谷村新司さん死去 街では惜しむ声が ゆかりの場所では

「冬の稲妻」や「昴」など数々のヒット曲で知られ、今月8日に亡くなったシンガーソングライターの谷村新司さんを惜しむ声が東京・千代田区で聞かれました。

千葉県の60代の男性は「まだまだこれから、いろんなすばらしい曲を出してくれると思っていただけにショックです」と話していました。
都内に住む70代の女性は「真面目さとユーモアを感じる人でした。80年代、90年代、フランスに住んでいましたが、日本人で集まったときに『いい日旅立ち』をよく聴いていました」と話していました。

谷村さんは東京・千代田区の地下鉄神保町駅の近くにある喫茶店に、20年以上にわたって通い続けていました。
決まって座ったのが店の半地下にある奥の席で、壁にはみずから書き込んだ「谷村」の名前が残っているほか、「コンサートをやって下さい」とか「大好きです」といったファンからと見られる書き込みもあります。
谷村さんは隣の2号店で出しているナポリタンを特別に持ってきてもらい、コーヒーといっしょに味わっていたといいます。
茨城県から夫婦で店を訪れていたファンの男性は「きのうの訃報を聞いて来ました。亡くなったということがまだ受け入れられません。中国にもファンの友人がいて、連絡を取り合ってお互い励まし合っています」と話していました。
また妻の女性も「よい音楽を届けてくれてありがとうと伝えたいです」と話していました。
夫婦で店を営む伊藤智恵さんは「谷村さんはすごく笑顔が素敵なとても優しい方でした。もういらっしゃらないと思うと、言葉にできないさびしさがあります。先代のマスターからとてもお世話になったので、来ていただいてうれしかったということを伝えたいです」と話していました。

谷村さんは東京音楽大学で2018年までの8年間、特別招へい教授などとして池袋キャンパスで年数回、講義を行っていました。
キャンパスにあるレコーディングスタジオも使って作詞作曲の楽しさや奥深さを教えていたということです。
東京音楽大学は「哀悼の意を表します。故人への生前のご厚情に対し、厚くお礼申し上げます」というコメントを出しました。

音楽評論家の富澤一誠さんは、谷村新司さんの音楽について、「谷村さんがデビューした当時は、フォークの時代で『悪ぶるのが男らしさ』という風潮があったが、谷村さんはラブソングを歌った。それは当時『軟弱』ともされたが谷村さんは、本当の男らしさというのは悪ぶることではなく、自分に自信を持って内からにじみ出るものと示した。人と同じことをやらない反骨精神がある人だった」と評価しました。
そのうえで、谷村さんの音楽に対する姿勢についても、「デビューしてから50年間、常に新しいことにチャレンジしていて、『同じことは二度とやらない』というのが谷村さんの美学だった、一方で、きれいな日本語で自分のいいたいことを比喩も使いながら分かりやすく伝えるということは一貫していた。そのため、谷村さんはアリスでヒット曲を連発しただけでなく『昴』や『いい日旅立ち』など長く歌い継がれるスタンダードナンバーも残し、その存在をひとことで表すなら『ナンバーワンでありオンリーワン』ということだ」と話していました。
そして、谷村さんが後進に与えた影響については、「ヒット曲がすべてではなく、『自分の思いを歌に託して伝える』ということに加えて、『作品を好きなように作っていきなさい』ということをさりげなく背中で見せていていた」と振り返りました。