北方四島周辺での「安全操業」協定の履行停止 ロシアが発表
ロシアの外務省は7日、日本の漁船に、北方四島周辺でのいわゆる「安全操業」を認める協定の履行を停止すると発表しました。
拿捕される心配なく「安全」に漁を行うことができるという枠組みを揺るがす事態に、地元では動揺が広がっています。
北方四島の周辺海域で行われる「安全操業」は、ロシア当局による拿捕などを避けるため、1998年に結ばれた日ロ両政府間の協定に基づき、期間や漁獲量、協力金などを毎年交渉で決めたうえで行われています。
例年、スケソウダラやホッケ、それにタコなどが漁の対象となってきました。
これについてロシア外務省の報道官は7日、声明を発表し、「日本政府は、この協定が機能するために不可欠な、サハリン州に対する無償の技術支援の提供に関する文書への署名を遅らせ、協定に基づく支払いを『凍結』する方針をとった」などと一方的に非難しました。
そして、「日本側がすべての財政的な義務を果たすまで1998年の協定の履行を停止する決定を下さざるをえない」と通告しました。
外務省は、NHKの取材に対し、「ロシアが、サハリン州との協力事業を協定実施の前提条件であるかのようにして一方的に協定の履行の停止を発表したことは遺憾だ。政府としては、引き続き協定のもとで日本側が操業を行えるようロシア側と協議を行っていく考えだ」としています。
【「安全操業」とは】
北方四島の周辺海域の「安全操業」は、日本とロシア政府との協定に基づいて、合意した操業条件を守ることを前提に、拿捕される心配なく「安全」に行うことができるという枠組みです。
北方四島の周辺海域では1990年代までロシア側による日本漁船の拿捕事件が相次ぎ、これを受けて、平成10年(1998年)に日ロ政府間で協定が結ばれました。
安全操業はこの協定に基づいて、日本の漁業者が資源保護を目的にロシア側に協力金を支払って行われています。
操業海域は国後島の北側と歯舞群島の南側などの海域で、主に北海道根室市と羅臼町の漁業者がスケソウダラやホッケ、タコなどをとっています。
操業の条件は毎年の交渉で決められ、ことしの漁獲量は去年12月の交渉の結果、▼スケソウダラが955トン、▼ホッケが777トン、▼タコが213トンなどとなっています。
また、ことしは協力金などとしてあわせて4240万円をロシア側に支払うことで合意していました。
操業するのは四島周辺の海域ですが、「いずれの政府の立場も害さない」ことを取り決め、日ロの主権を棚上げする形で行われています。
しかし、2019年には▼根室漁協などの漁船5隻が拿捕されて、国後島に連行されたほか、▼羅臼漁協の漁船2隻が書類の不備で罰金を要求されるなど、近年はロシア側の監視が強まり、漁業関係者からは漁の安全を懸念する声が上がっていました。
【漁業者の受け止め】
安全操業のタコ漁を行う漁業者が所属している根室市の落石漁協の庄林満組合長は「ことしは安全操業がどうなっていくか、簡単には決まらないのではないかとは思っていた。漁ができなければ水揚げの減少にもつながるので漁業者も落胆すると思う。とにかく政府とロシアの交渉を見守っていくしかない」と話していました。
ことしの安全操業のタコ漁には、根室市の落石漁協から4隻、根室漁協と歯舞漁協からそれぞれ2隻の、合わせて8隻が出漁を予定しています。
ことし1月から3月にかけての安全操業で、北方領土の国後島周辺でスケソウダラの刺し網漁に参加した道羅臼町の漁業者は「もう少し詳しいことが分かれば、言えることがあるかもしれないが、今は何も言えません」と戸惑った様子で話していました。
安全操業でホッケ漁をしている羅臼町の別の漁業者はNHKの取材に対し、「貝殻島周辺のコンブ漁の日ロ交渉が妥結したのでもしかしたら大丈夫かもと思ったが、やはりだめだった。漁に行けるなら行きたかった。代わりに羅臼側の海で漁をするにしても使う資材が安全操業とは異なるので準備をしなければならない」と話していました。
【歴史的経緯】
「安全操業」は、旧ソビエトの崩壊後、北方四島とのビザなし交流が始まり住民どうしの友好が深まる中で、1994年に北方領土のロシア人の地区長が当時の根室市長に呼びかけて交渉が始まりました。
日ロ双方の主権に関わるため、政府間の交渉は難航しましたが、4年後の1998年2月に協定が調印され、この年の10月にロシア側の関係者も見守る中、羅臼漁港から安全操業の漁船が初出漁しました。
協定が調印される前年の1997年11月には、当時の橋本総理大臣とエリツィン大統領の間で「2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」としたクラスノヤルスク合意が結ばれました。
安全操業がまとまった背景には、こうした日ロ政府間の領土交渉の進展や民間レベルでの友好ムードの高まりがあり、拿捕が相次いだ海での安全操業は日ロの雪どけを象徴する意味合いもありました。
【日ロ間の漁業交渉は4つ】
協定に基づいて日本とロシアの間で行われている「漁業交渉」は、「安全操業」をめぐる交渉を含めて4つあり、このうち2つはすでに妥結しました。
しかし、いずれの交渉もロシアによるウクライナ侵攻の影響を受けて大幅に遅れました。
このうちの1つが、道東の太平洋の沖合でシロザケやカラフトマスを漁獲する量や時期などを決めるサケ・マス漁業交渉です。
交渉が遅れた結果、例年の解禁日である4月10日には間に合わず、3週間あまり遅れた先月3日から操業が始まりました。
もう1つは、北方四島の歯舞群島の一部、貝殻島周辺で行うコンブ漁の条件を決める貝殻島コンブ交渉です。
こちらもことしの交渉は遅れ、今月3日に妥結しましたが、例年解禁されている6月1日には間に合いませんでした。
北海道水産会によりますと、今月中旬以降の操業開始を予定しています。
このほか例年12月には、北方四島の周辺海域での安全操業に関する交渉と日ロ双方の排他的経済水域での操業条件を決める「日ロ地先沖合漁業交渉」もあり、日ロ関係が悪化する中、漁業関係者の間では影響を懸念する声が出ていました。
【識者の話】
「安全操業」をめぐるロシアの外務省の発表について、専門家は日本側が協力金を送金していないことが問題だと指摘した上で、「払えなければ、今後、予定されている貝殻島周辺のコンブ漁にも影響する」として懸念を示しています。
漁業経済が専門の北海学園大学の濱田武士教授は、ロシア側の対応について日本側が協定に基づく協力金を送金していないことから「ロシア側からすれば、『約束不履行』だということだ。去年決まった安全操業協定について約束不履行だから9月からの操業は停止するということだ」と述べました。
また、「コンブ漁を始めようというタイミングで言ってきたということは、ロシアとしては日本政府に対して『不誠実だ』ということを言っているのだと思う。つまり約束が守れないのであれば、この先に予定している漁業も行わせないというメッセージになっている」と述べ、今月中旬にも始まる見通しになっている貝殻島周辺のコンブ漁にも影響が及ぶことがありうるという見方を示しました。
その上で、「送金ができなければコンブ漁にも影響するし、ひいてはロシア水域内や北方領土周辺の水域内で日本が操業する機会が奪われ、日本の領土・主権の問題にも関わってくる。また、根室地方の漁業者が食いぶちを失うと同時に水産流通加工業にも影響する。日本政府としては、経済制裁をしていても送金するルートを確保することが重要だ」と述べました。