対星稜延長18回の激闘。

球審の永野さんと両校のナインは、その後不思議な縁で繋がれている。250球以上を投げ抜いた箕島の石井、嶋田のバッテリー。共に社会人に進み、永野さんが部長を務める住友金属で都市対抗野球優勝を果たした。箕島と星稜のナインは卒業後も交流を続け、その後何度も「再試合」を行っている。

 

箕島OBと星稜OBによる再試合

 

大越 箕島対星稜の試合、実は僕もあの試合に出ていた選手たちと同学年なんですが、50代半ばになったあのときの選手たちが、今も交流を続けていることはどうお感じですか?

 

永野 もうね、箕島と星稜は「呉越同舟」といいますか、ほんとに仲が良いですね。あれはちょっと珍しいくらい。ということはそれぐらいすごい試合をしたということだと思いますよ。私はたまたまあの試合に巡り合わせてもらっただけなんですけれどもね、本当に「宝物」をいただきました。

 

 

そして星稜のエースだった堅田外司昭さんは、永野さんの背中を追うかのように再び甲子園球場に戻ってきた。現在は高校野球の審判として、グラウンドに立ち続けている。

 

100回大会でも審判を務めた堅田さん

 

大越 堅田さんは永野さんに声をかけてもらったこと、そのボールを受け取ったこと、それがご自身も審判になることにつながっていると言っていました。あの試合からはじまった縁のようなものがあるんでしょうか?

 

永野 当時はそういうつもりで言ったんじゃないんですけどね。結果として審判の道に入って頑張っていて、ましてや今年100回記念の大会で球審をするところまで登り詰められたというのは、個人的には本当にうれしい思いです。

 

 

「グラウンドの教育者たれ」。永野さんが守り続けてきた信念は堅田さんが今も受け継いでいる。

高校野球がつなぐ“縁”

大越 改めて野球がもたらす不思議な縁たいなものを、僕は至る所で感じるんです。野球の世界が狭いからなのか、それとも何かが引き合うのか。

 

永野 僕もわからないんですけれども、箕島の尾藤公監督の話をちょっと引用させてもらいますとね、球技の中で人間自身が得点をする、生還をしてくるスポーツって野球くらいなんだそうです。

 

箕島高校の元監督・尾藤公さん

 

永野 サッカーでもラグビーでも、ボールを使って点を取りますよね。ところが野球は人間そのものがホームに帰ってくる。それを防いだり打ち破ろうとしたりするスポーツだから、そこにドラマが生まれるんじゃないかと、尾藤さんは言っておりました。

 

大越 野球は自分の体で得点をする、なるほど言われてみるとその通りですね。だからこそ縁みたいなものが強く広がってくる。

 

永野 それが本当に一番大事だと思うんです。そう認識したらね、やり方が変わってくると思うんです。仲間を次の塁に送ってあげたい、前へ進めてあげたいと言う気持ちになりますよね。

 

大越 私は、高校野球の最後の夏というのはほとんど全員が負けて終わるという現実の中で、負けの中からきっとその人の人生で得るものがあるのではないかということを思ってインタビューをしているんです。様々な偶然によって勝敗は分かれるのかもしれませんけども、その結果を苦しみながらもきっちりと受け止めて、その後の人生の中でしっかり糧にされている方々の姿が非常に印象的です。同じ野球人としてご自身もまた似たような経験された身として、そのようなことをお考えになることはありませんか?

 

 

永野 それはあります。全国およそ4000チームくらいの中で最後に1チームしか残らないわけですから。敗者が圧倒的に多いんですけど、敗者の方にも得るものが非常に大きいと思います。

 

大越 それだけ多くの人たちが高校野球に惹かれて、真夏の炎天下でプレーする。その独特の魅力というんですかね。永野さんのような、長く高校野球に関わっている方だからこそわかる「高校野球の魅力」というのは何だとお考えですか?

 

永野 暑さの中でのプレーなど最近はいろいろな問題も出てますけれども、一言で言うとひたむきなプレーだと思うんです。1回戦で負けるチームが圧倒的に多いし、大差で終わる試合もたくさんある。しかしそれでも、両チームが最後まで全力でやっている。これは本当に素晴らしい話だと思います。

 

 

永野 そして、甲子園という場所もあるんじゃないでしょうか。みんなそこで勝つことに夢を持ってやってまいすから。高校野球の不思議なところで、甲子園という場所の存在があまりにも大きいだけに夢を与えてくれる。それが大会の文化というものを作ったんじゃないでしょうか。

 

 

いい審判、その条件とは・・・

永野さんは現在、高校野球の審判を引退。球場で試合を見ることも少なくなった。それでも夏になれば、独特の気持ちの高ぶりを感じている。一球で試合の展開が変わる、ひとつのジャッジで球児の人生を変えるかもしれない、審判としての仕事の重みをかみしめながら。


永野 
一球で試合の展開を変えてしまうような場面で判定する、よくあんな仕事やってたなぁと思います。私は審判のあるべき姿というか、一番いい審判は試合が終わった時に「今日は審判の存在を全然感じない」と思われる審判だと思います。要は見ていて抵抗感がないと言う事なんですね。「今のなんでボールなんや」とか「今なんでセーフになったん?」みたいな時、ありますよね。そうするとみんなの目が審判に行くわけですけど、目立たないように試合を終えると、ジャッジがみんなに納得されてるなぁと思いましてね。しかし、私が審判した試合にそんな試合はありませんでした、残念ながら。

 

 

大越 ご自分の審判人生を振り返られて、充実した時間だったでしょうか?

 

永野 いやもう、充実した経験をさせていただきましたね。もちろんミスもありましたけれども、それは非常に良い勉強になりました。高校野球の審判をやらせてもらって、得がたい宝物をいただいたかなと思っております。

 

8月6日、100回大会を記念した「甲子園レジェンド始球式」で、箕島のピッチャーだった石井毅さんがマウンドに立った。その試合の球審は星稜のピッチャーだった堅田さん。39年前のエースだった二人が甲子園のマウンドで握手する姿を、永野さんは内野席から見守った。

 

石井さん(左)と堅田さん(右)

 

高校野球史上最高の試合とも言われる、「箕島対星稜延長18回」。100回記念大会の今年、それを超えるドラマは生まれるのか。永野さんは今も「教育者」の視点で、グラウンドを見守っている。



シリーズ・高校野球「敗れざる者たち」。第2回では、1998年、史上唯一の“サヨナラボーク”で大会を去ったピッチャーのその後を訪ねます。

この記事を書いた人

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大越 健介 キャスター

昭和60年NHK入局、初任地は岡山局。政治部の記者、NW9キャスターなどを経てサンデースポーツ2020キャスター。
"スポーツをこよなく愛する親父"の代表として自ら楽しみながら伝える。

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