特集 カーリング女子 快挙を支えたのは

ピョンチャンオリンピックで銅メダルを獲得したカーリング女子の日本代表。チームを創設した本橋麻里選手が8年という歳月をかけて築き上げた抜群のチームワークは、そのメダルの色以上の輝きを放っていました。
ピョンチャン五輪 現地取材班
カーリング担当 田谷亮平記者
どんなに苦しくても笑顔を絶やさず、競技会場に響き渡るほどの大きな声で綿密にコミュニケーションをとりあうチーム、それが女子の日本代表、LS北見です。本橋選手が「ふるさとの北海道北見市からオリンピックを目指したい」と8年前に立ち上げました。
目指したのは「いつでも楽しく カーリングをするチーム」でした。
掲げた目標どおり、ピョンチャンオリンピックでも選手たちは、磨き上げてきたコミュニケーションでお互いに声を掛け楽しそうに作戦を確認しあう姿がありました。「そだねー」「そだねー」となまら道産子らしい言葉をかけあう選手たちの姿は日本だけでなく韓国のメディアにも大きくとりあげられました。
予選リーグ、日本は快調な滑り出しを見せました。氷の状況を的確に把握して全員で共有。正確なショットを次々と決め、初戦のアメリカ戦は10対5で快勝します。その後もデンマーク、最終的に銀メダルを獲得する韓国を破って3連勝としました。第4戦で中国に敗れたものの5試合を終えた時点で4勝1敗としました。
しかし、かつてない注目を浴びる中、短い期間で9試合を行う過密スケジュールで疲れが見え始めます。持ち味のコミュニケーションは影を潜め、敗戦が重なった予選リーグの後半は、笑顔も消えかけていました。予選リーグは最終的に5勝4敗、ぎりぎり4位に踏みとどまって準決勝進出を決めたもののチームが下降線をたどっていることは選手たちも敏感に気づいていました。試合後のインタビューでチームで一番明るい性格とはじける笑顔が持ち味のサードの吉田知那美選手は大粒の涙を流し、苦しんでいました。
沈みかけたチームをよみがえらせる大きな力となったのが8年という歳月をかけてチームを築き、メンバーのことを最もよく知る本橋選手でした。この大会、リザーブの役目に徹しようとした本橋選手。それを象徴したのが試合が終わったあと、深夜11時すぎに競技会場で行う練習です。
コーチとともにストーンをひたすら投げ続けていました。気温や湿度などによって変わる氷の状況のデータを取り、チームの選手と共有しようとしていたのです。オリンピックに2回出場した経験から長期戦ではこつこつと情報を蓄積していくことが重要だとわかっていたのです。
その効果は初の決勝進出をかけた韓国との準決勝に現れました。第1エンドでいきなり3点をとられる厳しい展開にも選手たちは下を向くことはありませんでした。「もう一度原点にかえろう」と氷の状況を的確に読みコントロールを重視したショットを繰り出し、全員でつなぎました。それでも2つのエンドを残して3点を追う展開。追いつくのはかなり難しい状況でしたが、延長戦まで持ち込む粘りを見せ、自信を取り戻しました。
スキップの藤澤五月選手は「久しぶりに自分たちらしいいいショット、いいゲームができた。前向きに次の試合に臨める」と話していました。本橋選手も「これだけ強いカーリングができる。この悔しさがまた私たちを強くする」と手応えを口にしていました。
そして、快挙を成し遂げたイギリスとの3位決定戦、選手たちは序盤から積極的に声をかけあい、強豪相手に精度の高いショットを連発します。試合直後、リザーブ席から下りてきた本橋選手を中心に日本勢初のメダルという快挙を涙を流して、抱き合い喜びを分かち合いました。
そして、翌日の表彰式。笑顔で上がった表彰台で念願の銅メダルを首にかけてもらい、その重みを実感すると、再び感極まって両手で顔を覆い、涙を流しました。本橋選手が何度も嬉しそうに手にしたメダルを確かめる姿が印象的でした。日本のカーリングの歴史に新たな1ページを開いた女子代表、LS北見、その中心にいた本橋選手。「いつでも楽しくカーリングをするチームをつくりたい」という思いからスタートさせた取り組みが実を結んだ瞬間でした。

田谷亮平記者
ピョンチャン五輪 現地取材班
カーリング担当
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