Jリーグきょう30周年 “地域と共に”

1993年5月15日に10のクラブでスタートしたJリーグは、今シーズン60クラブに増え、15日、30周年を迎えました。

記念のイベントが15日都内で開かれ、サポーターの投票で選ばれたMVPやベストゴール、それにベストイレブンが発表されました。
このうちMVPにはJ2、ジュビロ磐田のミッドフィルダー、遠藤選手が選ばれました。
遠藤選手は43歳。
1998年に横浜フリューゲルスに入団し、その後、京都サンガを経てガンバ大阪に移籍。
正確なパスが持ち味のゲームメーカーとしてガンバでは20年にわたって活躍し、チームのJ1優勝などに貢献しました。
2020年のシーズン途中からはジュビロでプレーしています。
遠藤選手はJ1で最多記録となる672試合に出場していて、103得点をマークしています。
遠藤選手はオンラインで取材に応じ「30年の歴史で多くの選手や先輩のなかから自分が選ばれて誇りに思う。ここまでの30年でJリーグはものすごいスピードで成長してきた。今後も、少しでもその手助けができればと思う」と話しました。

Jリーグ30周年を記念してサポーターの投票で選ばれたベストイレブンは、次の通りです。
ゴールキーパーは横浜F・マリノスなどで活躍し43歳まで現役を続けた川口能活さん。
ディフェンダーは5人です。
マリノスなどでプレーし、「アジアの壁」と呼ばれた井原正巳さん、鹿島アントラーズのサイドバックとして活躍した内田篤人さん、浦和レッズや名古屋グランパスなどで闘志あふれる守備を見せた田中マルクス闘莉王さん、マリノスなどで活躍し、J1で歴代3位の593試合に出場した中澤佑二さん、マリノスで長年活躍し、松本山雅に所属していた2011年に亡くなった松田直樹さんです。
ミッドフィルダーは4人です。
30周年でMVPに選ばれたジュビロ磐田の遠藤保仁選手、華麗なプレーで天才と呼ばれ、現在北海道コンサドーレ札幌で現役を続ける43歳、小野伸二選手、川崎フロンターレ一筋18年、長くチームをけん引しJ1優勝に導いた中村憲剛さん、左足からのフリーキックの名手でマリノスなどで活躍し、去年44歳で引退した中村俊輔さんです。
フォワードは1人です。
Jリーグの初代MVPで、56歳の今なおポルトガルで現役を続けているカズ、三浦知良選手です。

30年前のJリーグ開幕時は高校生で、大学卒業後の平成11年から19年間、Jリーグでプレーした盛田剛平さん(46)に、みずからの経験を振り返ってもらいながら、これまでの思いやこれからの願いについて、話を聞きました。
子どものころからサッカーを続け、強豪、横浜市の桐蔭学園高校でサッカー部に所属していた盛田さんは、開幕戦について「当時のヴェルディ川崎のマイヤー選手の初ゴールなど、開幕の盛り上がりを鮮明に覚えています。とても華やかな世界だと思いましたね。高校の先輩たちがプロになっていって、自分もプロになるんだと夢見ていました」と振り返っていました。
大学卒業後の平成11年に浦和レッズに入団して夢を果たしその後は、セレッソ大阪、川崎フロンターレ、大宮アルディージャを経て移籍したサンフレッチェ広島で、選手としては最も長い7年間、プレーしました。
ヴァンフォーレ甲府、ザスパクサツ群馬を経て平成29年に現役を引退。
選手時代について、「期待されてプロに入ったのになかなか結果を出せず、最初のころは苦い思いをしたことも多かったです」と振り返ったうえで、最も印象に残っていることについては、「30代後半の甲府時代、ディフェンダーからフォワードに戻ることになり、そのシーズンはJ1で5得点しました。プロでは脇役という感じでしたが、少しは目立ちたいという気持ちもあったので、5得点は気持ちよかったですね」と感慨深そうに話していました。
30年間での日本のサッカーの成長について、「海外に行く選手も多いし、レベルは間違いなく上がっています。30年でチーム数も増えて、サッカーのすそ野は大きく広がりました。ヨーロッパには100年以上の歴史がある国もあるなかで、日本はまだ30年なので、もっともっと成長できると思います」と、これからの選手の飛躍に期待していました。
現在は、さいたま市でラーメン店を経営するかたわら、浦和レッズの地域貢献活動「ハートフルクラブ」でコーチを務めていて、幼稚園児から小学生を対象にサッカーの技術とともに仲間を思いやる気持ちを伝えています。
盛田さんは「チームの成績が落ちると、観客が減ってしまうこともありました。そうしたなかで、チームを強くするだけでなく、地域の人に好かれる、身近に思ってもらうことも大切だと感じました。イベントを通じて地域の人と交流を深めたり、地域の企業を回って支援をお願いしたりして、地域一丸となって盛り上がっていくことが一番だと思います」と地域での活動の重要性を強調していました。

Jリーグ開幕から30年で、サッカーがまちづくりに生かされるケースも出ています。
Jリーグの2チームがホームタウンとしているさいたま市の市立病院は、スポーツを生かした市のまちづくりの一環で、スポーツに特化した治療やリハビリを行う施設を今月、新たに開設しました。
さいたま市は、浦和レッズと大宮アルディージャのホームタウンで、Jリーグ創設以来、サッカーを中心に、「スポーツのまちさいたま」を掲げて、スポーツを生かしたまちづくりや生涯スポーツの振興に力を入れてきました。
こうした活動の一環で、さいたま市緑区にあるさいたま市立病院には、今月8日、スポーツに特化したリハビリや治療を行う、「スポーツ医学総合センター」が開設されました。
センターでは、野球やバスケットボールなど競技ごとの専門医が診察を行うほか、野球選手の回復具合を確認するために、投げたボールの回転数を計測する器具や、投球を行える場所なども整備されています。
スポーツ選手向けの治療を生かして、高齢者の運動機能を維持するための治療などにも取り組むということです。
足の治療を受けている80代の女性は「サッカーのまちである浦和にこのような施設ができることはいいことです」と話していました。
さいたま市立病院スポーツ医学総合センターの武田健太郎所長は「さいたま市はスポーツが盛んで、選手たちを支援するためにつくりました。将来的にはJリーグの選手や地域の学校の選手にまで支援を広げていきたい」と話していました。
また、さいたま市は「将来的にはサッカーチームのノウハウなどを生かした人材育成や、子どもから高齢者までがスポーツを楽しめる環境づくり、それに国内外からスポーツチームの合宿や大会の誘致を行い、『スポーツのまちさいたま』としてのまちづくりを推し進めていきたい」としています。