特集 8年ぶり技能賞の妙義龍 三役復帰に意欲

幕内上位に戻り三役復帰の欲を出したい
35歳のベテラン元関脇の妙義龍は秋場所好調で、上位陣が崩れる中で千秋楽まで新横綱照ノ富士との優勝争いに残った。久しぶりの活躍は高く評価されて、平成25年夏場所以来8年ぶり6回目の技能賞を受賞した。
電話でインタビューする刈屋元アナウンサー
刈屋富士雄元アナウンサーが秋場所の活躍から新十両での大ケガからの復活、そして大相撲入門前の秘話までを電話で聞いた。
正代関との相撲「あ!勝っちゃった」
Q 三賞受賞おめでとうございます。受賞が8年ぶりですね。
そうですね。もういつ取ったのか忘れてしまいましたね。
Q 文句なしの技能賞受賞でした。どのあたりが評価されたと思っていますか。
自分らしい前に出る相撲で、いい勝ち方で勝ったことをこういう形で評価していただいたと思っています。
秋場所14日目の正代戦
Q 14日目の正代関との対戦ですね。前まわしを取って一気に出た相撲が技能賞受賞の決定打になりましたね。
2日連続で大関戦でした。13日目の貴景勝関とはこれまで1回も勝ったことがなかったです。接戦のギリギリの勝負で、そういう点も評価していただいたと思います。
Q 13日目に貴景勝関に勝って、14日目にまた大関戦正代関戦が組まれました。
ほかに当たる人がいるのではないかと思いました。「自分なのか」と思いましたね(笑)。番付的に当たる位置ではないですね。
Q 14日目に星の差1つで照ノ富士関を追っていたあとの2人、阿武咲関と遠藤関が負けました。どう思いましたか。
目の前で2人が負けたのを見ていましたので、自分が負けたらきょうで優勝が決まるのは分かっていました。しかしそれで肩に力が入ってはいけないので、自分の相撲が取れるという方向に向きました。勝ちたいというより、この状況でどんな相撲が取れるかという気持ちがありました。
秋場所14日目 妙義龍(手前)が寄り切りで正代に勝つ
Q その心境が勝負を楽しむ、気持ちを前向きにするということですね。
そうです。これまでの経験が生きたのだと思います。勢いがなくなった分、経験が生きたのです。正代関との相撲は一方的であっけなかったです。特別に疲れたわけでもないし、「あ!勝っちゃった」みたいな感じです(笑)。
15日間自分らしい相撲を取れた
Q 千秋楽まで優勝に絡んだのは今回初めてですね。
初めてです。そんなことをしたことはないです(笑)。
秋場所千秋楽 明生に肩透かしで敗れた妙義龍(左)
Q 千秋楽を振り返ってどうでしたか。
気持ちはいつもと変わらず淡々としていました。変に緊張してもおかしいですし、相手が明生関でしたので淡々としていました。余計なことは考えず、ぶれてはいませんでしたね。
Q 明生戦は肩に力が入っていたのかなと思いました。
そうですね。肩に力が入っていたかもしれませんね。
敗れた妙義龍(左)と優勝が決まった照ノ富士(右下)
Q この取組だけは勝たなければという思いが出たのかなと感じていました。
一瞬出たのかもしれませんね。
Q 取組前に三賞の受賞は分かっていましたか。
分かっていました。付け人で、今回新十両昇進を決めた平戸海が言ってきました。そこでは少しうれしい気持ちがありました。最後までしっかりやり切るという気持ちでした。
Q 15日間、自分の思ったとおりの相撲を秋場所は取り切れたということですか。
そうですね。いい相撲もあったし、負けた相撲であっけない相撲もありました。それでも秋場所15日間、自分らしい相撲を取れました。
小さく当たって大きく出ていくイメージで相撲を取る
秋場所初日 遠藤をはたき込みで破る
Q 秋場所は初日から4連勝して好調でしたね。
いいスタートが切れたということです。勝てば気分もよくなります。負ければ焦りも出てきます。4連勝スタートはよかったです。その流れで最後までいけました。
秋場所7日目 志摩ノ海を攻める妙義龍(右)
Q 体のバランスもいいですね。相撲内容を特に変えてきているということはないですね。
変えていないです。小さく当たって大きく出ていくというイメージで相撲を取っています。大きい人は大きく当たって大きく出ていきますが、私は小さく当たってから大きく出ていくというのが昔からのイメージです。それはスピード感ですね。このスピード感で横綱に勝っています。このスピード感が自分の武器です。
新十両でじん帯断裂 新十両インタビューができなかった
2009年12月 十両に昇進
Q 平成22年初場所新十両のときに大けがをしましたね。
はい。2日目の臥牙丸関との対戦で前十字じん帯を断裂しました。それで4場所休場して三段目の94枚目まで落ちました。
Q あのときのことは覚えていますか。
とてもよく覚えています。これでダメだと思いましたね。でも復活できたのはもう1回元に戻りたいという気持ちが強かったからです。新十両に上がって母校埼玉栄高校から贈られた化粧まわしを2日間だけつけましたが、東京・足立区の境川会や日本体育大学の化粧まわしをつけることができませんでした。新十両インタビューは憧れでした。化粧まわしを横に置いて出演するので。
Q 新十両インタビューをやっていなかったですか。再十両のときにやってもらいたかったですね。
放送で紹介する子どものときの写真も用意していました。3日目か4日目の予定でしたが、休場したので、放送できずに終わってしまいました。
2011年6月 十両に復帰 稽古で汗を流す
Q それでもよく戻りました。8場所かかって十両に復帰しました。
ケガをしてゼロどころかマイナスまでいったのです。環境を変えようと師匠(元小結両国の境川親方)と話して、母校埼玉栄高校にリハビリに行くことを決めました。そこで徹底的に膝を鍛えました。上半身も鍛えてから土俵に復帰したのです。リハビリ中は相撲部の合宿所に泊まって山田道紀監督には、おいしい食事を食べさせてもらいました。
Q 体を完全に整えたことが、よかったのですね。
そうですね。復帰してからも体を整えたことが力になりました。
長い相撲人生で白鵬関からの金星がうれしい一番
2011年10月 九州場所の新番付を手にする妙義龍
Q 十両で2場所連続優勝して新入幕でした。
平成24年春場所は前頭筆頭で7勝8敗と負け越しました。それでも1回胸を合わせると横綱、大関の上位との対戦が感覚で分かりました。
Q それは手応えというより感覚ですか。
感覚ですね。横綱、大関は絶対的に強いというイメージですが1回対戦してみたら、言い方が悪いですが「こんなものか」と感じました(笑)。
2013年 初場所 白鵬に勝って初金星を挙げる
Q 平成25年初場所で白鵬関に勝って初金星を挙げました。
あのときの白鵬関はとても強くてどう攻めても勝てないイメージでしたが、結びの一番、覚えています。私の長い相撲人生でうれしい一番は、あの一番です。
埼玉栄高校の山田監督に「足首が柔らかい」と勧誘された
Q 関取は何歳から相撲を始めたのですか。
小学校2年生からです。それまでは体操とか水泳、柔道、いろいろやっていました。中学校では陸上部で砲丸投げと円盤投げをやっていました。その中でいちばん続いていたのが相撲でした。
2009年 夏場所 幕下15枚目格付け出しでデビュー
Q プロに入ろうと思ったのはいつですか。
大学4年生のときに国体で個人優勝して幕下15枚目格付出しの資格をとったときです。中学校のときは、都道府県中学生相撲選手権は1回戦負けで、全中=全国中学校相撲選手権大会は予選落ちです。負けた相撲ばっかりです。どの相撲を見たのか分かりませんが、埼玉栄高校の山田監督が声をかけてくれたのです。日本一だった相撲部の監督が声をかけてくれた。そこから私の相撲人生が始まりました。
埼玉栄高校 山田道紀監督
Q よく山田監督が声をかけてくれましたね。
私のどの相撲を見たのかは分からないのですが、監督の勧誘の決め手は「足首が柔らかいこと」と言われました。監督は私を見て「足首が柔らかい子だな」と思ったそうです。そのころからスピード感があったのか、重心が低い相撲を取れていたのかと思いました。母親と新幹線に乗って出かけて、埼玉栄高の稽古を見てちゃんこを食べ、泊まっていきなさいと言われました。泊まりませんでしたが、ひかれるところがあって、夜帰る途中の大宮から山田監督に電話して「埼玉栄で頑張ります」と伝えました。
妻は高校1年生のとき席が隣 相撲以外は子どもと一緒に遊ぶ
Q 奥様は埼玉栄の同級生だそうですね。埼玉栄に行かなかったら奥様との出会いもなかったのですね。
そうですね。高校1年生のときに席が隣だったのです。卒業してから大学のときに連絡を取り合いました。
Q 相撲以外でリラックスすることは何かありますか。
相撲以外は子どもですね。コロナ禍で巡業もなくなって、家で一緒にいて遊ぶ時間も増えました。
2021年10月 合同稽古で髙安と相撲を取る妙義龍(右)
Q 気持ちもリフレッシュして、九州場所は幕内上位に番付も戻りますね。
やることをやって万全の状態で迎えるのがプロと思っていますので、日々淡々とやるだけです。
Q 心の中では三役に戻りたいという気持ちもありますか。
ありますね。幕内上位に戻り、三役復帰の欲を出してやりたいです。
Q チャンスが巡ってきたら是非、優勝してください。
それは時の運です。そのときに頑張ります(笑)。
相撲専門雑誌「NHK G-Media 大相撲中継」から