南西沖地震から26年 奥尻では

奥尻島を襲った大津波などで230人が犠牲となった「北海道南西沖地震」から12日で26年です。最大の被災地、奥尻島では、住民たちが犠牲者に祈りを捧げました。

このうち、16人の住民が犠牲になった奥尻島北部の稲穂地区では、津波で母親が行方不明となった可香谷正二さん(82)が妻とともに墓参りに訪れ、花を手向けて手を合わせました。
可香谷さんは当時、津波に飲み込まれたあと、高台に打ち上げられて助かりましたが、1人で自宅に残っていた母親のトヨさん(当時86)は自宅ごと津波に流され、行方がわからなくなったということです。
可香谷さんは、「母に『ことしも来たよ』とあいさつしました。遺体が見つかっていないので、いまもどこかに流れ着いているのではと何とも言えない思いでいます。体が動くうちは弔い続けたいです」と話していました。
可香谷さんは稲穂地区で地震の犠牲者の遺族会長を務めていますが、住民の高齢化が進んでいることから、毎年行ってきた会としての法要は来年からは行わないということです。

【小学校では避難訓練】
平成5年7月12日に起きた北海道南西沖地震では、地震や大津波による死者・行方不明者が230人に上り、このうち奥尻島では198人が犠牲となりました。
地震から26年となる12日、7人の児童が犠牲となった奥尻島の青苗小学校で、大津波を想定した避難訓練が行われ、全校児童29人が参加しました。
子どもたちは、地震を知らせる放送が流れると机の下に隠れて身を守ったあと、ヘルメットをかぶって外に出ました。
そしてロープをつたいながら学校の裏山にのぼり、4分以内に全員避難を終えていました。
奥尻島には当時、地震からおよそ3分後に津波が押し寄せましたが、北海道の最新の想定では最短1分で第1波が到達するとされていて、素早い避難が求められています。
5年生の小原礼さんは「命を守るために少しでも早く高台にのぼることを考えて避難しました」と話していました。
青苗小学校の浅沼珠恵校長は「子どもたちには訓練を積み重ねて、大人がいないときでも高台に避難できるようになってほしい」と話していました。