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特集 私が見てきた「羽生結弦」~担当記者が見た連覇への道のり~

フィギュアスケート 2018年2月18日(日) 午後0:00

ピョンチャンオリンピック、フィギュアスケートの男子シングルで羽生結弦選手が右足首のじん帯損傷という大けがを乗り越えて、この種目、66年ぶりの連覇を達成しました。


羽生選手を追い続けてきた担当記者のみが知る、絶対王者の真の姿に迫ります。

1枚の紙に記された決意

 

羽生選手は、去年9月、今シーズンの初戦に臨んだカナダのモントリオールで、ピョンチャンオリンピックで目指す演技構成を教えてくれました。羽生選手がボールペンでスラスラと書いた1枚の紙にあったのは、ジャンプを示す「4Lz」や「4Lo」などの文字。ショートプログラムとフリーの演技構成でした。

 

ジャンプの構成を見てみると、ショートプログラムは、演技前半に「4回転ループ」。演技後半には得意の「トリプルアクセル」。そして「4回転トーループ」からの連続ジャンプ。注目は、演技後半に初めて4回転ジャンプを入れたことでした。

さらにフリーは、前半の「4回転ルッツ」に始まり、「4回転ループ」、後半は「4回転サルコー」「4回転トーループ」。さらに「4回転トーループ」からの連続ジャンプが続いていました。

 

 

締めくくりは、羽生選手が得意とする「トリプルアクセル」からの連続ジャンプを2回。羽生選手にとって、新しい4回転となるルッツを含めた合わせて5回の4回転ジャンプに挑むプログラム。私は、思わず「夢のような演技が見られますね」と聞きました。

これに対して、羽生選手は「(このプログラムを)します。強気な発言はするなって言われているがします。します」と自らにいい聞かせるように何回も口にしていたことを鮮明に覚えています。

正直、私は、この演技をミスなくできたら、とんでもない得点が出て、オリンピックはぶっちぎりで勝つだろうと王者の連覇を1ミリも疑いませんでした。

出会いから衝撃を受けた

フィギュアスケートを担当し、最初に羽生選手の試合を見たのは、2015年11月、長野市で開かれたNHK杯でした。羽生選手が史上初めてショートプログラムとフリーの合計で300点を越えたあの大会です。

音楽に乗り切って、気持ちよく演技している光景と目の前で見た高くアーチを描くような美しいトリプルアクセルに見とれました。

 

 

試合後のインタビューで、今も心に残っている言葉があります。

「どれだけ自分が自分という壁を越え続けられるのか。300点越えがまぐれだったと、逃げ道をつくるんじゃなくて、素手で壁を乗りこえられるようにさらに努力することが必要。僕は点数のためにスケートをやっているわけではない。やっぱり自分がいい演技したいから練習をやっている」と話し、快挙の直後でも、自分自身を冷静に見つめていました。

「壁を越える」ではなく「壁を越え続ける」という言葉。トップになるだけでも、とんでもなく難しいのにそれを続けるとはっきり言いました。

当時20歳の言葉とは思えませんでした。私は、とんでもない選手を取材して行くことになるんだとその責任の重さに身震いしたのを覚えています。

それ以降、ピョンチャンオリンピックまでに羽生選手は、ショートプログラムとフリーでそれぞれ2回、合計でも1回、世界最高得点を更新しています。

羽生選手の魅力は、もちろん、その強さです。ただ、もう1つアスリートとして、決定的に人を惹きつける要素があると思っています。それは現状に満足せずに常に難しいことに挑戦した上で強いということです。

ケガをしたあの日も

オリンピックが3か月後に迫った去年11月のNHK杯の公式練習で、羽生選手は右足首を痛めました。私は、病院で見た姿や発言も忘れられません。試合開始まで6時間あまり、直前の公式練習はすでに始まっていました。

すべてのジャンプで着氷する右足首のじん帯を損傷していたにも関わらず、待合室でこうつぶやきました。「痛み止めを打ったら出られるかな。左足で着氷したら出られるかな」。

最後は、医師の判断で欠場を決めましたが、静かに目を閉じて、頭の中でフリーの曲「SEIMEI」をかけて、頭や手を振って振り付けをイメージしていました。

最後の最後までリンクに上がれないか考え、試合に出ることを諦めていませんでした。トップアスリートとしての執念を見ました。

そして、試合に出場できない悔しさがにじみ出ていました。あるとき、羽生選手の強みを客観的にどうみているか聞いたことがあります。

羽生選手は「ジャンプは1番の自分の特徴。小さい頃から積み上げてきたものなので誰にも負けないという自信がある。あとは、勝ちに対するこだわりも強くあるし、なによりも自分が成長したいという気持ちがすごくある。そこが羽生結弦としての強みだと思う」と話していたのを思い出しました。

ケガをして、試合に出ることすらできず、「持ち味のジャンプを見せられない」「成長した自分を見せられない」。じくじたる思いがにじみ出ていました。その悔しさは、見事にオリンピックで最高の結果で晴らすことになりました。

 

フリーのジャンプをもう一度

直前に届いたメッセージ

ケガから懸命なリハビリを続け、オリンピックに向けて、ぎりぎりの調整をしていた1月、羽生選手に、今の心境について、コメントを頂けないかお願いをしました。

すると、直筆のメッセージが届きました。

 

 

そこにあったのは「日々過ごしている中で、着々と近づいてくるオリンピックを前に焦る気持ちもあります。ワクワクもしています。これまで私が経験することができた全てを生かし、そして、自分の身体とスケートを信じ、夢の舞台で最高の演技をするために頑張ります」という言葉。

オリンピックに向けて、1分1秒でも時間が欲しく、練習に集中したい中でも丁寧な字で気持ちのこもったメッセージを見たとき羽生選手の本当の人柄を見た気がしました。感謝しても仕切れないぐらいでした。

やはり金メダルが似合う

迎えたピョンチャンオリンピックは、羽生選手の韓国到着から試合までつぶさに見てきました。

羽生選手は、練習でも試合でも、リンクに上がる時は、氷を触って一礼します。リンクを離れる時も必ず行います。

オリンピックでも全く同じルーティンでした。演技は、ケガの影響を踏まえて、ジャンプの種類を冷静に選択し、完成度の高い見事な内容でした。

「オリンピックの舞台で滑ることが出来て幸せだった」と久しぶりの試合で滑る喜びを全身で感じているように見えました。

 

 

競技が終わった羽生選手は、ケガをした右足首にそっと手を添えました。「無理をさせ過ぎていると思う。頑張ってくれました。本当にありがとう」と話して優しく体をいたわっていました。

表彰式のあと、首にかかった金メダルを大事そうに右手で握りしめる笑顔の羽生選手がいました。

ソチ大会からの4年間、苦しいこと、悔しいこと、悩んだことは数知れなくあったと思います。「絶対王者」として、トップであり続けることの難しさを知る羽生選手の首にかかる金メダルは、その重さを物語っていました。

やっぱり金メダルが1番似合う選手。私は、そう確信しています。

松井晋太郎

平成17年入局。スポーツニュース部でフィギュアスケート担当

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