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“歓喜”につながった“悲劇” サッカー日本代表

サッカー 2022年12月9日(金) 午後11:51
“歓喜”につながった“悲劇” サッカー日本代表

サッカーワールドカップカタール大会で日本代表はドイツとスペインという世界屈指の強豪から歴史的勝利を挙げて世界中に大きな衝撃を与えました。

大会が開催されているカタールの首都 ドーハは29年前の1993年、アジア最終予選で日本があと一歩のところでワールドカップ初出場を逃した、いわゆる「ドーハの悲劇」が起きた場所として知られています。

NHKサッカー解説の山本昌邦さんは、この「ドーハの悲劇」があったからこそ、日本サッカーの成長や今大会での喜びが生まれたと考えています。
(スポーツニュース部記者 古堅厚人)

悲願のベスト8には届かず


日本にとって7大会目となったワールドカップカタール大会。1次リーグでは優勝経験のあるドイツ・スペインという世界屈指の強豪と同じグループに入りました。



過去に例のない厳しい戦いが予想された中、日本はドイツ、スペイン、いずれにも逆転勝利をあげ、グループ首位で決勝トーナメントに進みました。



決勝トーナメントではクロアチアに競り負け「新しい景色」と位置づけていたベスト8には届きませんでしたが、その戦いぶりには国内外から称賛の声があがりました。


“ドーハの悲劇”が起きた場所


カタールは日本にとって因縁の地でもあります。

当時35歳だったNHKサッカー解説の山本昌邦さんは、1994年のワールドカップアメリカ大会の出場権をかけてアジア最終予選を戦っていた日本代表のテクニカルスタッフとしてドーハにいました。



クロアチアに敗れて2日後、特別な思いで今大会を見つめた山本さんに「ドーハの悲劇」が起きたスタジアムを訪れてもらうと、当時を思い起こしながら次のように話してくれました。



(山本昌邦さん)
「ここから始まったいろんな苦い経験が、ほんのちょっとの差がすごく大きな差だということを学ばせてくれた。そこからほんのちょっとのものをどう詰めていくかということ、たくさんやることはあるが、ちょっとずつ詰めて来た成果が今につながっていると思うので、ここに来ると本当にそういうものを思い出す。世界を目指してきた、熱みたいなものを感じる」



ともにテクニカルスタッフを務めていた前の代表監督、西野朗さんと、対戦チームの情報を分析するため奮闘する日々を過ごしたといいます。



(山本昌邦さん)
「当時のオフト監督からの指示は本当に細かくて、ノートの項目でいうと2ページぐらいはあった。練習はクローズでなかなか見られないので、相手の泊まっているホテルに行って、カフェで選手が出てくるところを待って顔も覚えないといけないし、西野さんと2人でコーヒー飲みながら『何時に出るんだろう』とか『あいつが、あいつだよね』などと話していた。練習に行ったら、すぐにタクシーで追いかけて、スタジアムの外の盛り土の一番上から警備がすごく厳しい中、隠れて見ていた」



(写真 真ん中:森保一 現日本代表監督)

山本さんたちの努力が実り対戦国の先発メンバーをすべて的中させるなどした情報にも支えられ日本はアジア最終予選の最終戦を前に6チーム中、首位に立ちました。

そして、勝てば念願のワールドカップ初出場が決まるイラクとの試合に臨みました。



しかし、2対1でリードしていた後半アディショナルタイムにコーナーキックから得点を許して同点で試合終了。



ともに勝利したサウジアラビアと韓国に抜かれて日本は3位に転落し、初のワールドカップへの道は絶たれました。



対戦チームの情報に詳しかった山本さんは同じ時間にドーハで行われた韓国と北朝鮮のテレビ中継の解説を急きょ任され、日本戦には立ち会えませんでしたが当時の失意の大きさをこう振り返ります。



(山本昌邦さん)
「勝っている状況が続いていたので『いける』と思って解説をしていたが、日本が追いつかれたという情報を聞いてがく然とした。力が抜けるというか、本当にこんなことが、まさかの結末という感じで、そのあとのことはよく覚えてない」



日本が最後の最後に同点に追いつかれた場面。クロスボールをあげた相手の選手の最も近くでプレッシャーをかけていた選手が今大会で日本代表を率いた森保一監督でした。



(写真:背番号17 森保一 現日本代表監督)

(山本昌邦さん)
「みんな泣いていたし、僕らからすると声もかけようがない雰囲気はあった。その中の1人に森保監督がいて、彼は最後のプレーのクロスボールをブロックできなかったことは今でも忘れていないと思う」


【豆知識】「ドーハの悲劇」とは


https://www3.nhk.or.jp/news/special/fifa_worldcup/special/article/01.html#mokuji8


“悲劇”があったからこそ


一方で山本さんは「ドーハの悲劇」があったからこそ森保監督のもとで日本が世界を驚かせた2つの逆転勝利が生まれたと考えています。



(山本昌邦さん)
「ドーハの経験があって、指導者としての今がある。彼のサッカー人生を見ていると、ほんのちょっとのこと、諦めない姿勢、勝ちたいと思うことが重要なんだと。そういうスタンスで選手に向き合ってるのではないかと感じる。ドーハの悲劇から29年たって、ピッチでそういう悔しさを経験している人がこれから指導者としてもっと上を目指すという時代が来た。日本のサッカーの1つの分岐点というか新たな歴史の節目として永遠に残るような勝利だと思う」


“ドーハの歓喜”に


森保監督は帰国後の会見でみずからの経験を踏まえて「ワールドカップで優勝経験のある国を破ることができて、すばらしい経験ができた。“ドーハの悲劇”から“ドーハの歓喜”を味わった」と話しました。



悲劇を糧にした成長で歓喜につなげた今大会の日本。

日本サッカー協会が定めたロードマップには2030年までに世界のベスト4、2050年までに自国開催でワールドカップの頂点に立つという目標が掲げられています。



今回、史上初のベスト8には届きませんでしたが、山本さんは今大会の経験も必ずまた将来の歓喜につながると信じています。



(山本昌邦さん)
「ドーハの悲劇が起きたスタジアムが、われわれにいろいろな成長の機会を与えてくれたし、29年たってもカタールが成長の舞台になり続けていることは間違いないと思う。ドイツやスペイン相手でも勝てるということを子どもたちに伝えてくれたことは日本の未来に必ずつながっていくと思うし、自分の手で未来を変える勇気を見せてくれたところに日本サッカーの今後をますます楽しみに期待したいと思う」


【NHK特設サイトはこちら】


https://www3.nhk.or.jp/news/special/fifa_worldcup/


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