特集 横綱 稀勢の里 引退会見

大相撲の横綱・稀勢の里の現役引退の記者会見を行いました。稀勢の里は会見の冒頭で「私、稀勢の里は今場所を持ちまして引退し、年寄・荒磯として後進の指導に当たりたいと思います。現役中は大変お世話になりました」と述べました。
「一片の悔いもない」
──現役引退を決断した今の心境について。
稀勢の里
横綱として皆様の期待に添えられないということは非常に悔いは残りますが、わたしの土俵人生に一片の悔いもございません。
──どんな相撲人生だったか。
稀勢の里
本当にいろいろな人に支えられ、1人ではここまで来られなかったと思いますし、感謝の気持ちでいっぱい。
──いちばん心に残っていることは?
稀勢の里
ありすぎてなかなか思い出せないが、やはり稽古場が僕を強くしてくれた。
今場所は「自信を持って臨んだ」
稀勢の里は今場所について、涙を拭い言葉につまりながら話しました。
稀勢の里
覚悟を持って、場所前から過ごして、稽古してきた。自分の中で『これでダメなら』という気持ちがあるくらい、いい稽古をした。その結果、初日から3連敗という形で自分の中で、一片の悔いもない。
けがをして以来、自分の中ではいちばんいい動きができていたので自信を持って臨んだ。一生懸命、やってきた。
──ケガを抱えながらどんな思いで横綱をつとめてきたのか。
稀勢の里
このまま潔く引退するか、いつも稽古場で自問自答していた。応援してくれる方のために相撲は続けようと判断してやってきたが、このような結果になって申し訳ない。
「先代親方に感謝の気持ち伝えたい」
鳴戸親方と稀勢の里
──入門時の師匠で、平成23年に亡くなった先代の鳴戸親方について。
稀勢の里
先代は、稽古場というものを大事にしていた。稽古場の大事さを次の世代の力士たちに教えていきたい。先代には感謝の気持ちを伝えたい。
──先代の鳴戸親方が『大関と横綱とで見える景色が違う』と話していたことについて。
稀勢の里
大関と横綱は本当にまったく違うものだった。だが、まだまだ先代が言っていた景色は見えなかった。
そして、横綱という地位はどういうものかと問われ、「自分自身を変えてくれた」と涙を流しながら答えました。
土俵人生でいちばんの取り組みは
初場所千秋楽 白鵬を破った稀勢の里 (おととし1月)
──これまでの土俵人生でいちばんの取り組みについて。
稀勢の里
2017年に横綱昇進を決めたあとの千秋楽での横綱 白鵬関との一番。
2011年に大関に昇進したときには千秋楽で琴奨菊関に負けたので、その悔しい思いを持って、次に昇進するときには絶対に負けないという気持ちで取った一番だった。
また、土俵人生で貫いてきた信念について問われ、「『絶対逃げない』、その気持ちです」と話しました。
朝青龍
──外国出身力士に対する思いは。
稀勢の里
自分を成長させてもらったのも横綱 朝青龍関をはじめ、モンゴルの横綱のおかげと思っているところもあるし、あの人の稽古を巡業中に見て、背中を見て少しでも強くなりたいという気持ちで稽古をした。
上がれなかったときも日馬富士関に声をかけてもらったり、非常にいいアドバイスをいただいて本当に感謝の気持ちでいっぱい。
──日本出身横綱として期待を背負ったことが重圧だったか。
稀勢の里
いい環境だった。あの声援の中で相撲を取れることは本当に力士として幸せなことで、本当にいい思い出。
今後は「荒磯親方」として後進の指導へ
稀勢の里は、師匠の田子ノ浦親方を通じて16日午後、日本相撲協会に引退を届け出て、稀勢の里の引退と年寄「荒磯」の襲名が承認されました。
現役を引退した稀勢の里は、今後、荒磯親方として後身の指導にあたることになります。
稀勢の里
一生懸命相撲を取る力士、けがに強い力士、そういう力士を育てていきたい。
田子ノ浦親方「本当によく頑張った」
田子ノ浦親方
自分から引退を言うつもりはないと決めていました。稀勢の里が入ってからずっと一緒にやってきて、いちばん近くで見ていたので。どれだけ相撲に熱意をもっていたか、けがと向き合い相撲をやってきているのを見てきました。
自分の努力で横綱まで上がってきている責任感が強い男なので、そういう男が自分から私のところに相談に来るまではできるだけ支えていければなと思っていました。
きのう本人から相談があると言われ、本人の口から『引退させてください』とありました。本当によく頑張ったなと思います。相撲界にというよりも先代が夢に描いていた幕内優勝、そして横綱という僕たちができなかったことをやり遂げてくれてすごく感謝しています。
稀勢の里は、おととし1月、30歳6か月で横綱に昇進し日本出身の横綱が誕生するのは若乃花以来、19年ぶりでしたがわずか2年で日本出身の横綱が不在になります。