「エスタ」 31日午後9時閉店 45年の歴史に幕
北海道新幹線の札幌延伸に伴って進められているJR札幌駅周辺の再開発のため、駅前の商業施設「エスタ」が31日閉店し、45年の歴史に幕を下ろします。31日午後9時の閉店を前に、営業最終日の様子を一目見ようと大勢の人が訪れて別れを惜しんでいます。
「エスタ」は1978年に道内初進出の大手デパート「そごう」が入る“札幌初の駅ビル”として開業し、現在は大手家電量販店を主要テナントとしておよそ110の店舗が営業しています。
市民の生活に定着し親しまれてきましたが、北海道新幹線の札幌延伸に伴う札幌駅周辺の再開発のため、31日閉店します。
31日は営業最終日の様子を一目見ようと、午前10時の開店前から大勢の人が店の外や地下の入り口に集まりました。
建物の外観を写真に収めたり、地下1階の入り口の横に設置されている閉店までの残り日数を知らせるボードの表示が「0日」となっているのを寂しそうに眺めていました。
開店前から並んでいた札幌市の60代の女性は「駅から近く便利なので長年通っていました。エスタの中にある総菜店で勤めていたこともあったし、閉店するのはとてもさみしいです。最後なのでしっかりと見てまわりたいです」と話していました。
そして、午前10時に開店すると、訪れた人たちは買い物を楽しんだり記念に写真を撮ったりして別れを惜しんでいました。
エスタでは、閉店を前に客から募集していたメッセージを地下1階にはり出していて、この中には「45年間お世話になりました」とか「私の青春です」などそれぞれの思い出が記されています。
運営会社によりますとこれまでに1万件以上のメッセージが寄せられたということです。
地下1階の食品売り場では、総菜や弁当、それに土産用の菓子を買っていく人の姿も見られました。
また、人材派遣会社に勤務し、大勢の人をエスタで働けるよう紹介してきたという60代の男性は、「最後なので、見てまわりながら、知り合いのテナントや、従業員にあいさつをしてまわっています。無くなってしまうのは本当にさみしいです。何人も紹介させてもらったので本当にお世話になりました」と話していました。
道内の話題のラーメン店を集めた「らーめん共和国」も大勢の客でにぎわい、中には複数の店舗をめぐる人もいました。
食事に訪れた札幌市の20代の男性は「最後にしっかり味わいたいと思って来ました。エスタでの最後の思い出の味になりました」と話していました。
また、屋上にある庭園「そらのガーデン」には、きれいに咲いた花を眺めたり、ベンチや芝生に座ったりして、訪れた人たちは、最後のひとときを楽しんでいました。
札幌市の70代の女性は、「『そごう』の時代には、屋上に遊園地があり、子どもとよく訪れました。走り回ってしまい追いかけるのが大変だったのを覚えています」と話していました。
また、70代の男性は「ここで知り合って友人になった人もいます。楽しく過ごしてきたのが思い出です。無くなってしまうのは寂しいですが、出会いをくれたこの場所に感謝しています」と話していました。
9階のゲームセンターにあるプリクラの機械の前には大勢の人が次々と訪れ、最後の思い出を撮影していました。
運営会社によりますと、ゲームセンターがオープンした2002年ごろはプリクラが全国的にブームとなっていて、中高生が放課後に訪れる人気スポットとして親しまれてきたということです。
プリクラを撮りに来ていた札幌市の20代の女性は、「高校のころ、部活動の練習試合や大会のあとにジャージのまま来て、みんなでよく撮っていたのが懐かしいです。子どもとは撮ったことがなかったので、最後に思い出を作りにきました」と話していました。
エスタは31日午後9時まで営業したあと、45年の歴史に幕を下ろします。
【エスタで長年勤めた男性は】
エスタに入居しているテナントの1つのコーヒーショップに勤める男性は長年勤めた店舗やエスタの閉店に特別な思いを抱いています。
エスタの地下1階で営業しているコーヒーショップ「ポールショップカフェ」は、今から38年前、1985年にエスタで営業を開始しました。
当時、札幌ではデパートでコーヒー豆を専門に扱うショップは珍しく、開店当初から人気を集めたということです。
このコーヒーショップに勤めている梅村和史さん(48)は、10年前の2013年に店長として勤務を始めました。
梅村さんは、「店で販売するコーヒー豆の種類や軽食のメニューの充実を図ったり、内装をリニューアルするなど、たくさん悩んだことが思い出として残っている」と話していました。
北海道新幹線の札幌延伸に伴う再開発のためエスタが閉店するのにあわせて、梅村さんが勤めるコーヒーショップは別の場所には移転せず、閉店することが決まりました。
およそ20年通っているという80代の女性は「腰の手術をして歩くのがつらいが、それでも毎日のように一生懸命歩いてこの店に通っていました。閉店になるのは泣きたくなるほどさみしいです」と話していました。
また、90代の男性は「30年ほど通っています。この店のおかげでコーヒーを好きになりました。無くなるのはさみしいです」と話していました。
梅村さんにとってエスタは、母親との思い出の場所で、「幼いころ、母親や妹とたびたびエスタを訪れ、買い物や食事を楽しんでいました」と話しています。
梅村さんがエスタの店舗で勤務するようになると、母親はよく店を訪れ、コーヒーを頼んでは梅村さんが働いている姿を眺めていたということです。
ことし1月、母親に病気が見つかり、入院することが決まると、梅村さんは母親と妹と一緒にエスタの10階にある飲食店で食事をしました。
梅村さんは「母はもうエスタに来ることは出来ないかもしれない。私と妹と3人でエスタで食事を取るのは、これがたぶん最後だろうなと思っていました」と話しています。
その1か月後、母親は病状が悪化し、入院先の病院で亡くなったということです。
梅村さんは「よく店を訪れては、僕が働いているのを見て、すごく忙しいだろうって言ってきたりしていました。入り口近くの席に座っていたのが思い出されます」と話しています。
31日最後の営業の日を迎えた梅村さんは、「朝から多くのお客さんに『お疲れ様』と言われて、もう涙が出そうです。エスタは札幌の人に本当に愛されていたと思うし、勤めていたことを誇りに思います。もう感謝しかありません」と話していました。