ストーリー野球

福山雅治 高校野球テーマソング「甲子園」を語る

2018-09-21 午後 01:12

大阪桐蔭高校の史上初、2度目の春夏連覇で幕を閉じた、100回大会の夏の全国高校野球。その熱戦を伝えたNHKの高校野球中継を、ともに盛り上げてくれたのが、テーマソング「甲子園」でした。制作したのは、アーティストの福山雅治さん。8月19日のサンデースポーツ2020では、福山さんに曲に込めた思いをインタビューした企画を放送しました。

この記事では、放送に入りきらなかった未公開のインタビューを含めて再構成。曲作りの裏側にあった葛藤、さらに高校野球やふるさとへの思いを、たっぷり語っていただきました。

オファーを受けて・・・「人違いじゃないですか?」

福山さんにインタビューをしたのは夏の全国高校野球も終盤にさしかかった8月17日。

連日、福山さんの歌う「甲子園」とともに球児たちの熱戦が伝えられる中、まずは楽曲制作のきっかけを聞きました。

 

 

―NHKから、甲子園に向けた楽曲を提供してほしいとオファーを受けたとき、率直にどんなお気持ちでしたか。

 

福山雅治さん(以下、福山) まず、「どうして僕なんだろう?人違いじゃないか」と思ったんですよ(笑)。僕は高校野球との接点があるように思われてないですし、「このオファー、なんで僕にきたんだろう…」と。それで、オファーをくださったNHKのプロデューサーさんにその理由を直接うかがいました。そしたら「日本人にとって高校野球とは、ということを書いていただけませんか」っていう話でした。いやいや、それはますます無理だなと思ったんですけども(笑)。

―最初は「どうして僕なんだろう」というところから、「よし、やろう」と思われた「心の変化」といいますか、きっかけみたいなものがあったんでしょうか。

 

福山 プロデューサーさんとお話しする中で「福山さんの楽曲の中には、ふるさとを思う気持ち、両親に対する感謝、仲間に対する感謝が描かれている。ぜひ、そういう部分を今回の100回目の夏の高校野球で表現していただきたい」と言ってもらったんですよね。僕に全くない要素をリクエストされていたら大変だと思ったんですけど、でも僕が今まで発表してきた楽曲からイメージを膨らませてオファーしてくださったということだったんで。それなら、自分の文脈で曲を書いていいのであれば、謹んでオファーを受けさせていただきますと答えました。

球児たちとの「共通項」を探して

100回目の甲子園のテーマソング。その楽曲制作は福山さんにとっても大きな葛藤を抱えながらの作業だったといいます。


―曲作りでは、かなり制作期間をかけられたと聞きました。

 

福山 かかりましたね。何もかもが通常の5倍以上かかりましたね。楽曲の制作時間もそうですし、バンドの編成もそうですし、レコーディング回数もそうですし。正直その気合いが入りすぎて、これ空回りしてるんじゃないかな?って(笑)。

 

 

福山 曲作りはいつも苦しいんですけどね。どうすれば、そのオファーをくださった方に満足してもらえるか。そして、聴いてくださる方たちに、何かを感じてもらえるものを作らなければいけない。当然、全ての方に納得していただけるようなものはできないんですけど、やっぱり100年以上続いている高校野球ですから。今出場してる選手は高校生ですけど、見ている方たちは全世代なので、その全世代に100年共通してるものっていうのは、なんなのかなっていうのを探したいなと思ったんですね。でも、自分が歩んできた人生と、高校野球っていうものとの共通項を探すことは、最初かなり難航しましたね。


―福山さんと高校野球の共通項ですか。

 

福山 自分が直接経験したことがないことのオファーをいただいた場合っていうのは、まあそんな偉そうなことは言えないんですけど、「役作り」みたいなことをするんです。お芝居で役をいただいたら、この役ってどういう役だろう?と。例えば天才物理学者であるとか、幕末の志士であるとか、そういったものを演じるにあたり、やっぱり自分の中に何か確かなものが欲しいんですよね。自分の実体験として五感で感じられるものとか、何か確かなものが欲しい。それを手がかりにする。今回の曲作り、高校野球だったら、球児たちの3年間・・・というかもっと前ですよね、小学生くらいから当然みなさん野球をしている。その日々の積み重ねの中で出たものが結果として、プレーに出ていく。でも、僕は同じ時間はかけられない。同じ経験もできない。5年6年かけて曲を作るって話じゃないので。オファーをいただいてから完成する期間までの短い間の中で、自分の中で高校野球と自分の「共通項」として感じられる確かなものってなんなんだろうな?と。

僕は“中途半端”だった

―その「共通項」を考える中で、高校球児に対して感じたことはどんなことでしたか。

 

福山 子供の頃からそうでしたが、「尊敬」ですよね。それはこの年齢になっても同じで、僕なんかがしてきた努力は努力と呼べないんじゃないかなというような思いが今もあります。野球人口はたくさんいるけど、甲子園という場所はその中でもポテンシャルが高い人たちが集まっている。でも個の能力だけじゃあチームは勝ち残れない。能力もあり最後は努力を積み重ね、かつチームプレーができる人たちが踏めるグラウンドが甲子園なわけですよね。

そうして、福山さんの学生時代のことに話が及ぶと、返ってきたのは私たちが思う福山さんのイメージからすると、「意外」とも思える言葉でした。


福山 僕は、何もかもが「中途半端」だったんです。

その意味をたずねました。


福山 
思い返すと、小学生の頃に将来なりたいと思っていたのって、やっぱり野球選手だったんですよね。

 

 

福山 小学校の時に、ソフトボールのピッチャーをやってて。その時は小学生なりに走りこんだりとか、今じゃ考えられないですけど鉛の入ったボールを投げ込んだりとか(笑)。でも自分は、そういう肉体的に辛く日々努力をすることが嫌だと感じていた子供だったんですよね。だから中学入ったらスポーツじゃなくて、ブラスバンド部に入ったんです。ところがブラバンに入ったら入ったで、母校では毎日腹筋と背筋必ずやるメニューになってて、毎日学校の屋上でやる。「ブラバンって思ったより体育会系だな…。こんなはずじゃなかった」と(笑)。一応中学3年間は続けましたけど。

 

 

福山 で、高校に入った頃にはそういう部活であるとか、規律であるとかチームプレーであるとかから逃げたんだと思うんですよね。もう嫌だと。それで自分がやりたいことだけ、勝手なことやってたわけです。バンド組んで、誰に教わるでもなく別に自分でできるからいいよ、なんて思っていたタイプで。だから高校球児のみなさんって、自分が10代の頃にことごとく逃げたり避けたりしてきたことに、真正面から取り組んでいるっていう印象なんですよね。小・中・高と、野球というひとつのことに打ち込んできた。僕にはできなかったことばかりです。それはもう尊敬ですよね、歳が若いとか関係なく。



ともすれば、「遠い存在」だった高校球児と自分。その距離を埋めようとするように、福山さんは、曲作りに必要な「共通項」を探していきます。

甲子園球場での出会い

 

今年4月、福山さんが足を運んだのは、選抜大会が行われている甲子園球場でした。

福山 4年ほど前にもプライベートで観戦しに行ったことはあったんですが、今回は取材といいますか、実際の現場を経験してみなければと。で、球場では何が起こって、どういう感覚・感情になるのかっていうことは、やっぱり球場に行かなきゃわからないと思ったし。改めてただ観戦するだけじゃなくて、楽曲制作という課題を持って試合を見るのでは、やっぱり全然違うんじゃないかと思いました。

選抜大会の準決勝。福山さんは球児たちのプレーを真剣な眼差しで見つめていました。そこでは、今でも深く印象に残る、スタンドでの思わぬ出会いもありました。

 

 

―甲子園で実際に高校野球を見て、どんなことを感じられたんでしょう。

福山 やっぱり、いろんな思いが深く交錯する場所だなと思いました。三重高校と大阪桐蔭の準決勝だったんですけど、ちょうど僕の席の隣に、70歳は越えてらっしゃるであろうおじさまといいますか、おじいさまが一人でいらっしゃってたんですよ。で「どちらを応援してらっしゃるんですか」って聞いたら、「自分は三重高校の出身で、前回三重が優勝したときも僕は応援しに来たんだ」って。

―前回、三重高校が優勝した時・・・調べると昭和44年ですね。

福山 そうなんです。結構前なんです。でもその時以来、三重高校が出たときはずっと来ているらしくて。で「今年の三重はどうですか」とか質問させていただいて、いろんな思いをお話ししてくれまして。前回三重高校が優勝するのを見に来た時は奥様と一緒に来たとか。でも今回一人で来られていた。ということは、今は奥様はもう・・・って自分の中で勝手にいろんなドラマを想像してしまって。過去40年以上、仕事とか家族とか、そのおじいさんの人生いろんなことがあったとして。でも自分のふるさとの高校が出場すると毎回必ず見に来ると。いろんなことが変わっていくけれども、このことだけは変わらない。甲子園にふるさとのチームを応援しに来るっていうことは変わらない。変わらずに開催されている高校野球にいろんなものをもらうんでしょうね、元気とか勇気とか感動とかをね、そのおじいさんも。そしてまた自分の生活に戻られていって、良いこともしんどいこともある日常へと帰って行って、でもまた夏が来るとこの場所に、ふるさとのチームを応援しにくる。「ああ、いいもんだな甲子園って」と。当たり前のように開催される、その「当たり前という奇跡」のようなものを改めて感じましたね、そのお父さんとお話しさせていただいて。

甲子園が「ふるさとの誇り」を感じさせてくれる

その時、頭の中にあったのは、福山さん自身が高校野球から感じる、「ふるさと」への思いでした。


福山 
僕も長崎出身で、上京してきて30年ちょっとですけど、やっぱり毎年春も夏も気になります。「どうなってるのかな?勝ってるのかな我がふるさとは」って。そういうところで、自分のふるさとへの思いを確認します。僕自身は長崎を出た18歳の当時は、ふるさとを「出たくて出た人」なんですけど。でも、自分のふるさとの代表って、どこの高校よりも応援する。それはふるさとに対する「誇り」なんだと思うんですよね。高校野球を見てると、自分はこの街で育ったことを誇りに思いたい、18歳の頃はそう思えなかったはずなのに、その思いが沸き上がってくる。その「誇りたい気持ち」って、翻って「自分を誇れるようになりたい」っていうことなんじゃないかなと思うんですよね。

 

 

―福山さんご自身も、ふるさと長崎への誇りが思い出されたんでしょうか。

 

福山 まあ僕自身、東京で暮らしている時間のほうがもう長くなりましたけれど、あの長崎という地元ですごした18年間っていうのは、当然ですが自分の中の土台や精神の支えになっていて。もちろんいろんなことが変わったし、東京に出てきてからのほうがいろんな経験をしているんですが、自分の元になるものを作ったのはふるさとで。自分はやっぱり長崎って街で生まれたこと、故郷での18年間が今の自分の半分以上を作ってるんだと思いたいんですよね。
だから、自分のことを振り返る機会にもなるし、ふるさとへの感謝の気持ちを考えるきっかけにもなりますよね、甲子園というのは。

甲子園を「五感で感じた」

 

そして福山さんは、甲子園球場のグラウンドへ招かれました。

福山 甲子園のグラウンド整備をされてる阪神園芸の方が、「どうぞ入ってください」って言ってくださったんですけど、僕はもう、とてもじゃないけどグラウンドの中は入れなかった。あの場所というのは、研鑽に研鑽を重ねてきた者だけが入ることを許される場所だって思ってますから。でも、「じゃあ、ちょっとだけ土に触れさせていただくだけで」といって、触れさせていただいたんですけどね(笑)。

 

 

福山 そのタイミングが、陽が傾いてきたぐらいの時間で、同行したスタッフの方が「ちょうどこれぐらいの時間に、決勝戦が終わるんです」って教えてくれました。その時に外野のほうから天然芝をなでた風が吹いてきて、すごく芝の良い匂いがするんですよね。「あ、この匂い、この風か」と。甲子園でちょうど決勝が終わるぐらいの時に吹く風、匂いを感じて、何年も何年もかけてやってきた、そして最後この場所に辿り着いた人だけが感じる風がこういう匂いなんだな、こういう温度なんだな。ここで選手達は何を思うんだろう。そこから想像を膨らませていくという作業でした。「役作り」って言うと大袈裟かもしれませんが、球児たちはこんな感覚なのかなと、実際に五感で感じてみることができた時間でした。

球児たちとシンクロした「仲間と情熱の日々」

五感で、甲子園を感じ、高校球児と自分の共通項を探した楽曲作り。詞を書き、曲を作り上げていく中で、改めて思い返したのは、福山さんが30年にわたって仕事で積み重ねてきた経験でした。

―そして、いざ100回目の夏の、高校野球のテーマソングを作って行く中で、プレッシャーは感じていらっしゃいましたか。

福山 結局、この楽曲制作の最初から最後までプレッシャーはずっと感じていました。10 代の頃に全部途中でやめてきちゃった、集団で何かをやることを続けてこれてない人間でしたから。だからそういう自分からすると、高校野球というチームで戦っていく競技の歌って本当に作れるのかなってずっと思ってました。

 

 

福山 でも、じゃあ自分がまったく誰の手も借りず一人でエンターテインメントの世界を生きたきたかっていうと、やっぱりそうじゃないんですよね。自分はソロの歌手として、シンガーソングライターとしてやってきてますけども、たった一人でやってきたわけじゃない。やっぱり見渡せば、振り返れば多くのファンの方を始め、スタッフ、メンバーに支えられ、その都度その現場には「チーム」ができてる。長く続いてるチームもあれば、そのプロジェクトごと一回きりのチームもあるんですけど、まあやっぱりチームなんですよね。自分がこの世界で30年ぐらいやってきたことの経験と、高校野球でシンクロできる部分があるとするならば、それはやっぱり「ひとりではできないことっていうのは確実にあるんだ」ということなのかなと。チームプレーの精神ですよね。今更ながらですが、人は自分ひとりでできることって限られていて、自分が足りないものを補ってもらったり支えてもらったりして、その上で自分自身にしかできないことに自信を持って、誇りを持って、最大限出し切って、それをチームに還元していくということが僕と高校野球の共通項なのかなと思ったんです。

 

 

福山 高校野球のテーマソングの話をいただいたときに、最初に頭に浮かんだのは、「チームプレー」でした。犠牲フライとか、送りバントとか。仲間を活かすために自分がそこに存在しているようなプレーです。献身ですよね。そこは、作曲するときも作詞するときも意識しました。「君は、それができる。僕は、これができるよ」。そのひとつひとつが繋がり合って重なり合って、集合した時に初めてチームも自分も次の次元に行ける、前に進める。それは野球だけではなく、たぶんそれぞれの人生でも仕事でもそうでしょう。職場仲間とか、あとは家族でもそうかもしれないですよね。みんなでいるからこそできることがあるんだっていうことは、多くの人に共通できるポイントだと思って、そこを今回は歌にしたかった。

その思いを、福山さんは歌詞の中に次のように綴っています。

僕は想像する
いつか家族ができて子供にも
自慢するんだ「仲間と情熱の日々」
君と僕の

 

君だけにしか 僕だけにしか 出来ないことを
認め合って 拾い合って 繋ぎ合えば
ほら
越えていける

 

 

―ご自身と高校野球の共通項を見つけ出せたんですね。

福山 結局僕は自分自身が経験したことの中からしか、リアリティを持つ表現っていうのは描けないんだと思うんです。なので自分自身の、何もかも中途半端だった10代を経て、ファンの方に支えられたり、スタッフの方に支えられたりして過ごしてきた、この30年間で「やっぱりひとりじゃ何もできないんだな」、「たくさんの人に支えられてきたからこそ今があるんだな」ということが、高校野球と重なるんじゃないかなって思えた。自分の経験から、ですよね。

「あと一歩」を目指して

そしてもうひとつ。福山さんが見つけた、球児たちと自分の大切な「共通項」があります。

福山 とにかく「あと一歩」っていうことですね。球児たちにとっても「あと一歩」という思いが、自分を支え、自分を前に進めてくれる原動力なのかなと思ったんですよね。

 

 

その思いをこめた歌詞です。

「あと一歩が届かなかった」
わずか一歩のその差は果てしない道だと
わかっているけど

それでも僕は行くのだろう
近くて遠いその「あと一歩」を目指して
何度も 何度だって

 

―それはなぜそう思われたんですか。


福山 僕自身も常に「あと一歩」だと思っているからです。活動の全てに。それはどんなレコーディング、CDだろうがライブだろうが、お芝居の現場でもそうですね、CM含めた映像作品も。「いやぁ、やりきった!最高!」とはならないんですよね。ほとんど達成感がないんですよ僕自分の記憶の中、人生の中で。

 

 

 

―ご自身に納得されたことがないと。

 

福山 もうちょっとこうすれば良かったな、もう「あと一歩」行けたんじゃないかな、っていうのは常にあります。それは球児のみなさん、それぞれの選手、控えの方、監督さん、コーチの方にもあるんじゃないかなと思って。高校野球というものを通して、自分も含めて視聴者のひとりとして何に感動してるのかっていうことを考えると、その「あと一歩」っていうところに共感したり、感動したりしてるんじゃないかなって思ったんです。

勝敗の向こうにある 何か

こうして作られたテーマソング「甲子園」は次のような言葉から始まります。

 

僕は想像する
想像を止めない
夢の舞台で全て出し切り

君と笑っている
君と泣いている
勝敗の向こうにある
何かを掴み…

 

―歌詞の中では、「勝敗の向こうにある何か」という言葉も出てきます。その、向こうにある何かっていうのは、どんなものだと思われますか。

福山 勝負事っていうのはその都度「勝敗」という結果が出る。スポーツのそれは顕著ですけど、でも仕事の世界だって、勝った負けたっていう瞬間は自分の中にもいっぱいあって。これはあくまで僕の話ですけど、勝ったから安泰かっていうとそんなことなくて。勝ったら勝ったで次なるチャレンジ、次なる越えたいハードル、越えたい山っていうのは必ず出てくる。それでも、どんな結果が出たとしても、生きている限りは人生は続いて行く。もちろん負けたら負けたで悔しいし、負けを引きずったまま生きていくのは嫌だし。負けを受け入れてなかったことにできるほど、僕は大らかな人じゃない。なので、あくまで勝敗っていうのは、その時その区切りとなる結果であって、勝っても負けても人生は続いていく。その時に自分が人生を進めていくのに支えになるもの、必要とするものって何なのかっていうことだと思ったんですね。その「何か」とは、例えば高校野球だったら、一緒に戦った仲間との絆であるとかその時間とか。誰かが自分を支えてくれたとか、僕はあいつの支えになったんじゃないかなとか、そういった過ごしてきた時間から得たものがその先の人生を支えて行くのではないか。「誇り」ですよね。その誇りが自分の信念や支えになるのかなと。

形を変えて叶った夢

そして今年、100回目の夏。甲子園球場には、福山さんを喜ばせる風景が広がりました。出場校を応援するブラスバンドの中で、優勝した大阪桐蔭高校や、福山さんの地元・長崎の創成館高校が、福山さんの「甲子園」を応援曲として演奏したのです。

 

 

―今年の大会、ご自身の楽曲が、アルプススタンドで鳴り響いているのを見て、いかがでしたか。

福山 ウソみたいですよね。夢のようでした。僕も中学の頃ブラスバンド部でしたから、当時から甲子園のアルプススタンドってブラスバンドの人間にとっては夢の舞台だなと思ってました。だから今回、まったくもって違う形で、30年以上前に自分が憧れていたことが形になったような状態ですよね。

―福山さんの曲が若いブラスバンドの人たちの心にも響いているんですね。

 

福山 そうだと嬉しいです。僕は僕なりのやり方で30年やってきて良かったなと思いました。もっと子供の頃を振り返ると、憧れてたものはあったけれども叶わなかったんですよね。小学校の時ソフトボールをやってたけど、野球選手になりたいっていうことは叶わなかった。ブラスバンドもやってたけど、アルプススタンドなんてとてもじゃないけど行けなかった。高校になってバンド組んだけれど、結局はバンドっていう形ではデビューできなかった。その理由は、僕自身の何もかもが中途半端だったからですよね。その中途半端な生き方すらも、「歌で生きて行くんだ」という覚悟を持って続けていくと、なりたかったものや憧れていたものに繋がっていく。もちろん全然形は違うんですよ。僕はアルプススタンドで演奏してるわけでもないですし、あのグラウンドでプレーをしているわけでもないんだけれども、憧れていた夢が形を変えて叶っていってるような気がしたんです。だからそういう意味で、自分がやってきたことは中途半端さも含めて今に繋がっていた、中途半端さにも意味があったんだな、って思ったんですよね。

 


その喜びをまるで予想していたように、福山さんは曲の中でこう歌っています。

振り向けばここへと続いた足跡の
全てに意味があったんだと

 

掴みたいんだ
ずっと僕は僕を諦めずに
君は君を諦めなかったね

掴みたいんだ
今日も挑戦者として戦う
チャンスは挑戦する者だけに訪れるんだ
そうだろ?

100年先の仲間達へ

―改めて、福山さんから見て、高校野球とはどんなものですか。

 

 

福山 球児たちの「生命の鼓動」そのものだと思いました。球児たちのプレーはもちろん、応援する側のエネルギーにもそれを感じました。「命を削る」わけですよね。声は枯れるし、汗だくになって。熱中症も心配ですし。でも、それでも何かを得ようとするっていうことは、もう生きることそのもの、生命そのものなんじゃないかなって。それがやっぱり感動や興奮を生むんじゃないかなと思います。僕は高校の頃あんなに必死になったことないですよ。まあ、ギターは自分なりに我流で昼夜問わず弾き続けてましたけど…。だから、彼らの姿を観ると本当に感動するんですよね。自分を顧みるっていう意味でも。で、僕の人生もまだ続いて行くので、人生は今日で終わりではない。僕にもチャンスはあるのかなと、さらに必死になる目標と出会うチャンスが。高校野球に尊敬の念を持ちながら、でもやっぱり自分も人生の中でさらに必死になれる時間を過ごしたいな、過ごさなきゃいけないなということを教えてもらえる場所ですよね。甲子園、高校野球というのは。


100回目の夏に作られた、高校野球テーマソング「甲子園」。そして曲の最後、福山さんは100年先への思いを綴りました。

福山 「100」っていう数字は入れたかったんですよ、歌詞の中に。100年という過去を振り返りながら、これからの100年も「仲間と情熱の日々」が同じように続いていたらいいなっていう思いですね。

 

100年先の仲間達へ
我ら謳う
青春を
生命を
謳う

 



今年、100
回目の夏の高校野球は終わりました。
それでも、球児たちの人生は続きます。
そして、101回目の夏を目指す歩みも。

福山雅治さんの歌う「甲子園」とともに・・・。

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