将棋「名人戦」第5局始まる 渡辺名人の地元 葛飾区では

将棋の八大タイトルで最も歴史の古い「名人戦」の第5局が長野県で始まり、最年少での「名人」獲得まであと1勝とした藤井聡太六冠(20)が勝って七冠となるか、「名人戦」4連覇を目指す渡辺明名人(39)がタイトル防衛に望みをつなぐか、注目されます。

「名人戦」第5局は、長野県高山村に設けられた対局室で行われ、挑戦者の藤井六冠が先に入室し、続いて渡辺名人が盤の前に座りました。
対局は午前9時に始まり、先手の渡辺名人が歩を動かして角道をあけると、後手の藤井六冠はお茶をひとくち含んだあと飛車先の歩を突き、互いに駒組みを進めました。
藤井六冠は、今回の「名人戦」を制すると、谷川浩司十七世名人(61)が持つ「名人」獲得の最年少記録「21歳2か月」を40年ぶりに更新するほか、羽生善治九段(52)以来、最年少での「七冠」となります。
一方の渡辺名人は、3年前に「名人」を初めて獲得して以降、防衛を続けていて、今回4連覇がかかっています。
藤井六冠にはこれまでに「棋聖」「王将」「棋王」のタイトルを奪われていて、雪辱を期す戦いです。
「名人戦」七番勝負は先に4勝した方がタイトルを獲得し、ここまで藤井六冠が3勝、渡辺名人が1勝をあげています。
藤井六冠が勝って最年少で「名人」を獲得するか、渡辺名人がタイトル防衛に望みをつなぐか、第5局の勝敗は1日午後に決まる見通しです。

名人戦第5局の舞台となった長野県高山村の温泉街、山田温泉には、現地で盛り上がりを体感しようという将棋ファンが朝から訪れていました。
千葉県から訪れた将棋ファンの女性は「すぐ近くで対局が行われていると思うとわくわくします。会場が藤井荘なので、藤井名人が誕生することを期待しています」と話していました。
また、地元の観光協会の涌井貞朋会長は「村民を含めて本当に盛り上がっています。名人戦をきっかけに、高山村や山田温泉に注目が集まりうれしいです」と話していました。

「名人戦」第5局に挑んでいる渡辺明名人と藤井聡太六冠の昼食には、長野県産の食材も使ったメニューが提供されました。
このうち渡辺名人は、さび抜きのにぎり寿司をオーダーしたということです。
一方、これまでの対局でもカレーを選ぶことが多かった藤井六冠は、信州ポークを使ったカツカレーを注文したということです。
昼食を作った藤井荘の仙波浩二料理長は「長野の食材を使うことはもちろんですが、食事が勝負の邪魔にならないよう心がけて作りました」と話していました。

将棋の「名人戦」第5局で、藤井六冠が対局中に食べたおやつを販売する長野県須坂市の菓子店には、知らせを聞いた人が県外からも訪れるなど早くも注目を集めています。
今回、藤井六冠が午前のおやつに選んだのは、長野県産のあんずで作ったジャムとかんきつ風味のバタークリームを生地で挟んだ「ブッセ」と呼ばれるお菓子でした。
須坂市にある創業100年以上の菓子店が販売するお菓子で、地元では50年ほど前から親しまれているということです。
店は、31日は定休日でしたが、藤井六冠が選んだことが報じられると問い合わせが相次ぎ、急きょ店を開けました。
さっそく県外からも客が訪れているほか、ネットでの注文も相次いでいるということです。
東京都に住む40代の女性は「旅行で群馬県にいたのですが、藤井六冠のおやつには注目していたので車で買いに来ました。サクサクした食感で中身のジャムともあっていてすごくおいしいです」と話していました。
菓子店の島田昌明さんは「おやつに選ばれてうれしかったですしびっくりしました。すべて手焼きなので製造できる数は限られていますが、時間が許す限り作り続けてみなさんに届けていきたい」と話していました。
一方、渡辺明名人が午前のおやつに選んだのは長野市の洋菓子店がつくったさくらんぼと白ワインを使ったムースケーキでした。
また、午後のおやつは、2人とも、渡辺名人が午前のおやつに選んだ洋菓子店のレモンケーキでした。

渡辺名人の出身地、東京・葛飾区では区民から「名人の名前を冠した子ども向けの将棋大会を開いてほしい」という要望が区にあったということです。
そのため、4年前から中学生以下の子どもを対象にした将棋大会、「渡辺明杯」が地元で開かれてきました。
新型コロナの影響で大会の中止が続きましたが、去年、渡辺名人も参加して3年ぶりに開かれました。
200人近くの子どもが集まり、渡辺名人はアドバイスを送るなど交流を深めたということです。
大会の開催に関わった渡辺名人の小学生時代からの師匠、所司和晴七段は今回の戦いぶりについて「入門のころも相手の得意を避けて戦う将棋が多かったが、今回の名人戦の戦い方も初心に返っているのかなというふうに見えます」と話していました。
そのうえで、「藤井竜王の戦いぶりはプロから見ても注目していますが、名人戦を盛り上げるため渡辺名人にはここをしのいで勝ってほしいです」と激励していました。