東京・豊島区などで多数の死者「城北大空襲」79年 追悼式

東京・豊島区の池袋などで合わせて2400人以上が亡くなった「城北大空襲」から79年となる13日、地元の住民らが犠牲者を追悼しました。

「城北大空襲」では1945年4月13日の深夜から14日の未明にかけて、豊島区を中心に北区や荒川区などの広い範囲が焼け、2400人以上が犠牲になりました。
空襲から79年となる13日、豊島区の南池袋公園では追悼会が開かれ、空襲の体験者や地元の住民などおよそ130人が参加しました。
会では、6歳で空襲に遭ったという矢部広明さん(85)が「しんしんと降る赤い雪のように火の粉が降り注いだ。防空ごうは入り口まで人であふれて池袋は一面焼け野原となり、はるか遠くまで見通せた」と当時の状況を語りました。
そして、参加した人たちが公園にある追悼の碑に花を手向けて、犠牲者を悼みました。
この公園の付近は当時、根津山と呼ばれる雑木林が広がる地域で、空襲で犠牲になった数百人が一時的に埋葬されたということです。
参加した保坂時江さん(92)は「13歳で空襲に遭い、妹をおぶった母がのどに爆弾の破片が刺さって即死しました。母のまわりにも7、8人が倒れていて、地獄のようでした。高齢になり時間も限られてきましたが、母にありがとうと伝えました」と話していました。