【滞在記】中頓別で全力人生 菓子店を継いだ青年の思い

地域にディープな人脈を持つフレンズのもとに、ディレクターが1か月滞在する「ローカルフレンズ滞在記」。札幌駅からバスを乗り継ぐこと6時間半。今回の舞台は人口約1500人の小さな町、中頓別町です。滞在するのは札幌局の佐藤耀ディレクター。ローカルフレンズは町の老舗菓子店を事業継承した中野巧都さんです。

中野さんに会うために、まずはお店へ。待っていると、中野さんが車を勢いよく走らせてやってきました。忙しそうな中野さんをカメラで追うのに精いっぱい。しかも、用意していたのはお菓子ではなくカレー。わけがわからぬまま、カレーの鍋と一緒に車に乗り込みます。車で2時間ほどかけて向かったのは稚内市でした。そしてフードトラックで販売を開始すると、用意した300食のカレーは飛ぶように売れていきます。
落ち着いたところで、じっくり取材を開始。聞くと中野さんは、8年前に札幌から中頓別町へ単身でやってきたとのこと。当時19歳。それまで打ち込んできた柔道を引退して、夢中になれるものを探していました。そんな中、偶然見つけたのが中頓別町の地域おこし協力隊。これまで縁がなかった町でしたが、すぐに移住しました。そして町に飛び込んで3年目。70年以上続く菓子店が廃業すると聞き、「みんなの大事な味なんだから、俺が守ります」と手を挙げたのだそうです。しかし、職人さんが引っ越すまでに残された時間はわずか1か月。中頓別町で出会った妻・未琴さんとふたりで開業に向けて準備。両親も札幌から駆けつけました。そしてオープンの日。町の人たちが開業を歓迎し、お世辞にもまだ上手とは言えないお菓子を買い支えてくれたのです。お店の近所で文房具店を営む米津和美さんもその1人。「若い人が来て、すごく喜んで歓迎したんです」と当時を振り返ります。
中野さんは、「応援しようと思って店に来てくれたんだと思うし、そのおかげで成長もチャレンジもできた」とスイッチが入ります。和菓子に洋菓子、パン作り。どんどん腕を磨き、できあがったうちのひとつが、先ほどのカレー。帯広の人気カレーのようなソウルフードを中頓別町でもつくりたい。そんな思いが実を結び、今では行列のできる人気商品です。さらに、米津という名前を冠したレモネードを開発。あの有名な曲をなぞらえものたかと思いきや、実は名前の由来は、支えてくれた文房具店の米津さん。店を閉じようと悩んでいた米津さんにエールを送りたいとつくったもの。今度は支えられる側になった米津さんは、中野さんのおかげで「まだ辞めないで、今があるわけさ」と語ります。
きわめつけは、お茶漬け。作っているのは、なんと中野さんのご両親。息子を見守っているうちに、自分たちもお店を出したいと、中頓別町に移住してお店をつくってしまいました。
中野巧都さんに今の思いを聞いてみると、「やることがあるじゃん、やることがなくならない。なんでもできるようになっちゃったらつまらない」とのこと。忙しいのが楽しくてたまらなくて、型破りで破天荒。町のみんなを元気づけ、みんなから支えられる中野さんは『宗谷にソウルフードを』という壮大な夢を追い続けています。