東日本大震災から13年 各地で犠牲者を追悼

東日本大震災の発生から11日で13年です。道内各地で犠牲者を追悼する祈りが捧げられました。

【道内で唯一津波の犠牲者が出た函館市では献花】
13年前の東日本大震災で最大2.4メートルの津波が押し寄せた函館市では、男性1人が死亡し、600棟以上の建物が浸水の被害を受けました。
函館市の海岸近くにある「地域交流まちづくりセンター」には、午前10時から献花台が設置され、訪れた人たちが花を手向けて静かに祈りをささげていました。
献花に訪れた岩手県陸前高田市の出身で、震災後、函館市に移り住んできたという79歳の男性は「家も何もかも流されてしまった13年前をいまも思い出すが、もう13年経つのかと思う。今後も災害は起きるだろうが同じことを繰り返さないことが大切だと感じる」と話していました。
また、地震が起きた午後2時46分には犠牲者への哀悼の意を示すため、函館市消防本部で1分間のサイレンが鳴らされたほか、「地域交流まちづくりセンター」で黙とうが行われました。
センターによりますと、献花台は11日午後8時半まで設置されるということです。
【五稜郭タワーで観光客の避難誘導などの訓練】
函館市の観光名所、五稜郭タワーでは地震が起きたことを想定して観光客の避難誘導などをする訓練が行われました。
訓練は函館市で地震が発生し、タワー内のレストランで火災が起きたという想定で行われ、五稜郭タワーの従業員などおよそ30人が参加しました。
地上90メートルの高さの展望台で地震が発生したことを知らせるアナウンスのあと従業員たちは、▼ガラスから離れるよう呼びかけたり▼防火シャッターを下ろしたりしました。
そして、非常階段を使って展望台から地上まで観光客を誘導する手順を確認していました。
五稜郭タワーでは毎年2回、防災訓練を行っていますが、東日本大震災が起きた翌年からは、このうち1回を3月11日に実施しているということです。
五稜郭タワーの横山傑マネージャーは「この日を忘れないということで、毎年訓練を実施しています。まもなく桜の季節となり、多くの観光客が訪れるので、しっかりとした安全対策をしていきたい」と話していました。
【美幌町役場では発生時刻に黙とう】
オホーツク海側の美幌町役場では地震の発生時刻に合わせて町民や職員が祈りをささげました。
美幌町役場では地震が発生した午後2時46分に合わせて、庁舎内に「東日本大震災からきょうで13年です。犠牲者への哀悼の意を表すべく黙とうをささげます」とアナウンスが流れました。
アナウンスを受けて、役場に居合わせた町民や職員はその場で立ち上がり、1分間の祈りをささげました。
美幌町では2012年から2018年にかけて宮城県と岩手県、福島県に職員を派遣するなど、被災地の復興支援にあたってきたということです。
役場を訪れていた40代の男性は、「復興が進んだとはいえ被災者の悲しみは続いていると感じます。改めて災害は人ごとではないと捉え直す機会になります」と話していました。
40代の女性は、「息子が震災と同じ年に生まれたので、成長とともに時間の経過を感じます。ニュースで今も多くの人が行方不明なことなどが伝えられると、災害の大きさに驚きます」と話していました。
【網走市議会では復興支援ソングの“花は咲く”を披露】
網走市議会の議場で地元の特別支援学校の生徒たちがコンサートを行い、復興支援ソングの「花は咲く」を披露しました。
このコンサートは網走市議会が2004年から開いていて、11日は議場に市民や市役所の職員などおよそ50人が集まりました。
演奏したのは網走市にある日本体育大学付属高等支援学校の2年生の男子生徒8人で、金属製のパイプを振って音を奏でる「トーンチャイム」を使って3曲を披露しました。
11日に合わせて選曲した東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」の演奏では、生徒たちが歌声も披露し、議場に集まった人たちから大きな拍手が送られました。
演奏した生徒は「本番は上手にできたと思う。東日本大震災で亡くなった人たちにも届いてくれたらいいな」と話していました。
日本体育大学付属高等支援学校の泉谷果歩教諭は「生徒が頑張る姿や音楽から心に届くものがあれば」と話していました。