ストーリーサッカー

J1 FC東京 髙萩洋次郎 東日本大震災から10年 一歩踏み出す力を

2021-03-17 午後 05:10

東日本大震災から10年。震災の「当事者」でもあるJリーガーがいる。

 

福島県いわき市出身のFC東京、髙萩洋次郎だ。震災による津波で祖母は今も行方不明のまま。悲しみを受け入れ、10年が経った今、思いを語ってくれた。

幸せな家族に訪れた“あの日”

祖母と一緒に写る髙萩選手

髙萩 選手

誰かのためにプレーするということを、より強く感じたのが震災だった。

 

その思いの原点にあるのが祖母・佐々木經子(つねこ)さんの存在だ。母親を含めて4人の娘を育て、たくさんの家族に囲まれていた。正月やお盆になると、親せきが經子さんの家に集まって食事をするのが恒例になっていた。

 

髙萩 選手

大人数でわいわい、楽しく過ごしたのが思い出。4人の娘を育てた力強さもあったし、優しいおばあちゃんだった。

 

被災した髙萩選手の実家(中央)

 

そんな幸せな家族に「あの日」がやってきた。当時、サンフレッチェ広島でプレーしていた髙萩は広島にいたが、福島県いわき市の実家は津波に飲み込まれた。

 

祖母がいた部屋の様子

 

1階にいた經子さんは行方がわからなくなった。しばらくして実家に戻ることができたが、髙萩の目に飛び込んできたのは、変わり果てたふるさとの姿だった。

 

被災した髙萩選手の実家周辺

髙萩 選手

足の踏み場もないぐらい、がれきの山で、本当に何が起こったか、わからないような状態だった。ことばにならなかった。

 

「おばあちゃんは、どこかに避難しているんじゃないか」

 

そう考えながら過ごすしかなかった。しかし、その願いはかなわなかった。經子さんは今も行方不明のままだ。

つらくても悲しくても立ち上がる

今も大切に保管しているトロフィー

 

つらい思いを抱えながらサッカーに打ち込む。その決意を後押ししてくれたものがある。震災の前年(2010年)に受賞したJリーグカップ、ニューヒーロー賞のクリスタルのトロフィーだ。津波で実家に置いていた思い出の品のほとんどは流されたが、これだけが見つかった。泥に埋もれた状態で傷つきながらも戻ってきたトロフィーを見て感じた。悲しみにうちひしがれて立ち止まっているわけにはいかない。

 

サンフレッチェ広島時代の髙萩選手

 

一歩を踏み出し、努力を続けた。サンフレッチェでは、司令塔としてチームをリーグ連覇に導きJ1通算での出場は今や300試合を超える。(3月14日現在 308試合)

 

福島県出身の選手として初めて日本代表にも選ばれた。經子さんにも胸を張れるであろうキャリアを重ねるうちにほぼ全壊だった実家も修復され、ふるさとの風景も少しずつ姿を変えていった。徐々に現実を受け止められるようにもなったという。

 

髙萩 選手

最初の2、3年は、すごく長かったなという印象だったけど、今、考えてみると、あっという間の10年だったように感じる。震災から一歩一歩、進んでいくというふうに見えたことで、祖母の存在も前向きに考えられるようになっていったんじゃないかなと思う。いつかどこかで会えるんじゃないかという気持ちはあったけど、今は見守ってくれている存在なんじゃないかなというふうに変わっている。

被災地の人が一歩踏み出すために

福島県富岡町の小学生と髙萩選手

 

今度は被災地の人が前を向けるように。髙萩はチームメイトとともに、おととし9月から福島県富岡町の小学生と交流を続けている。富岡町は原発事故の影響で、いまも町の一部が帰還困難区域になっている。

 

チームメイトと福島県富岡町へ

 

周りの様子はどうなっているのか、現地の人に案内してもらった。店の窓ガラスは割れ、がれきが散乱し、放置されていた。雑草が生い茂った住宅街や屋根瓦が壊れたままの家もあった。いまだに復興から、ほど遠い場所があることを目の当たりにし、支援への思いが、さらに強くなったという。ことしはコロナ禍で直接訪問することはできないが、変わることなく励ましのメッセージを届けたいと考えている。

 

チームでのメッセージ動画撮影

髙萩 選手

つらい思いをした人もたくさんいると思うけど、人生においても先に一歩踏み出して進んでいかないといけない。なかなかその一歩を踏み出すのに時間がかかる人もいると思うけど、その一歩が大きな一歩につながると思うので、何事も前向きに取り組んでほしい。

伝えたい最後まで諦めない姿。『僕も私も頑張ろう』という気持ちに

 

34歳の髙萩はチームのフィールドプレーヤーの中で最年長になった。つらい経験から一歩を踏み出せた自分のプレーで被災地に勇気を与えたい。その思いが大きな原動力になっている。いま髙萩がピッチで見せたいのは、美しいゴールでも華麗なパスでもない。

 

髙萩 選手

最後まで諦めない姿。勝つためにボールを必死になって追いかけて、戦って。笛が鳴るまで走りきる。見てくれている1人でも多くの人に頑張っている姿を見せて『僕も私も頑張ろう』という思いになってもらえたらいい。

 

どこかで見守ってくれている祖母のため、そして、被災地のため。髙萩は1日でも長くピッチに立ち続ける覚悟でいる。

この記事を書いた人

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武田 善宏 記者

2009年NHK入局。鹿児島局→福岡局→スポーツニュース部。プロ野球を3年間担当したあと、サッカー担当として日本代表、Jリーグを取材

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