羽生結弦──オリンピック2連覇を超え 平成から令和へはばたく

NHK
2024年3月1日 午前8:32 公開

平成最後にスポーツ界の大物アスリートの引退が相次いだ。一抹の寂しさがあるなかで、令和の時代にも驚きを与えてくれるにちがいないと思わせてくれる存在が、羽生結弦選手だ。フィギュアスケート界のみならず、いまやスポーツ界を代表する顔。仙台が生んだスーパースターに、期待感のこもった視線が注がれている。(※2019年5月13日スポーツウェブ掲載)

平成が終わる前日の2019年4月29日、仙台市青葉区の地下鉄東西線・国際センター駅前で、羽生結弦選手の新たなモニュメントの除幕式が行われた。2018年平昌オリンピックでオリンピック2連覇をなしとげた羽生結弦選手の偉業を記念し、「SEIMEI」の冒頭の象徴的なポーズが描かれたモニュメントだ。

隣には、2014年のソチ・オリンピック金メダル獲得の偉業を称えて、2017年4月に設置された「パリの散歩道」のモニュメントと、荒川静香さんのトリノ・オリンピック金メダルを記念したモニュメントが並んでいる。

(写真)羽生結弦選手凱旋パレード

仙台で2014年と2018年に開催され、沿道に大観衆が詰めかけた羽生結弦選手凱旋パレードの盛況と、パレードの中心でどこよりもリラックスし、自信と喜びをたたえた表情だった羽生選手を思い起こすまでもなく、生まれ育った地・仙台に新たな記録と記憶が刻まれたことを、うららかな日差しまでもが喜んでいるようだった。

羽生選手を応援するファンは日本だけではなく、世界中どこにでもいる。世界のどこに行っても熊のぬいぐるみがリンクに降り注ぐ光景はもはやおなじみだろう。人気はアイドル的だが、羽生選手はアスリート魂を備えたファイターだ。華やかなオーラとすらりとした肉体、研ぎ澄まされた身体能力、厳しい練習を続ける忍耐力、なによりも並外れた集中力と明晰な頭脳が彼の活動を支える。

2018-2019シーズンの激闘


<羽生結弦選手> 『自分のスケートの特色は、研究すること、イメージに自分の身体を合わせること。時間がある限りずっと研究をして、ずっとイメージトレーニングをしてきました』

2019年3月、世界選手権での発言だ。自分の頭のなかに繰り返し描き出したイメージ像を「ホログラム」と呼び、「そのホログラムのなかに自分の身体を突っ込んでいって、同じように跳べば、跳べる。普通の感覚ではないかもしれないんですけど」と説明する。

(写真)世界選手権 フリー

頭脳と身体が緊密に、そして自覚的に結びついていなければ、こんな発言をすることは不可能だろう。分析に分析を重ね、導き出された結論を間違いなく実施する。エントリーから着氷まで美しい孤を描く羽生選手の4回転ジャンプは、さしずめ数学の美しい証明のようなものなのかもしれない。

今シーズン、そんな羽生選手の聡明さを改めて実感させるシーンがあった。2018年11月のロステレコム杯だ。オリンピックで勝利を収めた選手が、その後のシーズンを休養に充てる例は多い。ここ一番に結果を出すことがそれほど難しいということの証左だ。しかし、羽生選手はそのなかでも特に困難な道のりをたどってオリンピック2連覇にたどり着いたにも関わらず、休むことなく競技に参戦することを表明。2018-2019シーズンに挑んだ。

(写真)オータムクラシック

9月のオータムクラシック、11月のグランプリシリーズ・GPヘルシンキで連勝。序盤の試合では順調な仕上がりを感じさせたが、グランプリ2戦目となるロステレコム杯で、羽生選手は一転して苦境に陥ってしまう。

(写真)ロステレコム杯 公式練習

度重なる負傷の結果、わずかな衝撃にも痛みが出るようになってしまったという懸念の足首を、フリーの日の朝の公式練習の最中に負傷。4回転ループの着氷失敗が原因だった。明らかに足首をかばう様子ながら、羽生選手は不思議な動きを見せた。リンクをぐるぐるとただ滑りながら、指を立てて、考え込む素振りを見せたのだ。ジャンプについて考えているときの仕草である。

羽生選手は2つの決断を迫られていた。フリーを滑るか、棄権するか。さらには、もし滑るならば、足首の状態を踏まえてどんなジャンプ構成の演技なら可能なのか。

<羽生結弦選手> 『転んだとき、もう(足首が)いっちゃったなとすぐわかったので、(その後は)確認作業をしていて。ここで何をやろうかと考えながら、組み立てていました』

負傷の直後という時点で、彼にとって棄権という選択肢はなかったということがわかる。いかにこの状況をしのぎきるか。

彼の頭脳はすぐに次の段階へと思考を進めた。

(写真)ロステレコム杯 フリー

医師の診断を経て、やはりフリーに出場することを決めた羽生選手は、渾身の演技で優勝を決める。演技のジャンプ構成は、通常の構成とはまったく一致しない順番と内容だった。凡百の選手にできることではない。ここでも、先に走り出した頭脳に、あとから身体をきっちりと合わせ込んでいくという彼のセオリーが発動していたことがわかる。

フリーを終えた羽生選手は、アクシデントをこう振り返った。

<羽生結弦選手> 『弱いというか、脆いというか、それも羽生結弦です』

いまの自分、与えられた現状を受け入れたうえで、その次の打開策を考える。逆説的な『強さ』を感じさせる言葉である。

(写真)ロステレコム杯 表彰式

表彰式に松葉づえをついて登場した羽生選手は、キャリアで初めてグランプリシリーズ2勝を挙げたことを喜んだ。彼にとって縁も思い入れも深いロシアでそれが果たされたことも喜びの理由だった。だが足首に無理をかけた結果、彼は12月のグランプリファイナル、さらに全日本選手権の欠場を余儀なくされる。

選考基準に則り、世界選手権代表には選出されたが、氷に乗ることができるようになったのは1月の半ばになってから。2ヵ月間を練習にあてたが、足首が完治するまでには至らず、世界選手権に赴くこととなった。

3月、さいたまで開催された世界選手権。羽生選手にとって、4ヵ月ぶりの試合。足首の怪我のため、空白期間を経てオリンピックにいきなり出場した昨シーズンと似たような展開だ。

(写真)世界選手権 公式練習

さいたまの会場に入った羽生選手は、前日練習で精度の高い4回転を連発し、改めてそのずば抜けた実力と調整能力を印象づけた。だが、曲かけ練習になると、4回転がうまく入らない傾向も見られた。その懸念がSPに出てしまう。冒頭の4回転サルコウで痛恨のミスがあり、SP3位スタート。

(写真)世界選手権 フリー

立て直しを図ったフリーではすべてのジャンプを着氷、面目躍如の素晴らしい演技を見せた。合計300.97点と大台を超える猛追を見せたものの、結果は米国のネイサン・チェンに次いで銀メダル。両者のハイレベルな戦いは歴史に残る激闘だった。羽生選手が獲得した銀メダルが、日本代表が今回獲得したただひとつのメダルとなった。

(写真)世界選手権 表彰式

優勝したネイサン・チェン選手の健闘を讃えた羽生選手だったが、結果を出すこと、勝利することを大切にしてきた羽生選手の言葉の端々から、悔しさもひしひしと伝わってきた。

<羽生結弦選手> 『尊敬しあえるスケーターたちと一緒に戦って、完璧な演技をしたうえで、そこで勝つことがいちばん嬉しいですし、それこそが多分自分のためになると気がついた』

『また原点に戻れたのかなと感じます。やっぱりスポーツって楽しいなって。強い相手を見たときに沸き立つような、ゾワッとする感覚。もっと味わいつつ、そのうえで勝ちたいなと思えた。そのために4回転アクセルもあるという感じです』

シーズンの最初から口にしていた4回転アクセルという前人未到の夢について、「試合で跳ばなきゃ意味がない。それに加えて、GOE(出来ばえ点)でプラスがつかないと意味がない」とシーズンの最後に話した羽生選手。目標としてだけでなく、自らの武器にすべく、さらにその輪郭がはっきりしてきたようだ。

故郷・仙台に自身2つ目のモニュメント


4月の世界国別対抗戦を右足首の加療のために欠場することになった羽生結弦選手。公式の場に姿を見せたのは、4月20日、モニュメントのデザイン発表会だった。

<羽生結弦選手> 『モニュメントという形として残るということは、これからもつながっていく、残されていくということ』

『66年ぶりの連覇をできたことに誇りを持ちたいと思いましたし、これをきっかけに「自分もモニュメントになりたい」と思ってくれる、仙台でフィギュアスケートをやっている子が1人でも増えてくれたらうれしいなと思います』

4月29日、郡和子仙台市長と一緒に除幕を行ったのは、仙台の4つのクラブでフィギュアスケートを学ぶ子どもたちだ。そのなかには、羽生結弦選手が2011-2012シーズンまで拠点としていたアイスリンク仙台でフィギュアスケートを練習する宮城フィギュアスケートクラブの後輩たちもいた。

後藤乙花さん(11歳)「羽生選手のように(モニュメントを)飾られるような立派な選手になりたい」。

浅野佑樹くん(10歳)「羽生選手のモニュメントの横に飾られるようにいっぱい練習してがんばりたいと思います」。

先人から受け継いだものを、後に続く世代へ。今シーズンの羽生選手からは、その気持ちがとくに強く感じられた。自らが築いた実績は自分だけのものではないという謙虚さは10代のころから一貫しているが、時の流れとともにさらに彼の視野のスケールが広がったということなのだろう。

果たして、このモニュメントの隣に将来、誰のモニュメントが飾られるのか。いや、それよりも、羽生選手の3つ目のモニュメントもありえるのだろうか。

次の2022年北京オリンピックの金メダルの行方に思いを馳せずにはいられないが、まずは、彼が再び氷上で華麗に滑る姿を楽しみに待ちたい。過去と未来を見通す彼の目には、いま、何が映っているのだろうか。


(この記事を書いた人)
鈴木和加子
フィギュアスケート専門誌「ワールド・フィギュアスケート」(新書館)の編集長。オリンピックや世界選手権をはじめとする競技会や国内外のアイスショーなど、フィギュアスケートのさまざまなイベントを取材している。