厚岸町沖で米軍の攻撃受け沈没 船の犠牲者悼む慰霊祭

太平洋戦争中、道東の厚岸町沖でアメリカ軍の攻撃を受け沈没した船に乗っていたおよそ3000人の犠牲者を悼む慰霊祭が5年ぶりに行われました。

太平洋戦争中の1944年3月、千島列島の防衛に向かった輸送船「日連丸」と駆逐艦「白雲」が厚岸町沖でアメリカ軍の攻撃を受けて沈没し、旧日本軍の兵士らおよそ3000人が亡くなりました。
慰霊祭は遺族の高齢化や新型コロナの影響から5年ぶりに行われ、厚岸町に建てられた慰霊碑には、道内外からおよそ30人の遺族らが集まりました。
参加者はまず黙とうを捧げ、慰霊団を代表して千葉県から参加した田邊紘一さんが、「残された私たちは80歳を超え、体力の衰えを感じている。今回で慰霊団としての慰霊祭は最後になると報告するとともに、後世に平和をつないでいくことを誓う」と述べました。
その後、遺族らがひとりずつ慰霊碑に献花しました。
父親が日連丸に乗って亡くなった東京都の上杉躬佐子さん(79)は、「日連丸のことを少しでも多くの人に知ってもらいたいので、いろいろな人に検索してみるように呼びかけている。どうやって歴史をつないでいくかが私たちの役目で、絶対に終わりはないと思う」と話していました。