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写真で振り返る1964東京オリンピック 半世紀で日本はこんなに変わった!?

2021-07-16 午後 03:30

まもなく東京で開催される2度目のオリンピック・パラリンピック。前回は1964年、終戦から19年が経った経済成長のなかで開催されました。当時の大会、そして東京の雰囲気を写真で振り返ってみましょう。

交通機関が様変わり

オリンピックが開催されるわずか9日前、1964年10月1日に東海道新幹線が開通。それまでは、在来線の特急で6時間以上かかっていた東京と大阪の間を4時間で結びました。“夢の超特急”と呼ばれ、経済成長の1つの象徴となりました。

 

1964年12月(上)と2017年6月(下)の有楽町。当時は世界最速となる時速210キロを誇った

 

首都高速道路も整備が進められました。オリンピック関連施設と羽田空港を結ぶ道路が優先的に整備され、京橋~芝浦間(4.5㎞)が日本で初の都市高速道路として開通。オリンピック開催時には1日平均7万5千台の車両が首都高速道路を利用したといいます。

 

1964年6月東京・赤坂の首都高建設現場

 

一方、人々の交通手段として親しまれていた路面電車・東京都電車(通称“都電”)は、1964年当時銀座にも走っていました。自動車の普及・地下鉄の発達によって、その後ほとんどの路線が姿を消し、現在は荒川線のみとなっています。

 

1964年9月(上)と2017年6月(下)の銀座・数寄屋橋交差点。1964年には路面電車が走り、カラーテレビの広告が見える。大卒初任給が約2万円の時代に、カラーテレビの価格は当時約20万円。

施設も新しく

1964年4月当時、まだ建設中の日本武道館

 

1964年の東京大会で初めてオリンピック競技となった“柔道”。その会場となったのが、1964年9月に完成した日本武道館です。1963年10月の着工からわずか12か月で完成となりました。

 

 

オリンピック・パラリンピックと深く関わる施設といえば、国立競技場です。大正時代、日本初の本格的陸上競技場として明治神宮外苑競技場が建てられました。その後、1958年に東京オリンピックの招致を目的として建て替えられたのが「旧」国立競技場です。そして現在の「新」国立競技場は2020東京オリンピックのメインスタジアムとして2019年に完成しました。

明治神宮外苑競技場(上・1933年撮影)、旧国立競技場(中)、新国立競技場(下)

大会ユニフォームは変わった?

左から平服ブレザー、公式ブレザー、トレーニングシャツとパンツ

 

1964年東京オリンピックの公式ユニフォームです。

 

 


報道陣へのお披露目の様子ですが、よく見るとモデルさんが乗っているのはテーブルです…。

 

 


2020東京オリンピック・パラリンピックの日本代表選手団公式ユニフォーム(開会式用)

 

一方こちらは2020東京オリンピックの開会式用の公式服。1964年東京大会と比べると、赤と白の基調は同じですが、逆の配色になっています。素材は、優れたストレッチ性と通気性を併せ持ったものが使われています。

 

同上(式典用)

聖火はどう運ばれた?

1964年9月7日、当時は米軍統治下だった那覇市を、最初の聖火ランナーとして宮城勇さんが走った

 

1964年東京大会の聖火は、第二次世界大戦で激戦地となった沖縄から全国に向けて出発しました。

 

開会式で聖火台に点火する坂井義則さん

 

のべ10万人以上によってつなげられた聖火。開会式では、広島に原爆が投下された8月6日に生まれた青年、坂井義則さんによって聖火台に灯されました。

日本は金メダル16、銀メダル5、銅メダル8

観客の拍手に整列して応える日本女子バレーボールチーム

 

1964年の東京オリンピックは、10月10日に開幕。日本は大会期間中に16個の金メダルを獲得しました。その中でも特に注目されたのが女子バレーボール。10月23日におこなわれた決勝はテレビで中継され、驚異的な視聴率を記録しました。

 

1964年の東京大会で日本の体操男子チームは金5個、銀4個を獲得した


日本のお家芸ともいわれる男子体操。1964年の東京大会では、5個の金メダルを獲得しました。銀メダルも4個。日本が大会全体で獲得した銀メダルは5個だったので、そのほとんどが体操だったということになります。

今では当たり前の閉会式も、1964年東京大会がきっかけ

オリンピックの閉会式では国や地域を超えて、選手たちが笑顔で入場する風景がおなじみです。

 

リオオリンピックの閉会式で入場する日本の選手たち(2016年)

 

この自由な入場方式は、1964年東京大会でのある出来事がきっかけで始まったと言われています。
それまでの閉会式は、聖火の消灯式、次の開催地への五輪旗の引継ぎなどが粛々と行われていました。また、選手は各国の旗手のみの参加でした。
しかし、1964年東京大会では選手の参加を自由にしたことによって、想像を上回る4,000人以上が参加したのです。

 


各国旗手の最後尾にいた日本旗手は、後に続いていた4,000人以上の海外選手団に飲み込まれ、日の丸の旗とともに肩車で担ぎ上げられました。
この出来事がきっかけで、自由な入場が閉会式のスタンダードとなり、今に繋がっています。

 

 

街の様子、大会の雰囲気が今とはかなり違う1964年の東京オリンピック・パラリンピック。
あれから57年ぶりに開催されるこの夏の大会では、どのような風景が見られるのでしょうか。

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