ストーリー野球

早慶or慶早? 伝統ある2大学の熱すぎる戦い

2018-10-25 午前 0:00

「早慶戦」。

 

それは早稲田大学と慶応義塾大学、2つの大学の因縁の対決。

 

早慶戦には我々が思うよりはるかに奥深い歴史と、興味深い秘密がありました!
あの熱狂を、2つの大学の関係者やマニアだけに楽しませておくのはもったいない!

始まりは115年前 「夏の甲子園」より長い歴史!

第1回早慶戦に出場した慶應の選手たち

 

“早慶戦”…。その始まりは、明治36年(1903年)、早稲田大学野球部が慶応義塾大学野球部に挑戦状を送ったことでした。挑戦状を受け入れた慶応義塾大学との対戦は、1903年の11月21日に行われ、結果は11対9で慶応の勝利。

 

これが、現代まで続く初めての”早慶戦”です。

 

一通の挑戦状が”115年の歴史を築くことになるとは、当時の野球部主将も思っていなかったことでしょう。

 

今年、100回大会を迎えた高校野球「夏の甲子園」(1915年開始)を上回る歴史を早慶戦は誇っているのです。

応援が過熱しすぎて19年間中止!?

早慶戦を観戦するファンたち(1930年)

 

第1回戦が行われた1903年から、毎年早慶戦は開催され盛り上がりを見せました。スタンドは常に満席になるほど人気を博し、両校の対抗意識もバチバチに。しかしそんな矢先、慶応義塾長が、対戦の中止を決定したのです…!
 
それは1906年秋のこと。
両校の応援が過熱し、興奮した学生たちの殺気立った空気を危惧し、応援団の衝突を避けるための判断でした。その後、東京六大学野球連盟が発足する1925年まで、じつに19年もの間、野球の”早慶戦”に空白の期間が生じたのです。

早慶戦に憧れたであろう当時の球児たちを思うと胸がいたたまれません!中止にまで追い込んだ応援の”殺気立った空気”って、いったいどんな空気なんだ!

たった1つのリンゴで野球観戦の常識が変わった!?

早稲田大学の応援風景(1963年)

 

野球観戦をするときの応援席といえば、先攻が3塁側、後攻が1塁側というのが一般的。ですが、早慶戦では、どちらが先攻であっても早稲田が1塁側、慶応が3塁側と固定されています!

 

そのきっかけは、応援席から投げ入れられたリンゴでした。

 

1933年、当時主力選手として活躍していた慶応の水原茂選手(のちの読売巨人軍監督)は、緊迫した9回の表に3塁の守備につきました。すると、早稲田側の応援席からヤジとともに食べかけのリンゴが投げ入れられたのです!

 

リンゴ事件(1933年)

 

水原選手がそれを拾い、再びスタンドへ投げ返すと早稲田の応援団は騒然…。
しかも9回裏で早稲田が逆転サヨナラ負けすると、大混乱に!

 

のちにリンゴ事件と名付けられたこの一件により、1塁側を早稲田、3塁側を慶応と固定されることになったといわれています。

 

選手もファンも熱い!熱すぎる!!
リンゴ事件を知ったそこのあなた、早慶戦の応援席に駆け付ける際は、周りの方にこのエピソードをぜひ披露して見てください。

それと、くれぐれも物をグランドに投げ入れないでくださいね!

早慶?いやいや慶早でしょう!

 

当たり前のように、「早慶戦」と呼んでいる方が多いかもしれませんが、じつはこの呼び名、両校が公式に命名したというわけではなさそうです。

 

というのも、慶応義塾大学の公式サイトには、「慶早戦」と書かれているのです!
もちろん支援団体の名称も慶早戦支援委員会ですし、選手や応援団のインタビューを見ても、慶応側では「慶早戦」と呼んでいるようです!

 

ネーミングにおいても水面下で争っていたんですね…!
でも、ここまで「早慶戦」で通してきた手前、この記事ではそのままいかせていただきます!
慶応義塾関係者のみなさん、スミマセン!!

えっ、文系も早慶戦?

 

そもそも、早慶戦は野球だけではありません!

 

一通の挑戦状から野球で始まり、その2年後にはボートでも行われるようになりました。現在ではさらに、テニスやラグビー、バスケなどさまざまな部活で早慶戦が繰り広げられています。その数じつに39部!

 

さらに、スポーツではない意外なところでも熱い戦いが行われています!

 

2014年 都内で開かれた「アルゼンチン・タンゴ早慶戦」

 

例えば、2013年から開催しているアルゼンチン・タンゴ早慶戦。いまや現役学生唯一となる早稲田のタンゴ演奏楽団と、慶応のOBタンゴバンドが、世代も母校も超えて合同で演奏会を開いています!

 

…もはや早慶"戦”ではない!?、両校の良好な関係が垣間見えますね!

 

さらには、美酒早慶戦なるものも!
両校OBの蔵元のお酒を飲み比べ、参加者全員で投票形式によって勝敗を決めるのだとか。おいしいお酒で早慶戦とはなんとも斬新!
早稲田蔵「獺祭」、慶応蔵「刈穂」など、50以上の蔵のお酒が飲み比べられるそうです。

 

他にも両校の写真部・カメラクラブによる撮り鉄早慶戦まで…。
卒業して何年経っても、出身校に誇りを持っているのが伝わりますね!

教科書に載った!?早慶戦

早慶対抗レガッタ(1979年)

 

この熱すぎる戦い、いつかは教科書に載ってしまうのではないかと思っていましたが…もうすでに載っていました!

 

1961年から9年間、小学6年生の国語の教科書に「あらしのボートレース」として掲載された戦いをご紹介しましょう。

 

それはボートの早慶戦、通称”早慶レガッタ”伝説のエピソード。1957年5月、会場となる墨田川はその日、強風と波で大荒れでした。

 

慶応側は「ボートレースはみんなが力をあわせてこぎ抜く競技。高波で船に水が入って沈んでしまう前にゴールをしよう!」と水が入ってきてもかきださず、全員で最後までこぎきる方針で競技に挑みます。

 

対する早稲田側は「ボートマンならボートを沈めてはならない!」として、一部の選手はこがずに水をかき出す作戦に決めました。

 

結果、全員でこぐ作戦の慶応がリードしたものの、ゴールに着く前に沈没してしまい、早稲田の勝利。

 

達成感のない勝利に早稲田は試合のやり直しを申し出ましたが、慶応側は負けを認め、早稲田の勝利を讃えたのでした。

早慶戦は授業より大事!?

盛り上がる慶應側の応援席

 

早稲田と慶應義塾の学生がここまで早慶戦に熱くなるのも、仕方がないんです。
なぜなら、早慶戦はいわば必修科目も同然だから!?

 

慶応義塾大学では、早慶戦が行われる場合は授業がなんとお休みになることがあるそう!しかも、一部の学部では、早慶戦の応援に行き、感想を提出することで体育の成績に加味されることも!

 

一方、早稲田大学では「早慶戦に参加して初めて早大生の一員になる」とも言われています。

 

選手以上に熱いとされる早慶戦の応援では、慶応は早稲田に勝った時だけ、普段の応援歌「若き血」とは異なる「丘の上」が歌われます。…って早慶戦、偉大すぎ!!

 

 

早稲田大学と慶応義塾大学の熱すぎるライバル関係。もう誰もこの両校の間には入れないでしょう!

 

しかし観戦や応援は誰でもできます!ぜひあなたもこの熱狂の一員になってみませんか?

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