鉄道開業150年 道内で相次ぐ廃止路線 バス転換の先は

日本で最初の鉄道が開業してから14日で150年です。
北海道では石炭や木材などといった貨物を運ぶ鉄道が各地に広がり、道内各地を走って、人々の生活も支えてきました。
しかし、北海道で鉄道が開業してから140年以上がたち、自動車が移動の中心になるにしたがって、惜しまれながら廃線になる路線も相次ぎました。
こうした路線の多くはバスに転換されてきましたが、そのバスさえも廃止になるところがあるなど、厳しい現実が突きつけられています。

《代替バスの一部区間が廃止に》
9月末、あるバスの最終運行を見届けようと、愛好家たちが倶知安町に集まりました。
このバスは旧国鉄胆振線の代替バス。
36年にわたって運行されてきましたが、一部の区間は廃止されることになりました。
(愛好家)
「なんていうか寂しいですね年々ローカル路線のバスとかも鉄道路線とかも消えていってますし」
バスにかわる前に走っていた旧国鉄の胆振線。
鉄鉱石などを運ぶ路線として整備され、地元の人の生活の足として親しまれてきました。
しかし、鉱山が閉鎖されたあとは利用者が減少し、昭和61年に廃線となりました。
(アナウンス〜)
「胆振線がいよいよきょうが最後で、本当のさよならでございます」
胆振線にかわって地域の足を守り続けてきた代替バス。
その区間は南北におよそ90キロありました。
しかし、中央部のおよそ25キロが廃止に。
この一部では“公共交通の空白地帯”が生じることになりました。
廃止になった区間は、ほとんどが山道です。
(利用者)
「さみしいけれど、利用者が少ないっていうことね」
「しかたないと思いますね、空バスを走らせるわけにはいかないので」
バス会社が行った調査では、この区間は、1日あたり平均2人も乗っていませんでした。
赤字が続き、一部区間が廃止になる町も、受け入れざるを得ませんでした。
(喜茂別町内村俊二町長)
「本当に、地域の足として残せるものであればやっぱり残しておく必要があるじゃないかなと思いますけれども。小さな町にとっては大変大きな負担になってるなと思います」

《代替バスで利便アップも想定下回る利用状況》
すでに一部の区間が廃止となった代替バスもある中、2年前から
代替バスの運行が始まった月形町では、鉄道よりも利便性を高めたにも関わらず、想定を下回る利用状況となっています。

2年前に廃止されたJR学園都市線の北海道医療大学・新十津川の区間です。
鉄道の廃止に伴い、沿線の自治体が一部の区間をバスで代替することになりました。
これを機に、地域に欠かせない交通手段にしたいと考えました。
(月形町・上坂隆一町長)
「JRよりも、利便性なり、そういったことについて主体的になれる。そういった意味でバスに期待をした部分があるんですよね」
乗りやすくするために、バスの停留所の数は鉄道の駅の3倍に。
多くの利用を見込む町の中心部では、巡回する形にしました。
維持費用を抑えるため、車両は小型のものにしました。
高校生が使いやすいよう、校内に設置したバス停も。
ダイヤは学校活動に合わせた時間にしました。
(高校生)
「非常に登下校している分にも楽ですし、いいと思っています」鉄道に比べて本数も増え、冬に多かった運休もなくなったといいます。
利便性は上がったはずなのに、利用は伸び悩んでいます。
利用者数の目標は、廃止前の鉄道の利用状況から1日あたり115人と設定。
しかし、今年度は38人。
新型コロナウイルスの影響もあって、3分の1ほどにとどまっています。
JRから20年分の代替バスの運行費用の支援がありましたが、このままでは想定よりも早く使い切ってしまう状況です。
(月形町・上坂隆一町長)
「20年が半分で底をついてしまうんじゃないか。国や道もしっかりと地域の公共交通を維持していくためにお金も含めていろんな形で支援してほしい」

《専門家は》
(公共交通に詳しい北海道大学公共政策大学院・岸邦宏教授)「公共交通の維持にかかる予算は全国的に見ても、やっぱりそれは十分かどうかっていうととてもじゃないけれども十分な金額ではない。国としての公共交通のあり方というのは、地域が決める部分もありますけれども、国がやっぱり考えていく部分というのも十分あると思います」