ストーリー水泳

競泳 萩野公介の涙 悩み、苦しみ、たどり着いたオリンピック決勝

2021-07-29 午後 11:45

東京オリンピック、競泳男子200m個人メドレーで決勝進出を決めた萩野公介は、泣いていた。その涙の意味は?

前回のリオデジャネイロ大会で頂点に立った「元王者」がこの5年で味わった栄光と挫折。復活を支えてくれた人たち。これまで彼が語ったインタビューと共に、萩野公介の心の内に迫る。

「神様がくれた贈り物」

 

7月29日、競泳男子200m個人メドレー準決勝第1組。第3レーンの萩野公介は、前半から飛ばす選手たちを横目に最初のバタフライを終えて7位でターン。しかし得意の背泳ぎで一気に3位に上がると、平泳ぎ、自由形でも順位をキープし全体6位の1分57秒47でレースをまとめた。レース後のフラッシュインタビュー。決勝進出を決めた心境を問われた萩野は、人目もはばからず涙をぬぐいながら答えた。

 

「(決勝は)神様がくれた贈り物としか思えないです。たくさんの方の応援があってここまでこれたので、自分らしい泳ぎで恩返しできればいいなと思って、一心に泳いだらこんなにすごい贈り物を神様がくれて、本当に幸せです」

「もうあと1本泳げる、また平井先生の前で泳げる、これ以上の幸せはないです」

 

 

負けたわけではない。ましてや優勝したわけでもない。翌日の決勝に進んだことに号泣する元王者の姿は、世の中に驚きを与えたかもしれない。しかし萩野公介がこの5年間で味わった挫折と復活、それを支えた人たちの思いを考えれば必然の「嬉し涙」だったのかもしれない。

「水泳がつらいです」

2016年のリオデジャネイロオリンピック、競泳で最も過酷と言われる400m個人メドレーで金メダルを獲得した萩野は、世界の頂点に立った。次なる目標は、「東京での連覇」。周囲もそれを期待していたし、自分自身もそこを目指すのは当然だと思っていた。

 

 

しかし、リオを終えて間もなくその道は暗転する。オリンピック後の9月に古傷の右ひじを手術。それをきっかけに本来の泳ぎが崩れ、記録は低迷していった。理想とは程遠い現実に、自分でも何が起こったのかわからなかった。

「自分が自分じゃないような、だんだん心と体が離れていくようでした。たぶん本質を忘れてしまったんでしょうね。水泳という本質を。あんなに好きだった水泳が、もしかしたら好きじゃないのかもしれない。こういう考えに思い当たる自分が、すごく辛かった」(2019年)

 

 

プールの中で、何とかしなければ。懸命にもがき続けたが限界はやってきた。2019年2月の大会、萩野は400m個人メドレーで自己ベストを17秒も下回る「4分23秒66」というタイムを出してしまう。そして彼は「嘘でも言いたくない」と思っていた言葉を口にした。

 

「水泳がつらいです」

 

萩野は18歳から師事してきた平井伯昌コーチに、涙ながらに電話でそう伝えた。

電話を受けた平井は、萩野の思いを尊重。そしてこう伝えたという。

 

「大学1年からお前を見てきたが、初めて本心を言ったな。長かったぞ」
「お前はもう社会人だ。自分の人生は自分で選ばなければいけない。でも、水泳を続けなきゃいけないという気持ちがお前を苦しめているのであれば、それは違うぞ」

 

大学時代から萩野を指導してきた平井伯昌コーチ(左)

「平井先生は、僕が休ませてくださいと言うのをずっと待ってくださっていたんだと思います。先生の中ではそのことがわかっていて。口に出すのはものすごく勇気がいることでしたけど、あの時平井先生に伝えられてよかった」(2019年)

 

「師匠」の言葉に背中を押され、2019年3月、萩野は無期限の休養を発表した。

「人っていいなぁ」

日本では「東京オリンピックまで1年」という言葉が飛び交っていた2019年夏。萩野はひとりヨーロッパへ旅に出ていた。誰も自分をメダリストだと知らない環境に身を置き、自分を見つめ直したかった。

 

思えば2016年までの萩野公介のスイマー人生は、まさに順風満帆といってもいいものだった。幼い頃から各年代の新記録を連発。日本を代表するスイマーになって以降も、日本選手権では前人未到の5冠を達成するなど、向かうところ敵なし。リオ大会前年のインタビューで、萩野は自らを次のように評している。

 

「基本的に自分は他人に、人に興味がないんです。いかに自分の納得のいくレースをして、自分が満足のいくタイムを出すか、ということが一番重要。その通過点でいろいろ人に気を配ったりするのは、全く必要がないことだと思います」(2015年)

 

自分は孤高の存在。己の道を突き進んできた。それが今ではプールから離れ、水泳をやめるという選択肢も真剣に考えている。

この旅の途中、萩野が続けていた事がある。自分の嫌いなところを紙に書き出す作業だ。

素直になれないところ。強がってしまうところ。

そして、1枚1枚その紙を捨てていったという。

「自分は、自分の嫌な部分を見る事がすごく嫌で苦手な人間。自分の事を素直に話すのが苦手だし、分かってくれるような人にしか話さない。だけどそれが、ものすごく自分自身を苦しめていた」(2021年)

 

「一番欲しかったのは時間だったんだと思います。普通に生活していたら考えない事を考える。それに面と向かって向き合って、自分の中で答えを出す。海外で普段と違ったものを見たり、旅先で人のあたたかさに触れたり。そういったことを感じることが、当時のすさんだ心にはすごい良薬で。“やっぱり、人っていいなぁ”と思ったんです」(2019年)

いつもそばには師匠がいた

 

「自分は、ここで水泳をやめてしまっていいのか」。真剣に自分に問いかけ、行きついた答えは「ここで終わりにしたくない」だった。プールを離れてから約半年後、萩野は実戦に復帰した。

「いやあ、ただ泳ぐだけでも本当にしんどい。もちろん全力じゃないですけど、練習で200m個人メドレー泳いでみたら、3分45秒くらいかかったんですよ(自己ベストは1分55秒07)。1本泳ぎ切るのが本当につらすぎて(笑)」(2019年)

 

2020年春に予定されていたオリンピックの代表選考会に向けて、時には1か月で24レースに出場。異例のペースで心と体を徹底的に追い込んだ。オリンピックの延期が決まり1年の猶予が生まれた後も、妥協することなく黙々と自らを鍛え続ける。

 

 

それでも、なかなかタイムは上がってこなかった。何が正解かわからず、泳ぎが安定しない原因を探し続ける。この妥協なき姿勢こそ、かつて萩野をトップスイマーたらしめたのだ。一方で、あまりのストイックさに周囲は不安を覚えるほどだった。

コーチの平井は、そんな弟子の姿をそばで見守り続けていた。

 

「自分の中の良さよりも、自分の欠点みたいなものを自分で探そうとしている。肩甲骨が…とか、左の腹筋が…とか。そんなことばかり言ってないで、大切なのは力まないで水に力を入れることだから。理屈じゃなくて、のびのびやった方がいいよ」

 

何が正解か、わからない。それでも萩野には、ふがいない自分を温かく迎えてくれるチームメートがいた。迷惑をかけ続ける自分を、見捨てないでいてくれるコーチがいた。

 

 

休養から復帰して1年半余り。今年4月の代表選考会で萩野は、オリンピックを狙う種目を200m個人メドレーに絞り、瀬戸大也に続く2位で代表に内定を決めた。「自分の人生を背負って泳いだ」というレースを終え、来たるオリンピックへの思いをこう語っていた。

「今の自分は一人じゃないです。その人たちのために、いい泳ぎをしたいな。もう本当にそれだけです」(2021年)

「幸せな大会です」

今回のオリンピック準決勝で萩野が記録した「1分57秒47」は、自身が持つ日本記録よりも2秒以上遅い。今の自分のタイムに納得はしていないのだろう。涙と感情があふれたレース後のインタビューでも「今の僕のタイムで3本(予選・準決勝・決勝)泳げるのは奇跡」と語った。その奇跡のレースに対しては「もう1本自分の泳ぎをするだけ。明日は明日の風が吹く」と気負いは感じられない。

 

 

ミックスゾーンでのインタビューの最後、「萩野さんにとって、今回のオリンピックはどんな大会ですか」と問われ、こう答えた。

 

「本当に…、まだ終わっていませんけど、明日1本ありますけど、たくさんのことに気づけた、幸せな大会です」

 

紆余曲折を経てたどり着いた舞台。萩野公介が幸せを感じながら泳ぐ決勝レースは、7月30日午前11時16分スタート予定だ。

 

NHK2020特設サイト 競泳動画はこちら

 

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