アントニオ猪木さん 死去

日本のプロレス界をけん引し、国会議員としても活動した元プロレスラーのアントニオ猪木さんが1日朝、心不全のため亡くなりました。
79歳でした。
アントニオ猪木さんは横浜市出身で、中学生のときに家族とともにブラジルに移住しますが、現地を訪れていたプロレスラーの力道山にスカウトされて帰国し、17歳でプロレス界に入りました。
そのあと、同時に入門したジャイアント馬場さんとタッグを組み人気を集め、1972年には「新日本プロレス」を立ち上げてプロレス界をけん引しました。
また、1976年には当時のボクシングの世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリさんと対戦し、「世紀の一戦」と呼ばれて大きな注目を集めました。
また、1989年の参議院選挙に当時のスポーツ平和党の党首として立候補して初当選しました。
その後、2013年の参議院選挙では当時の日本維新の会から立候補して2回目の当選を果たしました。
参議院議員として北朝鮮を訪問するなど、独自の人脈を生かした活動を続けてきました。
プロレスラーとしては1998年に現役を引退しましたが、その後も格闘技大会のプロデューサーを務めるなど格闘技の発展に貢献してきました。
猪木さんは2020年に自身のSNSで、難病の「心アミロイドーシス」と診断されて闘病を続けていることを公表していましたが、所属事務所によりますと、猪木さんは1日午前7時40分、心不全のため、自宅で亡くなったということです。
79歳でした。
アントニオ猪木さんが亡くなったことについて、東京・渋谷で話を聞きました。
20代の男性は「すごく元気な方というイメージだったので、亡くなったと聞いて驚きました。コロナ禍の暗い中で心のよりどころとなるような明るい方がいなくなったことに寂しい思いがします」と話していました。
70代の男性は「猪木さんがプロレスで活躍していた当時、テレビでその姿を見て応援していました。近年は体調を崩されていたようですが、最近はまた少し元気になったと聞いていたので、亡くなられたと聞いて残念に思っています」と話していました。
70代の女性は「最近まで入院されていたということで気になっていました。一世をふうびされた方なので特にプロレス界の悲しみは大きいのではないかと思います」と話していました。